もう一つの人狼兄弟の近昔話1
昔々……とは言ってもここ10~20年の話。
ある所に人狼の兄弟がおりました。
兄弟に親はおりませんでした。
物心ついた時にはスラム街にいました。
親は産後死んでいなくなったのか、あるいは自分の胎から出でた人ならざる者に恐れをなして捨てたのか、産んだものの持て余して自分だけ魔界に消えたのか、兄弟には解りません。そして、いない親なんてどうでもよいものです。
生きる上で必要なのは食べることと、危機を嗅ぎ分け逃げること。
なんとかして食べられるものを口にして、人狼を狩ろうとする正義の味方を名乗る怖い人々を嗅ぎ分け、いち早く察知して駆けて逃げる時にはそれは役立たずの思い出に過ぎませんから。
兄弟は時に人として、時に獣として、時にそのどちらでもないものとして生き長らえて来ました。
当然、誉められた生き方はしていません。
彼らを見て石を投げる者がいて、金を渡してもパンを寄越さない者がいて、平然と自分達が上だと理不尽を強いる中で、綺麗な生き方は望んでも出来なかったでしょう。
そうしてなんとか生き残り続けた兄弟はある日、転機を迎えます。
それはいつものように人の物を夜闇に紛れて掠め盗って逃げようとした時のこと。
一人が人に捕まったのです。
幾ら強い人狼でも、数の前では無力。
牙を砕かれ、爪を折られ、武器を持った沢山の人に囲まれ、地面に組み敷かれるでしょう。
人狼は逃げました。
囮がいると、これ幸いと、躊躇い無く兄弟を見捨てました。
狼でありながら脱兎のごとく。
走って走って、飛んで、跳ねて、潜って、泳いで……誰にも追い付かれずに、その場から姿を消しました。
他を助けて自分が逃げる時間を失っては元も子もありません。
この爪はより地面を強く掴み、あらゆる所に逃げ込むため。
この牙は一瞬でも相手を脅かして出来るだけ多くの逃げる時間を作るため。
人に化ける能力だって人を欺いて追いかけられないようにするためにあると思っています。
他を助けるくらいなら自分の安寧を。
逃げて逃げて逃げて。
人狼は何もかもに背を向けて逃げてきました。
何もかもが怖い人狼にとって、生きること以外の全ては逃げるべき恐怖の対象にしかなりません。
そんな人狼の行く末なんて、一つしかありません。
誰も信用せず、誰にも委ねず、誰の手も取らず、隠れて逃げて時にくすねて逃げて。
それでは何も積みあがりません。
その時その時を生きているだけで今を生きているわけではないのですから、明日も知れません。
逃げて逃げて逃げて、命を最優先、あとは捨て置いて、そうして最後には手も足もボロボロになって、何処へも逃げられなくなり、誰にも見向きもされなくなり、道は開けているのに八方塞がりになりましたとさ。 めでたし めでたし。
「そこの貴方、大丈夫ですか?」




