第8話:占い師に会う
魔法実験室での規格外すぎる【力】の暴走から一夜が明け、魔王城の朝は相変わらずの重苦しい空気に包まれていた。
玉座に腰掛け、参謀ルキエルから淡々とこなされる事務報告を聞き終えた魔王は、意を決したように切り出した。
「なあ、ルキエル……ちょっと聞きたいんだけどさぁ……」
恐る恐る尋ねる魔王に、ルキエルは手元の羊皮紙から目を離し、背筋を伸ばして向き直る。
「なんでしょうか、魔王様」
魔王は努めて自然な、どこか世間話でもするような軽いトーンを装った。
「あの……昨日突如現れた、ザビルって女のことなんだけど。あいつって、一体何者なんだ?」
「……っ」
ルキエルの表情が、一瞬で厳しく硬直した。
「……ザビルは、ここ最近になって魔王城へ頻繁に出入りするようになった怪しい人物でございます。
どのような生い立ちか、どこから来た者なのか……その正体や真の素性を知る者は誰ひとりとしておりません」
「誰も知らない……? そんな怪しいやつが、なんで城の奥深くまで入ってこられるの?」
「それこそが、あやつの恐ろしいところにございます。いかなる術なのか、結界も警備もすり抜けて姿を現すのです」
ルキエルは苦々しく吐き捨てるように言った。
魔王は顎に手を当て、探るように言葉を重ねる。
「でもさ……昨日あいつ、わしに『あのお話の決断は決まったか』とか言ってたじゃん?
どう考えても、わしとあやつの間で何かしらの約束というか、重要な話し合いがあったっぽいんだけど……」
「それは……っ」
ルキエルが珍しく言葉を詰まらせた。
いつもなら淡々と事務的に正論を返す彼女が、胸元でぎゅっと拳を握り締め、言い淀んでいる。
「……確かに、魔王様は記憶を乱される以前、あの者とお二人だけで何度かお会いになられていました。ですが……っ! 私は……とにかく反対です!
あの者はあまりにも得体が知れず……何か、とても嫌な予感がします。
魔王様も、決してあの女を快く思っていなかったと記憶しております……」
“予感”——それは、いつも冷静で事務的なルキエルらしからぬ言葉だった。
要するに、怪しいという客観的な根拠はないのだ。
(あーうんうん、ごほん)
魔王はわざとらしく咳払いをし、落ち着いた魔王らしい態度を取り繕った。
「……ルキエルの懸念はもっともだ。だが、考えてもみろ」
「……はい?」
「得体が知れず、防壁すら突破して余の前に現れるほどの危険人物……ならばこそ、野放しにして陰でコソコソ動かれる方が、よほど危険ではないか?」
「それは……」
「相手が何を目的に動き、何を企んでいるのか。余と何を交わしたのか……それを白日の下に晒し、余の手元でコントロールすることこそが、一番の安全策というものだ。
そもそもあの程度の魔人が、余の脅威たり得ると?」
魔王の筋の通った(ように聞こえる)論理的な反論に、ルキエルはぐうの音も出なくなった。
(よし、やっぱり思った通りだ)
「……っ、おっしゃる通りでございます……」
ルキエルは悔しそうに目を開いたあと、深々と頭を下げて折れた。
(まあ要するに、魔王の威厳を示しつつ、それっぽい理屈を言えば、真面目なルキエルちゃんは魔王様には逆らえないのだ。真面目でいい子だよなぁ、ほんと)
「私としたことが、魔王様のお身を案じるあまり、大局を見誤っておりました」
「よしっ……! じゃあ、あのザビルって魔人の居場所を教えて」
「それは……誰も存じておりません」
「あ…………そうなの?」
(本当に怪しい奴なんだなあ……)
「あの女が再び現れた際には、即座に排除しようとせず、魔王様のご意向に従い対話の機会を設けるよう、警備の指示を変更いたします」
「うん頼むよ、多分また来るでしょう」
とりあえず上手くルキエルを説得できて安心した魔王は、王座に深く座り込んで緊張をほぐすようにゆっくりと息を吐いた。
(まあ、とりあえずこれで何か先に進みそうな気がする……あの『世界のシステム』って言葉が、どうも気になるんだよなぁ……)
「お呼びになりましたか?」
安堵した瞬間に背後から声をかけられ、魔王は反射的に飛び上がった。
「うわああああうわ、うわああああ、びっくりしたああああ!!!!」
振り返ると、足元の影から這い出してきたザビルが、怪しげな微笑みを浮かべて立っていた。
ルキエルが一瞬で氷のような視線でザビルを睨みつける。
「ザビル! 突然出てくるなど無礼ですよ!」
「これは失礼、参謀殿。ですが我が君がお呼びになられたのでね。……フフ、先ほどのご英断、実に見事でございましたよ、魔王様」
ザビルは恭しくお辞儀をしてみせるが、その目はまったく笑っていない。
魔王は心臓のバクバクを抑えこむ。
「あー……ザビルか。まあ、ちょうどいいや。貴様と二人で話がしたい」
「なっ……魔王様!?」
ルキエルの顔色が一変した。
「いけません! このような不審人物と二人きりになるなど、あまりにも危険すぎます! 対話をお認めしたのは、あくまで私の立ち会いのもとでのことです!」
「まあまあ、そう固いことをおっしゃるな、参謀殿。我が君と私の『密約』は、余人には聞かせられぬ性質のものなのだから」
「黙りなさい! 近衛兵を呼びます!」
「ルキエル、よい」
魔王は静かに手をかざしてルキエルを制した。
心の中では「いやマジで俺も二人きり怖すぎるんだけど!?」と冷や汗ダラダラだったが、おそらくルキエルが居れば話せない内容なのだ。
「ルキエル、余の決定だ。部屋を外せ。……いや、余とザビルが別室へ移動しよう。静かに話せる場所へな」
「魔王様! お考え直しください! その女が何を企んでいるか……!」
「余を誰だと思っている」
魔王は映画の悪役のような低い声を絞り出し、ルキエルを真っ直ぐに見つめた。
「……余の力を疑うか、ルキエル」
「っ…………」
その一言に、ルキエルは息を飲んだ。
「……滅相も、ございません……。魔王様のお力をもってすれば、いかなる謀略も無意味……。出過ぎた真似をいたしました」
ルキエルは深々と頭を下げた。
「では……私は別室の扉の前でお控えいたします。何かありましたら、すぐにお呼びください」
「うむ、下がってよし」
ルキエルが重い足取りで退室していくと、大広間には魔王とザビルの二人だけが残された。
「フフフ……さすがは魔王様。あの堅物の参謀を見事に黙らせるとは。では参りましょうか……『システムの終わり』について語る、二人だけの秘密の場所へ」
ザビルが不気味に微笑み、怪しい手招きをすると、彼女の前に黒い扉のようなものが現れた。
ザビルが黒い扉に入っていく。
(うわー……マジで行くのか俺……? 殺されたりしないよね……!?)
内心で絶叫しながらも、魔王は引くに引けない覚悟を決め、ザビルの後に続いて黒い扉へと入っていった。




