2話(出会い)
初めてリチャード・ダッフル様にお会いした日のことは、今でもよく覚えています。
執事の方に案内されて、中に入ると、さすがは侯爵家です。応接間は実に格式高く、見事なまでに洗練されていました。
それでも何故かしら、お屋敷の中の雰囲気が少しだけですが重たく感じました。どこか余裕のないような? そんなふうに思えたのでした。
(やはり……)
胸の奥が悲しい気持ちに包まれました。
そんな中、扉が開かれご本人が現れました。
噂どおり。いえ、噂以上に端正な顔立ち。洗練された身のこなし。そして、感情を表に出さない冷淡な瞳。
「リチャード・ダッフルです」
そう名乗られた声もまた、冷たく感じました。
だけど、わたくしは気にしません。だって、当然です。こんな形で結ばれた婚約なのですから。
「ルシアン・ノートルでございます」
にこやかに挨拶を返しながらも、心の中で思いました。
(やっぱり、とても気の毒な方ですわ)
こんなにも完璧な方が、家の事情でわたくしなんかと。
きっと本当は……。
(思い人の一人や二人、いらっしゃるに違いありませんわ)
そう考えた瞬間、わたくしの中で、決意はより強いものになりました。
しばし形式的な会話が続いたあと、頃合いを見て、はっきりと申し上げました。
「あの、リチャード様」
「何でしょう」
「ご安心くださいませ」
彼の眉が、わずかにぴくりと動きました。
その変化を見逃さず、わたくしは微笑みます。
「この婚約、いずれこちらの方から上手く解消いたしますのでご安心くださいませ」
空気が、一瞬だけ凍りついたように感じました。
「……どういう意味ですか」
低く問われたその声に、少しだけ微笑みます。
「無理をなさる必要はございませんわ。わたくし、ちゃんと分かっておりますもの」
「何を、です?」
「リチャード様には、大切な方がいらっしゃるのでしょう?」
そうはっきりと言うと、彼は初めて、あからさまに表情を変えました。驚き、そして、わずかな呆れ。それは当たり前の反応だったのかもしれません。
「ですからご心配なさらずとも大丈夫ですわ。父のことは、いずれ必ず説得いたします」
明るく言い切ると、彼はしばらくの間、わたくしを見つめていました。
だけどその瞳は、先ほどまでの冷たさとは少し違って見えます。
「……あなたは、面白い方ですね」
ぽつりと、そう言いました。
「え?」
「今まで、会ったことがない」
それは褒め言葉なのか、それとも呆れなのか。わからないまま、わたくしは首を傾げます。
一方で彼は、ほんのわずかに口元を緩めていました。
だけどそれも一瞬のこと。すぐに元の無表情へと戻り、淡々とおっしゃいました。
「その必要はありません」
「え?」
「この婚約は、家の決定です」
冷たいほどに理性的な言葉が返ってきたのです。そこには彼自身の意思は全く存在していないかのようでした。
(やはり、無理をなさっているのですね)
「分かりました。ですが、わたくしは諦めませんわ」
「……何をです」
「『円満な婚約解消』ですわ」
きっぱりと言い切ると、彼は今度こそ、あきれ果てたような表情をなさいました。
「……この話は既に決定事項です」
そう告げる彼の瞳は、ひどく冷たく感じられました。
(あら、いやですわ。わたくしったら少し、しつこ過ぎたかしら?)
こうして始まった、書類上だけの婚約。
家同士の利害だけで繋がった、歪な関係の始まりでした。




