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冷徹侯爵様、お気の毒なので『円満な婚約解消』して差し上げます  作者: ヴァンドール


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3話(ルシアンの気遣い)

 数日後のことでした。

 わたくしは父の執務室に呼ばれ、例の侯爵家について、もう少し詳しい事情を聞かされることになりました。


「……やはり、相当厳しい状況なのですか?」


 そう尋ねると、父は珍しく難しい顔をして頷きました。


「ああ。決定的だったのは船だ」


「船、ですか?」


「投資していた商船がな、沈んだ」


 その一言で、すべてが繋がりました。


 貿易において船は命です。積荷ごと失われれば、それは単なる損失では済みません。


「積荷は……」


「全てだ」


 父の言葉に、わたくしは息を呑みました。


 それはつまり、利益どころか、回収の見込みすら完全に断たれたということ。


 父は机の上の書類を見ながら続けます。


「本来ならな、分散するのが鉄則だ」


「卵を一つの(かご)に盛るな。ですわね」


「そういうことだ。だが侯爵は欲をかいてしまった」


 父の声は淡々としていましたが、その内容はわたくしの想像をはるかに超えるものでした。


「資金を全部一つの取引につぎ込んだ挙句、荷も分けずにまとめて運ばせた。……その結果がこれだ」


 沈没。全損。そして、残るのは莫大な負債。


 わたくしは思わず、深いため息をつきました。


(……やはり)


 あの時感じた違和感の正体は、全てこれらが、原因だったのですね。


 静まり返った侯爵家の重たい空気と、ほんの少し感じてしまった余裕のない執事の姿。


「だからこそ、こちらに話が来たわけだ」


「ええ……理解いたしましたわ」


 それでも、理解すればするほど、胸の奥が重くなります。


(リチャード様……)


 あの方は、これほどまでの重荷を一人で背負わされてしまったのですね。


 家の名誉、そして借金。結果、望まぬ婚約。


(やっぱり、お可哀想ですわ)


 そう思わずにはいられませんでした。


────


 それから、しばらくして。

 わたくしのもとに、一通の手紙が届きました。


 差出人の名を見た瞬間、思わず瞬きをしてしまいます。


「……リチャード様から?」


 封を切り、内容を確認すると、そこに書かれていたのは、お茶へのお誘いでした。


 しばし、手紙を見つめたまま固まります。


(……どうして?)


 率直な疑問でした。


 この婚約は、あくまで家同士の事情による書類上のこと。


 それなのに、わざわざ二人で会うなど……。


(やっぱり、無理をなさっているのですわ)


 それがわたくしの出した答えでした。


 きっと、婚約者としての体裁を気にしていらっしゃるのですね。あるいは、侯爵様であるお父様のご意向なのかもしれません。


 そう思うと、胸がきゅっと締め付けられました。


「……仕方ありませんわね」


 軽いため息をついて微笑みます。


『でしたら、今王都で流行っている甘味のお店へ誘ってみましょう。甘さを控えたお菓子もあります。殿方でもきっと楽しめるはずですわ』


────


 約束の日。


 わたくしたちは今、王都でも評判の喫茶店に来ておりました。


 向かいに座るリチャード様は、完璧な所作も少し冷たさを感じる瞳も、いつも通りでした。


「本日は、お時間をいただきありがとうございます」


「いえ……わたくしなんかに気を遣われるなんてお気の毒ですわ」


 思わず本音で語ると、彼はわずかに眉をひそめました。


「……そのような言い方はやめていただけますか」


「ですが事実ではありませんこと?」


「違います」


 きっぱりと否定され、わたくしは首を傾げます。


 その時でした。


「あら……?」


 どこかわざとらしい声が、店内に響きます。


 振り向くと、そこには華やかな令嬢の一団がわたくしたちを見下ろしていました。


 彼女たちは確か……。

 


「リチャード様? こんなところでお会いするなんて偶然ですわね」


 にこやかに話しかけるその令嬢は、わざとらしく、驚いたように目を見開きました。


「まあ……お珍しい組み合わせですこと」


 彼女たちが一斉にわたくしを見ます。


 その一瞬で、すべてを思い出しました。


(ああ、この方が)


 確かいとこの、ステファニー侯爵令嬢。

 なるほど、と心の中で納得します。


 そして同時に、決意しました。


 これは、リチャード様をお守りする場面ですわね、と。


「申し訳ございません、ステファニー様」


 わたくしはすっと立ち上がり、にこやかに一礼しました。


「本日は、わたくしが無理を申し上げて、お付き合いいただいておりますの」


 一瞬、場の空気が止まります。

 それでも構わず続けました。


「ですので、どうかお気になさらず。リチャード様は本来、お忙しいお方ですのに」


 ちらりと彼を見れば。


 彼は、何とも言えない表情でこちらを見ていました。

 ですが、気にしません。


「わたくしはこれで失礼いたしますので、どうぞ皆様でごゆっくり」


 にっこりと微笑み、手を上げ店長を呼びました。


「店長」


「お嬢様」


 すぐに現れた彼に、お願いをしました。


「こちらのお客様方に、例の新作をお出しして」


「はい。お嬢様が、隣国から取り寄せた甘味料で作らせた……」


「ええ。今、王都で流行り始めておりますもの」


「かしこまりました」


 頭を下げる店長を見届け、わたくしは皆様に微笑みながら伝えました。


「この店の新作、リチャード様と皆様でどうぞ召し上がってください」


(いとこのステファニー様とご一緒の方が、断然楽しいはずだわ)


「では、わたくしはこれで失礼いたします。リチャード様、本日は、わたくしのわがままにお付き合いいただきありがとうございました」


 それだけ告げて、そのまま店を後にしました。


────


 残された店内では、運ばれてきた菓子を前に、令嬢たちがざわめいていた。


「まあ……これ、初めて見ますわ」


「とても甘い香り……」


 その様子を見ながら、ステファニーは苛立ちを隠せずに呟いた。


「なによ、ここもあの男爵のやっている店だというの。貴族のくせに、商売だなんて」


 その言葉に、リチャードは首を振った。


「いいや、たいしたものだ」


 そう言いながら、彼は理解した。

 自分を庇い、そっと立ち去ったあの不思議な婚約者の思いを。


(……本当に、面白い令嬢だな)


 その後、会計へ向かったリチャードは、すでに支払いが済んでいると知らされる。

 彼女は、何も言わずにすべてを済ませていったのだ。


 その事実に、彼はわずかに表情を緩めた。


(借財を抱えた私から、さらに金を受け取らないつもりか)


 そう呟きながらふっとため息を漏らした。


 


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