雪に消ゆれば。
サクサク、と雪を踏みしめる音だけが辺りに響く。周りを見渡しても一面がただの白に見えるほどの雪の中、羽村は無言のままにその中を歩いていた。どこをどう行けば目的の場所に辿りつくことができるのか、そもそも本当に己には目的の場所があるのか分からないままに、それでも羽村は歩きつづけた。
とうに指先の感覚は消え失せ、寒さのために頬が悴んでいる。それでも、羽村は構わずに歩きつづけた。ひゅう、と音を立てて凍て付いた風が羽村のむき出しの頬を撫でていく。とうに失ったと思われていたが、冷たい感触が羽村の頬に伝わった……。
上城中隊長が率いる一軍が、雪中行軍中に猛吹雪に見舞われ行方知れずとなったのは、ほんの数日前だ。捜索隊が出たものの、以前として行方は知れなかった。吹雪のために行軍の足跡さえもかき消され、上城中隊長の一軍はどこへ行ったのか、どこを目指していたのか分からなかった。吹雪は三日三晩収まることは無く、一軍はすでに絶望視されたのだ。これ以上の捜索は無意味だ、と。
羽村はその捜索隊の一員だった。どんなに探しても、上城中隊長の一軍の痕跡は見当たらなかった。吹雪がひどいために痕跡は雪に隠されてしまったのだろう。捜索隊の指揮官は、絶望視したのだ。『これ以上の捜索は、我々にも危険が及ぶ。』と、告げられたときの羽村の心境はいかばかりか。
ざわざわとどよめいた捜索隊だったが、しかし指揮官にはなにも告げることはできなかった。『優秀な隊を失ったことは、我が軍にとっても非常に痛手である。』と、捜索隊の一員がなにかを言う前に、そう、言ったからだ。これはつまり、幹部が上城中隊長の率いる一軍を絶望視してしまったからだと、羽村は感じた。だが、羽村は遺留品さえも見つからないことにわずかながらの期待を抱く。もしかしたら、上城中隊長はどこかで生きているのかもしれないと。だが、一寸先さえも見えない吹雪の中で遭難してしまっては、助かる見込みは少ないことも知っていた。
羽村は一人でも、上城中隊長を探しにいこうとそう、決心した。
羽村の耳にはいまでも、出発前に残した上城中隊長の言葉が残っている。
心配そうに見上げた羽村の髪を優しく撫でて微笑むと、普段は屈強な上城中隊長が気さくな表情になる。その笑みを浮かべて上城は言ったのだ。
『必ず、戻る。』
と、そう……。
羽村はそれを信じ、そして待ちつづけた。だが、上城は戻ってはこなかった。
羽村は上城の言葉を思い出しながら、頬に伝う冷たく冷えた己の涙に気がついた。いつからこうして自分は泣いているのだろう。いつからこうして、自分までも上城の生を疑っているのだろう。氷のように冷たくなった指先で、羽村は流れ出る涙を目元から拭った。
羽村はすでに、上城の軍からの連絡が途絶えたと思われる山の中腹まで来ていた。降り返ってもすでに町の明かりはすでに確認することはできなかった。
ひゅう、と音を立てて風が吹きぬけて行く。風と共にハラハラと小さな粉雪が舞い散り始めた。
山の天候は変わりやすいのだ。
もしかすると、これから吹雪き出すのかもしれない。羽村はふとそう思う。だが、いままで歩いてきた道を引き返す気にはならなかった。上城のことを思うと、引き返す気持ちなど微塵も沸いてはこない。それどころか、さらに山の奥深くへと足を進めていった。もしかすると、どこかで上城中隊長の痕跡があるかもしれないと、そう、かすかな期待を胸に抱いて。
一層に雪が激しさを増してくる。空を見上げても、漆黒の闇に白い粉が舞う景色しか映ってはこなかった。羽村は小さく息を吐くとふと、己の来た道を振り返ってみる。点々と続く足跡はすぐに、吹雪き始めた雪によってかき消されていった。羽村はそれをきゅ、と下口唇を噛み締めてただじっと見詰める。足跡のように自分も、もしかすると上城も、こうして消されてしまうのだろうか。そんな思いが心に浮かぶ。
冷たい白の粒が羽村の頬に当たっては溶けていき、そしてすぐに凍り付いていく。羽村はとうに感覚の消えた指先でもう一度、己の頬を拭った。
「上城中隊長……。」
小さな呟きは、ほんのわずかな距離さえも届きはしない。『びゅおぉおお』、という風の音によってすぐにかき消されてしまうのだ。
視界さえもはっきりと映らなくなってきた羽村は、何度も感覚の薄れた指で瞳を拭う。だが、荒れ狂ったように降りつづける雪に阻まれて、羽村はどんどん視界を失っていった。
それでも羽村は、ただ前に突き進んでいった……。
羽村はすでに見えなくなりつつある視界の向こうに、見慣れた色をした布の切れ端と思われるものが雪に埋もれているのを不意に見つけた。自分のものではなくなってしまったような足で必死にその場所へと走って向かう。だが、雪に足を取られて思うようには進めない。それでも羽村は懸命にその場へと向かって言った。
「上城中隊長……?」
羽村の口からはらりとこぼれ落ちた言葉。雪に埋もれたその布の切れ端をたどるように掘り当てた先には、見慣れた見覚えのある、指先が見えたのだ。とうにその指には生気がまったくなく、それどころか長い間に雪に埋もれていたとでもいうように指先は冷たく凍り付いている。だが、羽村はその手を見間違うはずがなかった。
その手は、上城のものだったのだ。
かじかんで動かない手で、羽村は必死に雪を掘りつづける。冷たさに痛み、固く凍り付いた雪を素手で、何度も何度も掘り返す。指先には血がにじみ、掘り返される雪には羽村の手から流れ出した血がこびりついていた。
がつっ。
雪とは違う感触が羽村の手に伝わってくる。恐る恐るそれを覗き込んだ羽村の瞳は、それを見た瞬間にぶわっと湧き上がるかのように涙がにじんだ。
そこには、上城中隊長の、固く凍ってしまった顔があったのだ……。きつく瞳を閉じて、まるで眠っているかのような上城の表情。羽村はその上城の顔を見詰めながらハラハラと大粒の涙をこぼした。
「……か、上城中隊長……、私もあなたの元へ──。」
体温を失って固く凍った上城の頬にそっと手を当てて、羽村は涙に詰まりながら小さな声でそう呟いた。呟きながら、ゆったりとした動作で上城の口唇へとそっと己の口唇を重ねていく。冷やりとした感触、ごつりとした感触が羽村の口唇へと伝わっていった。
羽村は口唇をそっと離すと、愛しい人を目の前にして、力尽きたように身体を横たえたのだった。
雪は降る。
まるで二人の身体を覆い隠すかのように、冷たい雪は降りつづける。




