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プロローグ 彩なき夜明けと、忘却の聖女

記憶を搾取される世界で、心を失った君を必ず連れ戻す。

禁忌の魔剣を手に、すべてを奪った「正義」に抗う少年の反逆戦記。

 ふたりが喧嘩して怪我をしても、もう治してあげないんだからね。

 陽だまりのような、温かい記憶だった。

 王都の外れにある小さな空き地。土にまみれて木剣を打ち合うふたりの少年を、木箱に腰掛けた少女が頬を膨らませて見つめている。

「だってユーゴのやつが、剣の構えがなってないとかうるせぇから!」

「シオンが基本を疎かにして力任せに振るのが悪いんだ。隙だらけだぞ」

 擦りむいた膝を押さえながらも睨み合うふたりの間に、ルミナが割って入る。彼女の小さな手がシオンの膝に触れると、淡い光と共に痛みがふわりと消えていった。

「もう……シオンもユーゴも、すぐむきになるんだから。ふたりとも騎士様になりたいんでしょ? 怪我ばっかりしてたらなれないよ」

「悪かったよ、ルミナ。……でも、もし本当に俺たちが騎士になって、どうしようもない喧嘩をしたらどうする?」

 シオンの問いに、ルミナは少しだけ困ったように首を傾げ、やがて花が咲くような笑みを浮かべた。

「その時は、私がふたりの間に立って止めてあげる。絶対にね。だから、ふたりとも死んじゃうような怪我だけはしないでね」

 あの時交わした約束の言葉は、今もシオンの胸の奥で、決して消えない熱を帯びて燃えている。

 それなのに。

「……そこにいるのは誰? どうしてここにいるの?」

 冷たい石造りの塔の中層階。分厚い鉄扉の鍵を破壊し、肩で息をするシオンを振り返ったルミナの顔には、微塵の恐怖も、驚きもなかった。

 ただ、見ず知らずの他人に向けられる、純粋な困惑だけが浮かんでいた。

 彼女は、身の丈に合わない豪奢な純白の法衣、教会が定めた『聖女』の装束を着せられていた。月明かりに照らされたその姿は、まるで精巧な人形のように美しい。だが、その瞳の奥にあったはずの、あの陽だまりのような温かさは完全に消え失せていた。

「ルミナ……俺だよ、シオンだ。迎えに来た。こんな狂った場所、今すぐ離れよう」

 シオンは血の滲む拳を握り締め、彼女の細い腕を強く引いた。だが、ルミナはその手を振り払うでもなく、ただ不思議そうにシオンの顔を見つめ返す。

「シオン……? ごめんなさい、分からないわ。それに、逃げる? なぜ? 神官様が言っていたの。私は、この王都の光を永遠に灯し続ける『聖女』に選ばれたのよ。とても名誉なことだって」

 その言葉が、シオンの心臓を冷たい刃で深々と抉った。

 仇を取るためでも、国を変えるためでもない。ただ目の前の幼馴染みを助けるためだけに、すべてを捨ててここまで走ってきた。だが、彼女の中から「シオン」という存在すらも、すでに綺麗に削り取られていたのだ。

 つい先日のこと。怪我人を路地裏で見つけた二人は、医者であるルミナの両親の助けを借りて、治療を施した。そして、教会に反目するレジスタンスを匿ったという理由だけで、彼女の両親は広場で公開処刑された。シオンにとっても、親同然に慕っていた温かい人たちだった。

 両親の亡骸の前で、血の涙を流して泣き叫んでいたルミナ。その彼女を、教会の神官たちは『悲痛からの救済』という名目で拘束し、両親に関する記憶だけでなく、彼女を形作る過去の思い出のすべてを強制的に抽出したのだ。

