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出征の日

「出征はいつだ。」


 重々しい言葉が靖章の口からこぼれた。どきりとして智之が靖章のほうを見ると、青白い顔をしてただ黙って俯いている。


「三日後だ。」


 智之は無骨に答えた。だが、靖章はそれには構うことなく、「そうか。」と呟いたきりなにも言うことは無かった。




 智之がはじめて靖章を見たとき、女性かと思うほどに色が白くそして華奢だった。ふうわりとした笑みを浮かべると、靖章は消えてしまいそうなほどに儚げだったのだ。だが、智之はすぐになぜかを知ることになる。靖章は肺を患っていたのだ。コンコンと何度も咳をし、ときには鮮血を吐いていた。そのうちに靖章は床に伏せるようになり、いまでは蒲団から身体を起こす程度になってしまっていた。


『俺はもう、長くはないんだ。』


 そう微笑みを浮かべる靖章を、智之は何度励ましたことか。以前は軍に所属していたが、肺を患ってしまったために除籍になってしまった靖章は、ときには厳しい視線で戦禍を告げるラジオに耳を傾けた。

 だんだんと戦禍は厳しくなる一方で、次々と一般の市民が徴兵されていく中、とうとう智之も徴兵命令が下された。

 智之は靖章にはすぐにそれを報告することはなかった。おりしも、神風特別攻撃隊が出陣した翌日だったからだ。だが、智之の言動で行動で、靖章に見抜かれてしまったのだ。


「出征、か。」


 蒲団から身体を起こし、肩に着物を掛けた靖章が智之を見ることなく、小さな声でそう呟いたのだ。ポツリとこぼされた言葉に、智之は愕然となった。隠し通したつもりでいたからだ。できればなにも告げずに発ちたかった。智之は笑みを浮かべようとしたができず、小さく頷いていた。


「ああ。」


「……そうじゃないかとは思ったんだ。お前の行動は今日、どこかおかしかったからな。」


 言いながら小さく笑みを浮かべた靖章は、どこか悲しそうで。智之は二の語句が告げなかった。そのまま黙って靖章を見ると、いつも青白い顔がさらに青白く見える。ぎゅう、と締め付けられるよう胸の痛さに智之は靖章をただじっと見詰めた。障子の向こうから淡く入る日差しに照らされた靖章の横顔は、言葉にならない思いが詰まっているように思えて、智之はなぜか強張る手で彼の頬に触れた。常人よりも低いと感じられる体温が、やんわりと伝わってくる。


「日本は、負けるぞ。」


 靖章は頬に触れた手の感触に、は、としたように顔を上げると智之を見詰めた。


「……知っているさ……。」


 靖章の言葉に、智之は苦笑を浮かべると、小さく答えた。


「なら、なぜ命令に従うんだ?」


 頬に触れたままの智之の手首を強く掴むと、靖章は声を詰まらせた。すがるような瞳の中で智之が言葉にならないというように俯いて、きゅ、と口唇を噛み締める。靖章は智之の手にいとおしいとでもいうように頬を寄せた。静かに閉じた瞳からつう、と一筋の涙が伝っていく。智之はそれを見て、素直に綺麗だと思う。靖章がかすかに震えており、それが掴まれた手首を通して伝わってくる。智之は目の前で静かに泣く男がなによりも愛しいとそう、感じていた。どんなことをしてでも、守りたいと。


「命令は、絶対だ。」


 智之は辛く込み上がる気持ちを精一杯に飲み込んで、押し殺した声でそう呟いた。靖章にもそれは分かっていた。だが、敢えて、目の前にいるこの男を死なせたくはなかったのだ。智之の言葉に、静かに瞳を開けて靖章は、ぽたりとこぼれる涙を拭うこともなく、ただはらはらと泣いた。瞬きをするのも惜しいというように、靖章は智之を見詰めた。


「もっとよく、顔を見せてくれ。」


 これが見納めだと言わんばかりに靖章は智之の顔を引き寄せる。互いの息が間近に感じられるほどに顔を引き寄せられ、智之は困ったように靖章の肩に手を置いた。折れそうなほどに細い肩に、わずかにどきりと胸が締め付けられる。


「靖章……。」


 智之はその肩を引き寄せると、そのままぐいと自分の胸へと抱き入れた。靖章はそれに驚いたものの、抵抗はない。ただおとなしく智之の腕に抱かれていた。きつく抱き締めて、その肩口へと顔を埋める。靖章の肩にじわりと温かいものが伝い、それが智之の涙であることを悟った。


「智之……。」


 靖章は小さく口にすると、おずおずと彼の背中へと手を回し、力を込めて智之を抱き締めた。智之の背中に細い指先が伝い、ぎゅ、ときつく抱き締めてくる。

 互いをきつく抱き締め合い、そのまま智之は靖章を蒲団へと横たえた。かぶさるようにして靖章を見下ろすと、涙がつうと伝って落ちていく。それにつられるかのように智之は靖章の目尻にそっと口付けを落とした。そのまま、智之は靖章の口唇へと口付けをする。柔らかな感触が口唇に伝い、智之は夢中で何度も繰り返した。


「とも……ゆき……。」


 呼吸もままならないほどに性急な口付けを受けて、靖章が苦しそうにうめいた。智之の服を引っ張って、靖章は智之の口付けを止めさせる。ぎくりとした色を浮かべた智之の瞳が靖章を見詰め、しばしの沈黙の後小さな謝罪がこぼれた

 。

「すまん、だが、靖章、俺は……、」


「いい、分かっている。皆まで言うな。──俺も、すぐにお前の後に続くだろう。」


 ふわりと微笑んで靖章は智之の頬を両手ではさむと、そっと引き寄せて智之の口唇へと己のそれを重ねていく。口唇を離して靖章が智之を見詰める。じわりと溢れ流れる涙はそのままに、目の前にある愛しい男の顔を忘れまいとしていた。


 その夜、二人は性急なほどに己の想いを通じ合わせた。

 智之は靖章の折れそうな身体を大切そうに抱き締めて、慈しむように己の中にかき抱く。靖章の細い腕が、離れたくないとばかりに抱き締める。

 初めて二人は、お互いの直肌の体温を知ったのだった──。




「万歳! 万歳!」


 駅のホームに声がこだまする。人々はみな、浮かび上がってくる涙を必死で堪え、智之を見送った。凛々とした視線で辺りを見渡し、智之は見送ってくれている皆に敬礼をし、汽車へと乗り込んだ。

 靖章はその場にいない。昨夜、別れを告げてそのままここへは来なかった。智之は靖章のいる方向に眼差しを向けると、悲しげな視線でじっと見詰めた。きっと、靖章もこちらを、智之のいる駅の方角を見詰めているに違いないだろう。


『お前を引き留めてしまいそうだから。』


 悲しく笑い、小さく呟いた靖章を思い出す。ひしひしと胸に広がっていくたとえようのない辛さが、智之を支配し始めた頃、汽車の始発を告げるベルが鳴り響いた。

 静かにゆっくりと閉まるドアの向こうで、涙ににじむ瞳を見開いた智之は、見送ってくれている人々に最後の敬礼をしてみせた。


「靖章、お前を愛していたよ。」


 小さく呟いて──。


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