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第十話 少し先を歩く人

 家庭教師との授業を終え、ルーチェは机の上に広げていた本を閉じた。


「今日のお勉強はここまでにしましょう」


「はい。ありがとうございました」


 向かいに座っていた家庭教師が、満足そうに微笑む。


「歴史も語学も、よくできていましたね。以前よりもずいぶん理解が深くなっています」


「本当ですか?」


「ええ。特に歴史は、よく本を読んでいるだけあって、自分で考えて答えられるようになってきました」


 褒められたことが嬉しくて、ルーチェは小さく笑った。


 好きで読んでいる本の知識が、こうして勉強にも役立つのは嬉しい。


「ただ――」


 家庭教師の言葉に、ルーチェは姿勢を正した。


「ダンスは、まだ少し緊張してしまいますね」


「……はい」


 最近始めたばかりのダンスのレッスンは、まだ慣れないことが多い。


 足の運びを意識すると姿勢を忘れ、姿勢を意識すると今度は足元が気になってしまう。


「始めたばかりですから、焦らなくても大丈夫ですよ。少しずつ慣れていきましょう」


「はい。頑張ります」


「それから、お裁縫は……」


「…………」


 思わず黙ってしまったルーチェを見て、家庭教師がくすりと笑った。


「こちらも、少しずつ頑張りましょうね」


「……はい」


「それでは、また次の授業で」


「はい。ありがとうございました」


 家庭教師を見送り、ルーチェは机の上のものを片づけ始めた。


 どうやら、本を読むようには上手くいかないこともあるらしい。


 それでも、できないままにしておきたくないので、もっと練習しようと心に決めた。


 部屋を出ると、廊下の少し先に見慣れた家令の姿が見えた。


 その腕には、父が仕事で使っている革の書類入れが抱えられている。


「オスカー、どうしたの?」


 ルーチェが声をかけると、オスカーが足を止めた。


「お嬢様。旦那様がお仕事で急遽必要になった書類を王宮へお届けしようかと」


「お父様が?」


「はい」


 ルーチェはオスカーの持つ書類入れを見つめた。


 父は今日、朝から王宮へ仕事に出ている。


 今までのルーチェなら、そのままオスカーに任せていたと思う。


 けれど――。


「……私が届けてもいい?」


 オスカーが少し驚いたようにルーチェを見る。


「お嬢様が、でございますか?」


「ええ」


 ルーチェは頷いた。


「私、11歳になったでしょう? だから……私にも、何かお手伝いできることがあると思うの」


 難しい仕事ができるとは思っていない。


 父のように、国のために何かを決めることもできない。


 けれど、必要な書類を届けることくらいなら、自分にもできる。


 オスカーは少し考えてから、穏やかに微笑んだ。


「かしこまりました。では、エマと護衛をおつけいたしましょう」


「ありがとう」



◇



 しばらくして、ルーチェは侍女のエマと護衛を伴い、馬車で王宮へ向かった。


 膝の上には、父の仕事に必要な書類入れがある。


 ただ書類を届けるだけ。


 それなのに、今日はいつも王宮へ向かうときとは少し違う気がした。


 父について行くのではなく、自分が父のために王宮へ行く。


 それが、なんだか嬉しかった。


 王宮へ到着すると、案内された先には父の姿があった。


「ルーチェ?」


 アレクシスは娘の姿を見るなり、驚いたように目を見開いた。


「どうしてここに?」


「お父様、この書類が必要なのでしょう?」


 ルーチェは持っていた書類入れを差し出した。


「ああ……」


 アレクシスは差し出された書類へ目を落とした。


「オスカーが届けようとしていたので、私が代わりに持ってきたの」


「ルーチェが……」


「うん! 私も11歳になったから、少しくらいお手伝いができるかなと思って」


 アレクシスは優しい笑顔で娘を見つめた。


「そうか」


 受け取った書類を机に置くと、ルーチェの頭をそっと撫でた。


「ありがとう、ルーチェ。とても助かったよ」


「本当?」


「ああ。大切な書類だったんだ」


 その言葉に、胸が少し弾んだ。


 ちゃんと父の役に立てた。


 それだけのことが、思っていたよりも嬉しい。


「もう11歳か。少しずつできることが増えていくんだね」


「ふふっ。そうでしょう?」


 嬉しくなって答えると、父も楽しそうに笑った。


 そのとき、扉が叩かれた。


「アレクシス公爵、今いいかな?」


 聞き覚えのある声に、ルーチェは振り返った。


 扉の向こうから入ってきたのは、レオルカだった。


「レオルカさま」


「ルーチェ?」


 レオルカも、ルーチェがここにいるとは思っていなかったのだろう。


 少し驚いたように見る。


「どうしてここに?」


「仕事で必要な書類を、父に届けに来たんです」


「ルーチェが届けに来たの?」


「はい。私も11歳になりましたから!」


 そう答えると、レオルカは少し笑った。


「そっか。この前言っていたものね。少し大人になった気がするって」


「覚えていたんですか?」


「もちろん」


 なんだか少し恥ずかしくなって、ルーチェは小さく笑った。


「レオルカさまは、父にご用事ですか?」


「うん。父上から預かったものがあって、それについて少し確認したいことがあるんだ」


 レオルカの手にも、何枚かの書類があった。


 図書館で本を読んでいるときとは、少し違って見える。


 まだ12歳なのに、王子として父から任されたことについて話をしに来ている。


 ルーチェは、自分が届けてきた書類をちらりと見た。


 自分は、父に必要な書類を届けただけ。


 けれどレオルカは、自分でその書類について話をするためにここへ来ている。


「それでは、お父様。私はそろそろ失礼します」


「もう帰るのかい?」


「はい。お仕事のお邪魔になってしまいますから」


 アレクシスは一瞬目を丸くして、それから嬉しそうに微笑んだ。


「ああ。気をつけて帰るんだよ」


「はい」


 ルーチェはレオルカへ向き直る。


「レオルカさまも、お仕事頑張ってください」


「ありがとう。ルーチェも、気をつけて帰ってね」


「はい。また」


「うん。またね」


 父とレオルカに挨拶をして、ルーチェは部屋を出た。


 廊下では、エマが待っている。


「お嬢様、お帰りになられますか?」


「ええ」


 エマと護衛とともに王宮を出て、馬車へ乗る。


 窓の外を眺めながら、ルーチェは先ほどのレオルカを思い出していた。


 図書館で一緒に本を読むレオルカ。


 お茶を飲みながら笑っていたレオルカ。


 どちらも、ルーチェの知っているレオルカだった。


 けれど今日見たレオルカは、少し違った。


 父と同じように書類を持って、仕事の話をするために部屋を訪れた。


 自分より、たった2歳年上なだけなのに。


「……やっぱり、大人だな」


 小さく呟く。


 この前は、2歳年上なのが少し悔しいと言った。


 今日もやっぱり、少しだけ悔しい。


 でも――。


 それよりも、少し羨ましかった。


 11歳になって、今日は父の役に立つことができた。


 ほんの少しだけ。


 昨日までより、できることが1つ増えた気がした。


「いつか私も、お父様やレオルカさまのようになれたらいいな」

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