雨。
ざぁーっと勢いよく降り出した、雨。
雨のしずくは絶え間無く、まるで一筋の線を描くようにまっすぐに地面へと落ちていく。薄暗く湿った空を見上げて藤井は、小さくため息をつくと雨宿りをするために電話ボックスへと駆け込んだ。
携帯電話が普及しているいま、電話ボックスなんて誰も使わないだろう、そう思った藤井は、待ち合わせ場所がよく見えるこの電話ボックスへと身を寄せた。十一月の雨は冷たく、そして痛い。待ち合わせから三十分が経っていたが、待ち人は一向に姿を見せることはなかった。藤井は小さくため息をつくと、ボソリと呟く。
「来るはず、ないんだよ。あいつは。」
だって、付き合ってる女の子と同じ日にちを指定したんだ、来るはずなんてない。
大事な話がある、とそう言って藤井は親友である高坂を呼び出していた。だが、その日は実は高坂が彼女と会う約束があることを、知っていたのだ。藤井は、賭けをしていた。
もしも、高坂が姿を見せたら告白する。見せなかったら、このまま諦める。そんな賭けをしていた。
藤井はずいぶん前から、親友の高坂に想いを寄せていた。いつから好きだったのかなんて分からないほどに。自分にはない逞しい胸に、腕に、男らしい姿に、最初は憧憬を抱いていた。だがそれはいつしか恋愛感情へと変化していき、つい最近高坂に彼女ができたと聞いたとき、心がぎゅうっと締め付けられるような気持ちになって初めて、好きだとそう気が付いたのだ。
「不毛なんだよ、そもそもさ。」
電話ボックスに雨のしずくが当たり、うすぼんやりとした景色が視界を覆う。雨が降ってきてすぐにここに避難してきたものの、藤井の茶色い髪からはしずくが滴り落ちてきていた。それがまるで涙のようにつう、と頬を伝い落ちていく。それを鬱陶しげに手の甲で拭うと、ガラス戸を背もたれにしてため息と共に天井を見上げた。そのまま外へと視線を走らせる。だが、視線を走らせた先には人影はなかった。
外はまだ、強く雨が降っている。
『俺、彼女できたんだ。隣のクラスの女の子でさ、ずっと前から俺のこと好きだったんだーって告られたんだぜ。今度の日曜日、デートするんだ。』
嬉しそうに言う高坂の顔が目に浮かぶ。藤井はつまらなさそうにため息をついて、『良かったじゃないか、高坂。』と返したものの、ぎゅうぎゅうと閉めつけられる心が痛かった。
『高坂? オレ、藤井。大事な話があるんだ……。近所の公園にさ、時間あったらでいいから来てほしいんだけど……。……無理ならいいんだ。』
日曜日の朝、藤井は高坂の携帯にそう、電話をした。電話の向こうで戸惑う高坂の声が聞こえたが、藤井はそれには構わずに一方的に電話を切った。ツーッツーッ、という音だけが耳に響く中、藤井は小さく息を吐いてから「……来るわけなんて、ないよな。」とぽつりと呟く。最初からそう、思っていた。
藤井はカクリと頭を垂れるとそのまま、今度は深くため息をつく。来るはずなんてない、とまるで呪文のように繰り返す自分の心があるのに、視線はどこかで高坂の姿を捜しているのだ。かすかにバシャバシャと水音を弾く音が聞こえると、すぐにそちらを見てしまう。慌てたように走り去る人々を見詰めながら、藤井はじわりと涙に潤む瞳をきつく閉じた。窓ガラスに手をついて、そのまま額をごつんとぶつける。藤井は今日で何度目か分からないため息をつくと、そのままずるずるとしゃがみ込んでしまった。
高坂を待ち始めてから、すでにニ時間が経とうとしていた。雨は降り止むけはいを見せない。通行人たちも傘を差し、雨に濡れることなくのんびりと歩いている。藤井はしゃがみ込んだままにぼんやりと上を見上げると、そろそろ諦めたほうがいいよな、と心の中で呟いた。
──そのときだ。
バンッ!
