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触れたい口唇(雨。の続編)

「よう。」


 軽く背中を叩かれて、高坂は声を掛けてきた背後へと振り返る。そこにいるのは、高坂の元親友でいまは大切な恋人だった。


「藤井か。」


 気持ちとは裏腹に、がっくりとした声が出てしまう。藤井はそんな高坂の声を聞くなり、突然不機嫌になった。むっとしたように眉根を寄せて、ふいとそっぽを向く。そんな動作のひとつひとつが高坂にはかわいらしく取れて、思わずクスリと笑い声をたてた。


「なんだよ。なにがおかしいんだよ。」


 むっつりとした声が高坂を責め、藤井は怒ったように先へと歩き出す。


「ま、待てよ。」


 高坂は慌てて後を追い、藤井の肩を掴む。どきりとするほどに、細い肩。思わず抱き締めそうになるが、さすがに天下の往来、学校への通学路、ここではそんなことはできるはずがなかった。


 あの日以来、高坂と藤井はまるで親友のように接していた。お互いに隠し事があるかのように。夢とも思いそうなくらいに高坂も藤井も、あの日のことを一言も話せないでいる。言葉にしたら崩れてしまいそうで、歯止めが利かなくなりそうで。高坂はただじっと藤井の行動を見守るばかりだった。

 好きだと言ったはずなんだよな、キスしたはずなんだよな。そうは思うものの、あのとき本当にキスをしたのか、高坂自身にその自信がない。あれから藤井はなんの変わりもなく高坂と接してきていたし、高坂も同じだった。だが、触れた口唇の感触だけはやけに生々しく残っているし、携帯にもあの日藤井からの呼び出された着信の履歴が残っている。

 夢じゃ、ないんだ。

 高坂は困ったようにがりがりと頭を掻いた。


「なあ、お前、彼女どうした?」


 藤井が振り返りざまに高坂に問う。


「フラれたよ、知ってんだろ?」


 高坂は投げやりにそう答え、藤井の肩を背後から捕らえた。びくりと揺れた藤井の肩を逃げないように抑え込むと、「お前、知ってんだろ?」と耳元にぼそりと囁いてやった。

 そのとたん、頬を真っ赤に染めた藤井が力の限りにバシンと高坂の手を払い除ける。


「いでっ!」


「自業自得だ、バカヤロウ!」


 藤井は赤らめた頬をそのままに、振り返りざまに高坂を睨みつけると、そう言って走っていってしまった。高坂は叩かれた手の甲をぷるぷると振り、「忘れてるわけじゃねぇみたいだな」とぼそり呟いて、先へ走って行ってしまった藤井の後を追った。




 のどかな昼休み、高坂は一人屋上で昼ご飯を食べていた。空はこれまた天気の良い爽快な青を放っており、眩しいくらいだ。高坂は手にしていたサンドウィッチを食い千切ると、そのままもぐもぐと口を動かしながらばたりと仰向けに倒れて空を見上げた。

 ちくしょう、綺麗に青いじゃねぇか、と悪態を吐きたくなるようないまの心境の高坂は、面白くないとでもいうようにふいと横を向いて瞳を閉じる。朝の一件以来藤井は怒ってしまったのか、高坂のほうを見ようともせず、結局昼ご飯に誘うことができなかったのだ。声を掛けようとして、ふいとそっぽを向かれた瞬間を思い出した高坂は、ふたたびむっとしたように「忘れたフリしてるほうが悪いんだよな……」と小さく呟く。だが、耳を真っ赤にして怒る藤井があまりにもかわいそうに思い、謝るべきなのだろうかとも思えるのだ。高坂はつれない態度を取る藤井に対して怒りを感じるものの、どこかで自分のしていることに対しても大人気無いと思っていた。

 しかし、高坂には高坂の言い分があったのだ。好きな人間に触れたいわけがないと忘れられたフリをされるほど、辛いことはないと。高坂はその歯痒さを感じ、苛立ちを隠せないのだ。

