第二話 幼なじみと過ごす午後
翌日の午後。
アヴェリア家の庭には、柔らかな春の日差しが降り注いでいた。
色とりどりの花が咲く庭の一角で、ルーチェは小さな花壇の手入れをしていた。
母は病弱のため、今日も部屋で休んでいる。
「ルチ、いるか?」
聞き慣れた声がして、ルーチェが顔を上げる。
庭の入り口に立っていたのは、クラウス・アシュフォード。
近隣に住んでいるアシュフォード侯爵家の嫡男で、ルーチェより4歳年上の幼なじみだった。
「クラウス!」
ルーチェは嬉しそうに駆け寄る。
「来てくれたの?」
「ああ。今日もおばさま、休んでるんだろ?」
「うん。つい先ほどお部屋でお休みになったわ」
「そっか。じゃあ、いつも通り庭で過ごすか」
「うん!」
クラウスはルーチェの手元を覗き込んだ。
「相変わらず花の世話をしてるんだな」
「もうすぐ咲きそうなの!」
「へえ。じゃあ、少し見ていくか」
「是非!でもその前に、お茶にしない?」
「もちろん」
二人はテラス中央にある小さなテーブルへ向かった。
ほどなくして侍女がお茶と焼き菓子を運んでくる。
白いティーカップから、ふわりと紅茶の香りが立ち上った。
「いただきます」
ルーチェが嬉しそうにカップを持つ。
クラウスも向かいの席に腰を下ろし、焼き菓子を一つ手に取った。
「……やっぱり庭で飲むお茶っておいしいね」
「ルチは昔から外でお茶するの好きだよな。おばさまが休んでる日は、よく庭にいるし」
「そうだね……」
クラウスといると、いつも自然でいられる。
何を話そうかと考える必要もない。
幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた、兄のような存在だからだ。
「そういえば、昨日は何してたんだ?」
クラウスが紅茶を飲みながら尋ねた。
「あ……」
ルーチェの表情が少し明るくなる。
「昨日ね、王宮に行ったの」
「アレクシス様について?」
「うん、それでね……」
ルーチェは少し身を乗り出した。
「王宮の図書館で、レオルカさまにお会いしたの!」
「……レオルカさま?」
クラウスが少し驚いた顔をする。
「王太子殿下に?」
「うん」
「へえ……」
クラウスは意外そうにルーチェを見る。
「それで、話したのか?」
「うん。少しだけ」
「ルチから話しかけたのか?」
「違うわ。レオルカさまから、本の話を」
「そうなのか」
クラウスは少し考えるように、紅茶を一口飲んだ。
「レオルカさまって、そんなに本を読むタイプだったのか?」
「私も少し驚いたの」
ルーチェは昨日のことを思い出した。
「私が読んでいた本のことを聞かれて……それで、少しお話したの」
「何の本だったんだ?」
「歴史の本。いくつかの国の記録が載っているもの」
「……また難しい本を読んでたんだな」
「だって、知らないことを知るのって楽しいもの」
「そうか」
クラウスが笑う。
ルーチェも笑った。
「……でもね」
「ん?」
「私、知らない人とお話しするの、まだ得意ではないの」
「知ってる」
クラウスはあっさり答えた。
「特に男性が相手だと、余計に緊張するだろ?」
「……うん」
ルーチェは少し恥ずかしそうに頷いた。
礼儀正しく挨拶したり、必要なことを話したりすることはできる。
けれど、親しくない人と何気ない会話を続けるのは、昔から少し苦手だった。
特に男性が相手になると、何を話せばいいのか分からなくなってしまう。
「だから、昨日も最初は緊張したんだけど……」
「けど?」
「レオルカさまとは、なんだか普通にお話できたの」
ルーチェは不思議そうに首を傾げる。
「どうしてだろう?」
「本の話だったからじゃないか?」
「……そうかもしれない」
ルーチェは納得したように頷いた。
「本の話なら、私もたくさん話せるもの」
「なるほどな」
クラウスはそれ以上深くは聞かなかった。
ルーチェ自身も、それが少し不思議だっただけだ。
ただ、本の話ができたから。
きっと、それだけ。
「そういえば」
クラウスが話題を変える。
「アレクシス様、また海外へ行くんだろ?」
「うん。もうすぐ出発するみたい」
「今回もルチは一緒か?」
「うん!」
ルーチェの顔がぱっと明るくなる。
「今度は少し長くなるかもしれないんだって」
「そうか」
「向こうには大きな図書館もあるらしいの」
ルーチェの目が輝く。
「まだ読んだことのない本があるかもしれないでしょう?」
「……結局、本なんだな」
「だって楽しみなんだもの」
ルーチェはくすくす笑った。
父の仕事に同行して海外へ行くことは、ルーチェにとって特別珍しいことではなかった。
幼い頃から、アレクシスの仕事の都合で、さまざまな国を訪れてきた。
知らない街。
知らない文化。
知らない言葉。
そして、知らない本。
ルーチェにとって海外は、不安な場所というより――
まだ知らない世界に出会える場所だった。
「今度はどんなところなのかなぁ」
「帰ってきたら、また話を聞かせてくれよ」
「もちろん!」
ルーチェは嬉しそうに頷いた。
そして、ふと昨日のことを思い出す。
「……レオルカさまとも、またお話できるかな」
ぽつりとこぼれた言葉。
クラウスは一瞬だけルーチェを見る。
けれど、すぐにいつものように笑った。
「できるんじゃないか?」
「そうだといいな」
ルーチェは紅茶を一口飲んだ。
まだ、この気持ちに特別な名前はない。
ただ――
昨日出会ったばかりの少年と、もう一度話してみたい。
そんな小さな気持ちが、胸の片隅に残っていた。
穏やかな午後。
幼なじみと囲む小さなティーテーブル。
ルーチェは、昨日出会った少年のことを、もう一度思い出していた。