「名誉なことなもんか……! あいつらは、お前の記憶をバッテリー代わりに王都の動力炉に繋ごうとしてるだけだ! お前は死ぬまで、心と命を削られ続けるんだぞ!」

 シオンの悲痛な叫びに、ルミナはわずかに目を伏せた。

「……お父さんとお母さんが死んでしまったのは、分かっているの。でも、不思議ね。顔も思い出せないし、少しも悲しくないのよ。ただ、胸の奥がぽっかり空いているだけで……教会の教えは正しかったわ。悲しみを神様に捧げれば、こんなにも心は穏やかになるのね」

 笑みすら浮かべるルミナを見て、シオンは歯を食いしばり、床に崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。

 違う。悲しみを乗り越えたんじゃない。ただ、切り取られて捨てられただけだ。

 怒りで視界が赤く染まる。親同然の人たちを理不尽に殺され、大切だった幼馴染みの心まで空っぽにされた。

「……あの。あなたはどうして、そんなに怒っているの?」

 シオンの震える手を見て、ルミナが不思議そうに尋ねた。

 その無垢な問いかけが、一番残酷だった。彼女は、目の前で怒りに震える青年が、なぜ自分のために泣きそうになっているのかすら理解できていないのだ。

「…っ、いいから来い! あとで何度でも教えてやる!」

 力任せに彼女を抱き寄せようとしたその瞬間。

 背後の鉄扉が、凄まじい轟音と共に内側へと吹き飛んだ。

「そこまでだ、哀れなネズミめ。その少女は既に『世界』の所有物だ」

 立ち込める土煙の中から現れたのは、白銀の鎧を纏った教会の異端審問官と、数人の重武装の騎士たちだった。審問官の冷酷な視線が、シオンとルミナを射抜く。

「貴様が元一等兵のシオンか。教えに背き、反逆の徒となるとはな。おとなしく投降すれば、貴様のその無駄な『怒りの記憶』も綺麗に抽出して救済してやろう」

「……黙れ。寝言は神の御前でほざけ」

 シオンはルミナを背にかばうと、背負っていた長大な荷物の布を乱暴に払い除けた。

 現れたのは、身の丈ほどもある無骨な漆黒の大剣。刃の根元には、不気味な鈍色のシリンダー機構が組み込まれている。教会がひた隠しにする禁忌の技術を組み込まれた魔剣『シリンダー・ブレード』。決死の覚悟を見せたシオンに、師匠が託してくれた代物だ。

「なっ……貴様、なぜその技術が使われた剣を持っている!」

 審問官の顔に初めて狼狽が走る。

 シオンは、師匠から餞別として渡されていた一欠片の汎用メモリア(記憶エネルギーの結晶)を取り出すと、剣のシリンダーへと滑り込ませた。

 ガキンッ! という重厚な金属音が塔内に響き渡る。

 トリガーを引いた瞬間、刀身の紋様に爆発的なエネルギーが血のように赤く走り、暗い部屋を強烈に照らし出した。大気すら震えるほどの力の奔流に、騎士たちが思わず後ずさる。

「ルミナ、しっかり掴まってろ!」

「えっ……きゃあっ!?」

 シオンは悲鳴を上げるルミナの腰を強く抱き寄せ、赤熱する大剣を真横に薙ぎ払った。

 放たれた深紅の一撃が、追手たちを吹き飛ばし、背後にある巨大なステンドグラスを枠ごと粉砕する。

 色とりどりのガラスの雨が、夜空へと降り注ぐ。

 吹き込む冷たい風の中、シオンはルミナを抱きかかえたまま、塔の窓から外へと身を躍らせた。

 落下していく二人の視界の先。

 地平線の向こうから、世界を白々しく照らす朝日が昇り始めていた。

 痛みを忘れた世界への、決定的な反逆の夜明けだった。

プロローグをお読みいただき、ありがとうございます!

ここからシオンとルミナの、過酷な旅が始まります。強大な教会を敵に回したシオンは、ルミナの心を取り戻すことができるのか……。

次回は、塔から逃げ延びたふたりの運命を大きく動かす「新たな出会い」が待っています。

今後の展開もぜひご期待ください!

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