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空に浮かぶ星

 ひやりとした空気が深谷の身体を包み込んだ。すでに太陽は沈み、暗闇が辺りを覆っている。深谷は冬の冷たい空気に澄んだ空を見上げて、ふと小さく白い息を吐いた。

 濃紺の空の表面に漂うように、グレーに染まった雲がゆったりと泳いでいく。その向こう側、ごく薄く、小さく光る星を見つけて、深谷は思わずその星のひたむきな色合いに瞳を奪われた。

 白と青が交互に点滅している。その光は本当に小さくて、よく瞳を凝らしてみないと分からないほど薄かったのだけど。なぜか。深谷にはひどく気になった。あの星の瞬きがなにかに似ているような、そんな気がして。


 深谷は星を見上げたままにふと、思うのだ。

 あの星、何万光年くらい前の光なんだろう、と。


 もしかしたら、地球が羽化する前の輝きがいまやっと、こうしてこんな遠いところまで届いたのかもしれない。そんなことをふと思う。

 もしかしたら生物が住んでいるのかもしれなくて……と考えてから、苦笑に顔を歪めた。まるで、あいつのようだと、自分が自分でおかしくなる。あいつ、芳澤だ。

 化学の教師のくせに、宇宙人とかの存在を信じているのかいないのか分からないところがある芳澤を思い出して、深谷は小さな笑みを浮かべてしまう。

 穏やかな口調で物事を話し、めったに感情をあらわにしない教師と共に時間を過ごすのは、深谷は嫌いでなかった。どちらかといえば、好きなのだ。例えば芳澤の同僚であろう教師の文句を言ったところで、なにも言わない。ただ黙って聞いている。そして、深谷が言葉を切ってからしばらく後、ゆったりとした口調で「もう、気が済んだのか?」と聞いてくるのだ。普段ならとても腹立たしい言葉のはずなのに、めがねに透ける柔らかな眼差しでそう言われると、苛立ちが削がれるのだ。しゅしゅしゅ、と一気に小さくなって消えてしまうかのように。


「あ、いや。うん。まあね。」


 憤った気持ちは一気に消えてなくなって、それ以上の言葉は出てこなくなってしまう。芳澤はその言葉を聞くとゆったりとした笑みを浮かべて、「そうか。気は済んだのか。」小さく言葉を呟くように言うと、深谷の前に湯気の立ったコーヒーカップを置くのだ。


「飲みなさい。」


 にこやかな声に彩られた湯気の向こうの顔が、さらに笑みを濃くしていく。どきりと、小さく鼓動がなるのだ、いつも深谷は、この瞬間に。

 コーヒーカップの中身はいつも一緒だったけれど、でも、温かさも変わらなかった。黄色い色のコーンポタージュ。インスタントなのだけど、本来ならあまり口にしないものなのに。でも、芳澤に差し出されるとつい、手が出てしまう。


「先生さ、俺がいつもここにいて、迷惑じゃないの?」


 コーヒーカップを両手に持ったまま、スープの熱さに頬を赤らめた深谷がついと眼差しを向ける。その眼差しの中で芳澤はめがねの奥にある瞳を細めると、小さく首を振って答えてくれる。


「いや、迷惑じゃないよ。むしろ、嬉しいくらいだな。担任でもないのに、こうして来てくれるなんてね。」


 悪戯めいた笑顔にほんわりと微笑まれて、深谷もつられて笑みをこぼす。そうして、穏やかに時間は過ぎていくのだ。

 夜、暗くなってくると芳澤は窓脇に立って空を眺め始める。

 いつのころからだろう、それがとても気になりだしていた。深谷もそれに習うかのように窓枠へと手を突いて空を仰いで見るが、星以外はなにも見えなかった。

「なあ、なにが見えるんだ?」


 深谷の疑問にゆったりと振り向いてくれる、その優しささえ好きなのだ。


「ああ、星を眺めてるんだ。もしかしたら、あの輝きのどれかには、こうして自分と同じように空を見て、生命体がいるかもしれないなーと思う宇宙人がいるんじゃないかと思ってね。」


 その言葉は冗談のようにも聞こえ、でも、本気のようにも聞こえ、深谷は言葉に詰まってしまったのだ。


「化学教師のくせに、宇宙人なんか信じるのかよ。」


 しばらくの沈黙後、深谷は笑い混じりに小さく返した。その後、芳澤は肯定も否定もなにもせず、ただ静かに笑っていただけだった。




 青く白く瞬く星を見ていた深谷は、出掛けていた校門の前で足を止めた。もしかしたら、いま振り返れば芳澤も同じ星を眺めているのかもしれない。そう、思ったからだ。

 足早に校舎に戻って化学室の窓を見上げてみる。そこに、白衣を身にまとった芳澤の姿を見つけて、深谷は嬉しさに溢れそうになった。だが、次の瞬間には声をかけようとしたその手さえ止まってしまう。

 かすかに闇にまぎれて見えた、芳澤の表情に気が付いてしまったのだ。


 なにかを追い求めるような、それとも失くしてしまったなにかに悔いるような。そんな表情をしていて。かけようとした声はそのまま深谷の身体の中へと戻っていく。

 辛そうに眉をひそめた芳澤の表情は、いままで知らなかった。穏やかに微笑むだけの顔しか知らなかった。ちくりと痛んだ胸の奥にあった感情がなんだったのか、深谷はその瞬間に悟った。

 そしてまた、芳澤が星空を眺めてなにを求めていたのか、なにを失くしてしまったのか、なんとなく分かってしまった。


 深谷はそのまま芳澤に声をかけることもなく、校舎に背を向ける。


 ぎゅ、とかみ締めた口唇と、いまにも泣き出してしまいそうなほど弱々しい瞳をしたままに。とぼとぼと歩き出してはみるものの、深谷はもう一度校舎を振り返って芳澤を見た。

 さきほどと変わらぬ表情をして空を見詰める芳澤の姿が、そこにはあったのだ。


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