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茜色の空の向こうに(鈍色の空を見つめて 続編)

『俺がずっと好きだったのは、お前だよ。瀬宮。』


 この言葉を残して、楠木は空へと消えた。




 学生時代からずっと親友だと思っていた。どんなことも平気で言えたし、情けない姿も見せることができた。失恋したら必ず楠木の部屋に行って、酒を飲みながら愚痴を言ったり泣いてしまったりもした。それだけ、楠木は俺にとって大切な親友だったのだ。

 なんでも言い合える仲だと思っていた、ずっと。いきなり告白されるまでずっと、楠木は遊び人だと思っていたし、どうしてなのか分からないが、このまま彼は誰とも真剣に付き合わないような、そんな気さえしていたのだ。どこかでは、もしかするとずっとこのまま自分の傍にいてくれるのではないか、なんても思っていた。

 そんなこと、あるわけがなかったのに。


 突然の口付けと告白に、少なくても動揺したのは事実だ。だけど、楠木を否定する気持ちなんて少しのなかった。だた、驚いただけなのだ。初めて触れた口唇が思いのほか熱くて、それを嫌だと思わなかった自分が居て。だけど、俺を突き放してちらりと見せた横顔はひどく痛かった。

 どきりとした口唇の感触を拭い去りたくて、手の甲で自分の口唇を拭った。思い切り。

 楠木の瞳がわずかに泣き出しそうにゆがみ──、すぐに背を向けた。

 そしてそのまま上着を引っつかむと、そのまま、玄関から外へと飛び出していった。

 俺は、ただぼんやりと楠木のその姿を見ていただけだった。止めることさえ頭には思い浮かばずに、ただ、まるで固まってしまったかのように、立ち尽くしていただけだった。


 乱暴なバイクの音が突然響いたかと思うと、そのまま走り去っていく。


『俺、バイクはあまり乗らないんだ。我を忘れてしまうんだ、走ってるとさ。気持ちよくて。だから、あまり乗らないんだ。』


 にこりと笑みを浮かべて、いつだったか楠木が言っていたことを思い出す。むしゃくしゃしてるときしか乗らない、ってそう小さく続けていた。


「待っ──!」


 俺はなにを言ったのか分からないままに、金縛りから解けたようにはじかれて、外へと飛び出していた。


「待ってくれ、楠木。」


 そう、言いたかったのかもしれない。

 だけど、バイクのテールランプさえすでに、見えなくなってしまっていた路上に突っ立ったまま、俺はいつまでも楠木が走って行ったのだろう道を見詰めていた。

 最期に見た楠木の、辛そうな表情は忘れられない。




 楠木が事故死した、という知らせを受けたのは、翌朝、出社してきてからのことだった。昨日、楠木と口論をしてしまった故の気まずさから、なるべくなら楠木とは顔を合わせたくないと思ってはいた。だけど、課長の言葉はにわかには信じることができず、俺は全身の血液が一気に冷えていったような感覚に陥ってしまったのだ。


「昨日、楠木くんが事故死した、と親御さんから連絡が入った。バイクで、飛び出してきた動物を避けて転倒したらしい。通夜は……。」


 課長の声がだんだんと遠くのほうに掻き消えていく。


『事故死』


 その言葉が耳の奥でこだました。


『むしゃくしゃしたときしか乗らないんだ。』


 あのとき、なんで無理にでも止めなかったのか、止められなかったのか。俺は自分を責めた。飛び出してきた動物を避けて、なんて楠木らしかったけど。でも。


「瀬宮くん、大丈夫?」


 声を掛けられてどきりとした。心配げに覗き込んでいたのは隣の席、事務の女の先輩だった。頬に伝う温かな感触に気が付いて、慌てて目元を拭う。


「はい──。」


 目元を隠しながら小さく返事をした俺だったが、涙を止めることはできなかった。




『俺がずっと好きだったのは、お前だよ。瀬宮。』




 楠木の声がいまだ耳に響いていた。

 楠木の死に顔はとても綺麗で、死んだようには見えなかった。もしかして寝ているのではないだろうかとさえ思うほどに、静かに瞳を閉じている。うっすらと青い頬に手を寄せて、体温を確かめてみたけど、ひんやりと冷たい感触が伝わってきた。

 その瞬間に、ぐ、と堪えていたはずの悲しみが込みあがる。じわりと視界がゆがみ、ぼたりと大粒の涙がこぼれて落ちた。


『泣けよ、悲しいときは泣くのが一番だからな。……恥ずかしくなんてないだろ? 俺がいるんだから。』


 失恋して、がっくりとうなだれていた俺を、楠木はいつもそうやって慰めてくれていた。泣いていいぞ、と言われてから俺はようやく泣けるのだ。悲しいと、初めて言えたのだ。


 楠木、俺は泣いていいのか?

 お前を失って、俺は泣いてもいいのか?


 こぼれる涙は頬を伝って。

 受け止めてくれる手のひらを失って。

 いつまでも止まらない。


 泣き方を教えてくれた楠木は、俺に泣き止み方を教えてはくれなかった。

 だから俺は、どうやって涙を止めるのか、知らない。

 楠木がいなくなって初めて──、俺は俺の中にいた楠木の大きさを知ったのだ。

 誰よりも楠木を必要としていたのは俺だと、気が付いた。楠木の優しさに甘えて、どこまでもすがって、最後は傷つけた。

 目の前にいる楠木は、穏やかな顔をしていて、でも、二度と微笑むことはない。


『俺がずっと好きだったのは、お前だよ。瀬宮。』


 いつまでもその言葉が耳に響く。

 最後に聞いた楠木の声。


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