 高坂は藤井をできるだけ傷つけないようにしたかったのだが、一動一句に藤井は過敏に反応を示す。そのたびに高坂の中で藤井への想いが苛立ちと伴って大きくなっていくのだ。


「好きなやつに触りたいってのは、当然だろうが。」


 ぼそりと呟いて高坂は、午後の授業をサボることに決めたのか、そのまま瞳を閉じると寝始めてしまったのだった。


 午後、授業が始まる時間になっても姿を見せない高坂に慌て、心配をし始めたのは藤井だ。一緒に飯を食おう、という誘いを無言のままに断ってしまい、それからふいと高坂は姿を消してしまったのだから。まさか、帰ってしまったのだろうか、そんな気持ちが一瞬湧いては消えていく。チャイムがなっても高坂は姿を見せることは無く、藤井はまんじりともせずに授業にのぞんだのだった。


「ちくしょう、なんだってあいつはいつも俺を心配させるんだ。」


 授業が終わってもなお姿を見せようとはしない高坂に、わずかながら苛立ちを感じながらも心配を隠せず、藤井は急いで教室を飛び出していた。いつも二人で昼飯を食べる場所をくまなく探していく。だが、どこにも姿は見当たらなかった。

 藤井は内心焦っていた。事あるごとに自分に触れてこようとする高坂を冷たくあしらってしまっていたからだ。もしかすると、そんな自分には呆れてしまったのかもしれない。いや、ただたんに眠り惚けているだけかもしれない。そんな思いがぐるぐると渦を巻く頭を抱えて、藤井は高坂を探して歩いたのだった。




「このバカヤロウ!!!」


 藤井が屋上へと足を向けると、高坂の安穏とした寝姿が視線に飛び込んできた。その瞬間に心配は怒りへと変わり、藤井はそのまま高坂へと怒鳴りつける。その声に驚いた高坂は飛び上がらんばかりに驚き──、苦笑を浮かべて藤井を見上げた。


「ずいぶんと手荒な起こし方だな。」


 ばりばりと頭を掻いて藤井を見上げた高坂は、顔を紅潮させて怒りを露にしている彼に向かってぼそりと呟いた。そして続けて「なんてーかさ、もっとこう、優しい起こし方があるだろう?」言いながらにやりと含んだ笑みを浮かべて見せた。その瞬間に怒りで赤く染めていた頬を、今度は違う理由で紅潮させてしまう藤井である。高坂はそんな藤井を見るなり、そっと彼の手を引いて自分の隣へと座らせた。そしてそのまま抱き寄せてしまう。


「ばっ、ちょ、なにするんだよっ!」


 突然のことに慌てた藤井が、もがくようにして高坂の手から逃れようとする。だが、高坂はやっと腕の中に抱き寄せた藤井を離すはずがなかった。


「離せよ!」


 さらにもがく藤井の耳に口唇を寄せると高坂は、「安心しろって。誰もきやしねぇよ。」と言ってにやりと笑みを浮かべてしまう。藤井はそんな高坂に言葉を失うようにして黙り込むと、渋々といったようにもがくことをやめた。


「誰か来たらどうすんだよ。」


 むすりとした口調で藤井は最後の抵抗と言わんばかりに呟いてみせたが、それはあっさりと高坂に無視された。嬉しそうに笑みを浮かべて藤井を抱き寄せる高坂を見ていたら、抵抗する気にもならなくなり藤井は観念したように瞳を閉じる。瞳を閉じた藤井の頬に高坂のごつごつとした手が触れ、そのまま引き寄せられた。

 ちゅ、と小さな音をたてて藤井の頬に触れた高坂の口唇は、今度はおずおずと藤井の口唇へと触れ合わせられる。触れるか触れないかくらいの感触が何度も口唇へと伝わった。藤井は何度も触れ合わされる高坂の口唇に酔わされたかのようにうっとりとし、もっと触れて欲しいと強請るように高坂の腕にしがみついてしまう。

 高坂は藤井の指の感触を腕に感じた瞬間に、ぐ、と藤井を抱き寄せると噛みつかんばかりに口付けをした。まるでそのときを待っていたかのように。


「藤井、逃げるなよ。」


 ボソリと呟きながら高坂は、それでもなお藤井を離すことはしなかった。


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