と、ガラス戸になにかぶつかる音がして、藤井は驚いたようにそちらを見た。びっくりした瞳はまん丸で、音のしたほうを見てさらに瞳を大きく見開いてしまう。あまりの出来事にぽっかりと開いてしまった口を閉じることも忘れたかのようにただ、音のしたほうを凝視した。そこには、びしょ濡れになった姿の高坂が立っていたからだった。
「バカヤロウ!」
電話ボックスの扉を開くなり、高坂が藤井を怒鳴りつける。藤井はその怒鳴り声を聞きながら、当然だよな、と心の中でそう思った。きっとデートを早めに切り上げてきたからに違いない、そのことで高坂は怒っているのだとそう、思った。藤井は小さく謝ると、そのまま高坂を置いて外へ行こうとした。だが、それは高坂の濡れた手に阻まれてしまう。
「行かせるかよ。」
唸り声にも似た低い声が高坂の口からこぼれて落ちた。藤井はその聞いたこともないような低い声に内心どきりとしたが、高坂の顔を極力見ないように俯いたまま、さらに力を入れて電話ボックスを出ようとした。
「だから、行かせねぇっつってんだろ。」
今度は両手で肩を捕らえられ、藤井は今度こそ動きを止めて高坂を見上げて小さく謝る。
「悪かったよ、だからそんなに怒らないでくれ……。デート、だったんだろ?」
「行くかっての、そんなもん。死にそうな声で電話してきたくせに、なに言ってんだか。」
怒った声で藤井を止めたかと思うと、今度は呆れた声が聞こえてくる。藤井が高坂の言葉に驚いて凝視する中、高坂は自嘲にも似た苦笑を浮かべた。
「近所の公園ってさ、お前ん家と俺ん家の合わせたら、いくつあると思ってんだよ。」
藤井は意外な高坂の言葉に、怪訝そうな表情になる。高坂は藤井のそんな表情を見て小さく笑みを漏らしながら、「五ヵ所。五ヵ所あるんだぜ? しかも俺ん家とお前ん家、近くねーよな。」今度は投げやりに言い放った。
「だってお前、今日デートだって言ってた……、」
驚きを隠せない藤井は、高坂の顔をさらに凝視してそう呟いた。
「そうだ、デートだったんだ。だけどな、お前のあの電話聞いたら、やっぱ行かなきゃって思うだろ。なんかしんねーけど俺、必死にお前探したよ。」
高坂がくしゃりと自分の髪をかきむしる。
「なんで俺ん家の近くにいるんだか……。お陰で遅くなっちまった。……で、大事な話ってなんだよ?」
藤井は高坂にそう言われて、どきりとしたように俯いてしまう。きっと来ないと思っていたから、言葉なんて用意していなかった。
「あ……。」
言いよどんで、藤井は言葉を探して自分の口唇に手を当てた。
「ないってことか。」
高坂が藤井からついと視線を外すと、そのまましずくの垂れる髪をかきあげる。その声色にどきりとした藤井は思わず顔を上げて高坂を見上げた。きっと嫌われる、そう思って。
「お前、俺のこと好きだろ。」
藤井の困ったような泣き出しそうなそんな表情を見た高坂は、意外にもにやりとした薄笑いを浮かべるとそう、囁いた。
「なんで知って……っ!」
「やっぱり、そうなのか? カマ、かけただけなんだけど……。」
またもや、にやりと笑う。
「ま、そういうところも可愛いよな。」
高坂は言いながらゆったりとした動作で、藤井の背中に手を回していった。藤井は訳が分からないままに高坂の胸へとすっぽりと収まってしまう。ぎゅ、と腕に力を込められて反射的に高坂の胸を押し返していた。
「なにする……っ!」
言葉はそのまま高坂の口唇へと飲み込まれた。
きつく口唇を吸い上げられて、離される。
呆然としたままの藤井を優しい眼差しで見詰め返した高坂は、「俺も、好きだって言ってんだよ。」と呟くともう一度口唇を重ねてきた。




