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夏のおとしもの

 ぼんやりと空を見上げたら、今日もとっても良い天気だ。さんさんと光り輝く太陽の光はじりじりと肌を焦がしてしまいそうなほど強いけれど、柏木悠太はそんな夏が好きだった。自転車を飛ばして、部活へと急ぐ。中学生になって初めての部活動、バスケ部だ。身長が低いからというコンプレックスを挽回するべく、今日も悠太は元気だ。その、道すがら。ぼやり、ゆらゆらとまるで陽炎のように黒の影がちらちらと見え。悠太はそろそろお盆が近いことを思い出した。悠太はいわゆる霊感が強いという人間だ。今年二十歳になる兄貴といえばあっけらんとした性格で、小さくて華奢なわりにはとても豪快だった。そんな兄には見えたことのないものが、悠太には見えるのだ。まあ、家族に言ったらそんなものは見えないのだ、と否定されるだろうから、ひと言も言ったことがない、物心がついてからは。

 それが、目の前でゆらゆらと揺れる。だんだんと人の形になってよく見てみれば、それは知人に似ているような気がした。


「もしかして、川越さん?!」


 そんなことはあって欲しくない、そう思っていただけにショックは大きい。川越、というのは兄の昔の親友だ。秋から冬にかけての長雨で増水した川に転落した子供を助けようとして、死んでしまった人。その当時の兄は本当に後追い自殺をしてしまうんじゃないかと思うほどに、げそりとやつれてしまって、かわいそうで仕方がなかった。もう、吹っ切れたよ、そう笑い顔を見せたのは半年も経ったくらいか。写真だけはいまでも机の上に飾ってあって、決して忘れない、そう言っているかのようにも見えた。


「正解。悠太くん、俺が見えるんだ?」


 知ってる笑顔、あっけらかんとしたように見えて、実は巧みにいろんなことを隠しているんじゃないかと思わせる、笑顔。その明るさはまるで幽霊だとは思わせない明るさだ。本当に彼は二年前に死んでしまったのかと疑いたくなってくるほどだった。


「な、成仏してないのかよ?!」


 悠太は二年前に出席した川越の葬式を思い出す。学校のクラスメートとか知人とかたくさん来ていたっけ。兄と一緒に焼香に行ったこともしっかり覚えてる。


「成仏、できないんだ。未練があるんでね。」


 ふ、と浮かべられた笑顔が淋しそうだった。あれから二年もこうしているのかと思うと、悠太はなんだか川越がかわいそうになる。同情とかつい、してしまいそうだ。だけれど、それは思い直す。当時悠太は十一歳、まだまだお子様だった悠太を、川越はいろいろとからかってきたりしたものだ。今にして思えば、あれは少しえげつない。


「んじゃ、消化すりゃいいだろ。」


 じゃ、俺、幽霊とは関わり合いたくないから、片手を上げて自転車のペダルに力を入れる。幽霊に関わっていたら部活に遅れる。悠太はすっぱりと川越を切り捨てた。しかし、自転車は前に進まずその場にとどまってしまう。背後になにかを感じて振り返ってみれば、後ろには川越が座っていた。おなかの辺りをしっかりと掴んで、離さない。その手は肉感のあるしっかりとしたものだった。とても、幽霊だとは思えない。


「大きくなったね、悠太くん。啓太にますます似てきた。」


 とん、と背中に川越の額が当たった。まるで当時を思い出しているかのように思えたけれど、川越にも二年という時間があったのだろうか。実感する二年間と川越の感じた二年間は違うかもしれないけれど。啓太、と兄の名前を呼ぶ声がどこか切なくて。悠太は自分の胸元をぎゅ、と掴んだ。


「兄ちゃんのほうが、もっと小さいぞ。」


 まあ確かに。小学校でバスケをやっていて中学に入ってもバスケをしている悠太と、もともと運動が苦手な啓太とでは体格もずいぶんと変わってきた。それでも、どこか面影はあるのだろう。兄弟なのだから、似ていても不思議はない。


