第11話:決意とお忍びの旅出
諸々の業務報告がようやく終わり、いつもの重厚な椅子に深く沈み込みながら、魔王はぼんやりと天井を見上げていた。
(選択肢は二つ、ねぇ……。そう言われても、俺に一体何ができるってんだよ……)
脳裏にこびりついて離れないザビルの不気味な言葉と、「勇者にはどうせ勝てない」という絶望的な未来。
(ぶっちゃけ、このまま勇者に負ける未来でいいんじゃないか……?
他の魔人に話したってどうせ聞きゃしないだろうし……)
そんな弱気な思考が頭をよぎる。
魔王はチラリと、横で書類を整理しているルキエルに視線を向けた。
「……なあ、ルキエル」
「はい、何でしょうか魔王様」
「……魔族が勇者に負けるなんてこと、ないよね?」
「もちろんでございます」
ルキエルは手元を止めることもなく、さも当然のことのようにそう言った。
「……でもわしが勇者に負けたら、それで魔族の負けなんだよね?」
「何を今さらおっしゃいますか。魔王様は、この世界のあらゆる生命の頂点に立つ最強の存在でございます」
そう語るルキエルは誇らしげで、そして魔王への絶対的な信頼に満ち溢れていた。
(うーん……この子、マジでわしが負けるはずないって信じ切ってるんだよなぁ……。
こう言われると、このまま何もせずに負ける未来を受け入れるのは、なんだか彼女を裏切るような気分になってくるのはなんでじゃろう……)
胸の奥がキュッと締め付けられるような罪悪感を覚える。
なんとかして、誰も死なずに済む方法はないのだろうか。
(……待てよ? とりあえず、勇者の奴を直接見に行ってみるか……?
もしかしたら話し合って仲良くなって、魔族の虐殺をやめてもらうことだってできるかもしれないし)
そう思い至ると、なんだかそれが一番平和で素晴らしいアイデアのように思えてきた。
(今だったら、まだ勇者もそこまで育ってなくて弱いだろうから、いきなり殺されることもないはずだしね!)
だが、問題はどうやって行くかだ。
(直接『勇者に会いに行く』なんて言ったら、またルキエルちゃんが怒るだろうし……)
魔王は咳払いをひとつ挟み、なるべく世間話のようなトーンで切り出した。
「ねえルキエルちゃ……、ルキエル。ちょっとさ、魔法の実験に必要な特別な素材があってさぁ。……遠くへ移動したい時って、どうするの?」
「移動、でございますか? 遠出をされるとなると……手段はかなり限られてまいりますが」
ルキエルは少し眉をひそめ、躊躇うような仕草を見せた。
「その……魔王様もご存知の通り、我が一族にとって長距離ですと手段が限られております。大軍はもちろん、お一人で赴くとしても準備に相応の時間を要します。……正直に申し上げまして、現状ではすぐにご用意できる移動のリソースがございません」
(はあそうなんだ……。魔人だからってぴゅっと飛んでけるわけじゃないのかあ)
「……ただ……」
「ん? 何かあるの?」
「……あの女……ザビルであれば、そういった異次元の長距離移動や影渡りを得意としておりますゆえ、可能かと思われますが……」
(あー……ザビルちゃんかぁ……)
ふとあの薄気味悪い笑みが脳裏をよぎり、魔王はゲンナリとした。
だが、他に方法がない以上、背に腹は代えられない。
「まあ、いいか……うん、他に手段がないならね……」
「お呼びになりましたか、魔王様」
「うわああああああああ!?」
唐突に背後からぬっと生えてきたザビルに、魔王は飛び上がって玉座の肘掛けにしがみついた。
「ビビビ、びっくりしたあああああ!」
「フフ、私がお必要かと思いまして……遠くへお出かけになりたいとのこと」
ザビルは恭しく一礼すると、薄笑いを浮かべた。
「ああ、うん。そうなのよ」
(そうなんだけど、その突然出るのやめてよね!!)
魔王は冷や汗を拭う。
「もちろん、私にお任せいただければ一瞬にございます。……どこへ向かわれますか?」
「あー、うんそれね……」
魔王はルキエルに悟られないよう、ザビルの耳元へそっと顔を寄せ、小さな小声で囁いた。
「(……人間界の、勇者が今いるっていう街まで頼む。……秘密でな)」
その言葉を聞いた瞬間、ザビルの目が妖しく細められた。
「フフフ……さすがのご慧眼にございます、魔王様。まさか現実の『システムの愛し子』を直接観察に向かわれるとは……」
ザビルがすっと細い手を掲げると、魔王の足元から漆黒の闇が湧き上がり、球状の扉となって身体を包み込んでいく。
「な、おい!? いきなり——!?」
「ちょ、ちょっとザビル!!」
ルキエルの制止する声が聞こえる。
だが時は既に遅し。
「では、行ってらっしゃいませ」
ザビルは微笑みながら、闇の中へ吸い込まれていく魔王に向かって、『忠告』を付け加えた。
「どうぞお気をつけくださいませ。——魔王城から離れれば離れるほど、魔人の力は抑制されますゆえ」
「……え?」
とんでもない事実を言い残され、魔王が素の声を漏らした瞬間、視界は完全な暗黒へと呑み込まれていった。




