9話(きな臭い話し)
アルベールの馬車に揺られ、ようやく公爵家の屋敷へと到着した。
通された応接室でようやく一息ついたところで、向かい側に座るアルベールが面白がるように話をこちらに振ってきた。
「それで、リチャード。本当のところ、君はルシアン嬢をどう思っているんだい?」
突然問われた私は思わずカップを落としそうになる。
思い浮かぶのは、甲板でドレスが汚れるのも気にせず子供たちを元気付けていた彼女の姿だった。
そしてその後、彼女に提案されたのは『ビジネスパートナー』という名の人脈作りだった。
胸の奥がまたモヤモヤとした私はわざと冷淡な声で答えた。
「……ルシアン嬢が言った通りだ。我が家とノートル男爵家は取引の関係にある。彼女はただのビジネスパートナーだよ」
「へえ? 本当にそれだけかい?」
「それ以外何があるというんだ? 彼女は誰に対しても少々おせっかいが過ぎるだけだ」
「おせっかい? それは彼女の利点でもあるんじゃないのか」
アルベールは『やれやれ』と肩をすくめた。
その態度が少し癪に障り、私はあえて言葉を返す。
「逆に聞くが、アルベール。君こそ、彼女をどう思っているんだ。港での態度は随分と親しげだったようだが」
「ああ、ルシアン嬢かい? とっても魅力的な女性だよ」
アルベールは迷いなくそう言って笑った。その瞬間、私は何故か気分が悪くなる。
「彼女がこちらの国に留学していた頃、社交界ではかなり注目されていたんだ。もちろんノートル男爵の圧倒的な財力も理由の一つだけど、何より彼女自身が素晴らしく頭がキレるし、どんな分野の話題にも詳しいからね。……まあ、最初の頃は、それを面白く思わない意地の悪い令嬢たちが彼女に絡んだりもしたけれど」
「絡まれた?」
初耳だった。あのルシアン嬢が、異国の社交界で嫌がらせを受けていたというのか。思わず身を乗り出しそうになった私を、アルベールの言葉がなだめる。
「心配いらないよ。何と言っても、ルシアン嬢はあの通りの『天然』だろう? 嫌味を言われても、すべて『まあ、わたくしのためのアドバイスですのね!』と純粋に感謝して受け取ってしまうんだ」
アルベールはそう言って笑いながら続ける。
「それにどんな悪意をぶつけても、彼女のあの無自覚さには誰も太刀打ちできない。仕掛けた側がバカバカしくなって皆諦めたよ。それどころか、彼女と仲良くなって有益な情報を教えてもらった方が得だと気づいて、気がつけば周りは皆友達になっていたね」
アルベールの話を聞きながら、私は呆れると同時に、妙に納得していた。確かに彼女なら、悪意を悪意とも思わず笑顔でスルーしてしまいそうだ。
「男性貴族たちもこぞってアタックしたけれど、結果は同じさ。どんなに情熱的な口説き文句を並べても、彼女はすべて『素晴らしい取引の提案』か『社交辞令』としてしか受け取らない。誰もまともに男として相手にされず、本人が無自覚なまま、皆しっぽを巻いて逃げ出した。……いや、諦めた、という方が正しいかな」
アルベールは愉快そうに語るが、私の胸中は複雑だった。
誰の誘惑にもなびかなかったという安堵と、今まさに自分自身がその『ビジネスパートナー』としか見られていないという現実。彼女の無自覚さは、男にとってこれ以上ないほど残酷な壁だ。
そんな私の想いに気づく様子もなく、アルベールは「さて」と表情を引き締めて話を切り替えた。
「昔話はこれくらいにして、ビジネスの話をしよう。リチャード、船の沈没の件……大変だったな」
その言葉に、私の思考は一瞬で現実に引き戻された。我が侯爵家が出資した船が、不自然な形で沈んだ件だ。
「……ああ。単なる事故にしては不審な点が多い。現在、父が調査を進めている」
「それについて、僕の耳に入っている情報がある」
アルベールは声を潜め、真剣な眼差しで私を見据えた。
「君の領地と隣接している『レイモンド伯爵』を知っているだろう。あの男、最近こちらの国に頻繁に出入りしていてね。この国の、あまり表に出せないようなよからぬ連中とぐるになって、何やらきな臭い動きをしているんだ」
レイモンド伯爵。
我が家の領地と隣接し、互いに港を有する。
昔から油断のならない隣人だ。
「レイモンド伯爵が、こちらの裏社会の人間と……?」
「ああ。確たる証拠はまだないけれど、君のところの船の件にも、あの男が噛んでいる可能性が高い。リチャード、今回の滞在はただのビジネス拡大だけでは済まないかもしれない。十分に警戒しておいた方がいい」
「……忠告、感謝する」
隣国での新事業への期待の裏で、我が家が不穏な空気に包まれている。そして、その渦中に、あの無自覚で、だが誰よりも聡明な私の『書類上の婚約者』も巻き込まれようとしているのだ。
私は無意識のうちに、拳を強く握りしめていた。
彼女を危険に晒すわけにはいかない。私が絶対に守ってみせる。
そう強く願いながら、知らず知らずのうちに自分の心を乱す彼女のことを想った。
そういえばなぜ私は、これほどまでに彼女が気になるのだろうか……女性に対して、こんな気持ちを抱いたのは初めてだった。
(……この感情は、なんと厄介なのだろう)