「知ってる。啓太は小柄だったからね。」


 やっぱり。啓太、と兄の名前を呼ぶ川越はどこか切なそうだ。昔の話だと言い切るにはまだ、時間が足りないのかもしれないし、それとも、彼の時間は二年前で止まっているのかもしれない。はあ、と大きなため息をついて、悠太は後ろを振り返る。降りてくれ、そう言おうとして言葉を飲み込んだ。声だけを聞いていたら、そんなに落ち込んでないように聞こえたのに。川越の表情は悲しさと懐かしさを足したような、言葉には表現しにくい表情をしていたのだ。


「悔いがあるなら、さっさと済ましちゃえばいいだろ。」


 あはは、悠太の言葉に川越は笑いをこぼした。さっさと済ませられるなら済ましているよ、ごく当たり前のことを返されて、悠太は言葉を失ってしまう。


「俺はもう、死んでしまったからね。」


 しっかりとその事実だけは受け止めているようだった。死んでいる、そう分かっているのに思い切れない思いとは、いったいどれだけ深いものだったんだろう。川越が誰を好きだったのかは知らないけれど、それだけ深い想いを持っていたのなら、いまからだって告白してしまえばいいのに。思ってから、悠太は、は、とした。好きだと言った相手が、もう、この世にはいなかったのならそんなこと言って欲しくない、と思うことに気がついたのだ。


「好きだけど、言えないんだよ、もう、俺は。」


 ひと言ひと言を噛み砕くように、ゆっくりと。まるで自分自身に言い聞かせているかのような、そんな言葉だった。諦め切れない想いが胸に積もって、きっと川越は苦しいのだろう。言いたくても言えない言葉が咽喉に詰まって、苦しいんだ。悠太は、そう思った。そして、悠太はまだ、そんな激しい想いを感じたことはなく、背中に張り付いたままの川越に声を掛けた。


「それが、心残りなのか?」


 返事は、背中に伝わるごつり、という感触。それは、イエスということなのだろう。


「勝手な言い分だよね、ほんと。」


 背後で小さく笑う声がした。恋をして恋をして、辛すぎるほど想いを隠して。そういった想いは未練となって残ってしまうのか。せめて伝えることができればいいのにね、吐き出された言葉は痛々しかった。伝えることができたならどんなに良かったのかな、続けて吐息とともに零れ落ちる。また頑張ればいいよ、とか、そんな言葉が思いついたけれど、いまさらそんなことを言っても始まらない。川越の人生はすでに二年前に終わってしまっているのだから。


「ただ、ひと言、伝えたいだけなんだ。」


 いまさらなんだけど。かすかに湿った声がして。泣くほど好きだったならもっと早くに伝えれば良かったんだ、と悠太は思う。思うけれど、悠太はまだそこまで人を好きになったことがなくて、それは言えない。だって川越の声は切々として悲しそうだったからだ。いまはただ聞いてあげるべきなんだろうな、悠太は小さく思った。


「………僕はね、ずっと、初めて会ったときから、啓太が好きだったんだよ。」


 しばらく躊躇った後、ため息とともに吐き出された言葉は、なんとなく察しがついていた。


「啓太しか、見えていなかったんだ。」


 相槌を打つように、悠太が頷いた。


「いまさら諦めるなんて、できないよ。」


 できれば連れて行きたいけれど、それは俺の本意じゃないし。でも、好きだってひと言伝えられれば良かったのにね。

 背後から続く声はどこまでも切なくて。悠太は知らず知らず泣いていた。頬を伝う涙があごから落ちて。ペダルにかけていたひざに、ぽたりと落ちる。きっと兄ちゃんも川越さんのことが好きだったと思うよ、咽喉まででかかった言葉だけれど、いまさら伝えるのも酷のような気がして、言えなかった。


「ごめんね。」


 きみに伝える言葉じゃないよね、そう小さくつぶやいたかと思うと、背後に居たはずの川越が消えていて。早く天国に行けるといいね、なんて悠太は思い。部活から帰ったら兄を連れて墓参りにでも行くか、と考えながらペダルを漕いだ。


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