1話(父の思惑)
わたくし、ルシアン・ノートルは男爵令嬢です。
その名前を耳にした周囲の皆様の反応は、だいたい二通りに分かれます。
ある人は、『ああ、あの商売をしている家の』と少し気まずそうに目を逸らします。また別の方は、『貴族のくせに』と露骨に鼻で笑うのです。
まあ、いずれにせよ、良い反応をされる方はおりませんが。
それでも当の本人であるわたくしの父は、そんな周囲の目など一切気にしません。
「金はな、回してこそ価値があるんだ」
それが口癖のような人です。
お父様は領地は持っていませんが、三つの国と交易を結び、莫大な利益を上げています。国境を越えて商品の流れを読む、その鮮やかな手腕はわたくしの目から見ても見事なものでした。
母は元伯爵令嬢ですが、そんな父を決して恥じることはありません。
「家柄だけで敬意を払われる時代ではありませんもの」
そう言って微笑む母の姿は、とても誇らしげで楽しそうに見えました。
なんと母は、父に一目惚れだったそうです。
今のふくよかな父しか知らないわたくしには到底想像すらつきませんが。
そんな両親のもとで育ったわたくしは、ありがたいことに何不自由なく教育を受けることができました。礼儀作法はもちろん、上位貴族の子女と同等か、あるいはそれ以上の学問。そして三カ国語。
もっとも、これらは将来的に父の助けになるようにと、父の計算によるものでもありましたけれど。
それでもわたくしは、それなりに感謝はしているのです。恵まれた環境で、好きなこともさせていただきましたし、隣国への留学はとても楽しい思い出です。
ですから、その日、父から告げられた言葉に、わたくしは思わず驚きを隠せませんでした。
もちろん、いつかはこうなるだろうと覚悟はしておりました。してはおりましたが……いざ、こうも簡単に言葉にされると、それはそれでびっくりしましたが。
「お前の婚約相手が決まったぞ」
「はぁ? わたくしが婚約、ですか?」
「ああそうだ。しかも相手は侯爵家だ」
さらりと言ってのける父に、しばし言葉を失いました。
侯爵家。それは、我が家のような男爵家とは比べ物にならないほど高い地位を持つ名家です。いくら資金があるとはいえ、通常ならばまず考えられる相手ではありません。
「どうして、そのようなお話に?」
そう聞き返すと、父は少しだけ肩をすくめました。
「向こうの事情だ」
その一言で、わたくしはすべてを察しました。
資金。つまり、そういうことなのでしょう。
侯爵家ほどの名門が、外部に助けを求める。
それはよほどの事情があるということです。
「相手はリチャード・ダッフル。社交界でも評判の人物だ」
その名前は、さすがのわたくしも耳にしたことがありました。
容姿端麗、成績優秀、洗練された立ち居振る舞い。だけど同時に、とても冷たい人物だとも噂されている方です。
そんな方が、どうして? わたくしの疑問に、父はあっさりと答えました。
「彼の父である侯爵が、投資に失敗した。それもかなりの額だ」
やはり、そうでしたか。胸の奥が、ほんの少しざわつきます。
名家であればあるほど、そうした事情は表に出せません。だからこそ、父のような存在に頼るしかなかったのでしょう。
「もちろん、口外はしない約束だ。その代わり……」
「わたくしとの婚約、というわけですのね」
父はわたくしの顔を覗き込み、満足そうに微笑みました。
これは、まさしく商売です。取り扱うものは商品ではなく、人の縁。それも実の娘の。
(侯爵家との繋がりは、確かに商売の幅を広げますわね。なんて、お気の毒な)
わたくしは、まだ見ぬ婚約者に対して、心からそう思いました。
望まぬ婚約ですか。しかも、家の事情によるもの。
その心中を察すれば、同情せずにはいられません。
そして、わたくしはひとつの決意を固めます。
(大丈夫ですわ。いずれ、こちらの方から上手くお断りして差し上げます)
父には申し訳ありませんが、これは仕方のないことです。
お相手が望まぬ婚姻ならば、無理に結ぶ必要などありませんもの。それに娘のわたくしまで商品として扱うなんてお父様には呆れてしまいますわ。
そう思いながら、頭の中では『これからどうしてくれましょうか』まるで悪だくみを楽しむ子供のような思考でいっぱいでした。
それにしてもこのことは、きっとお母様も賛成しておられるはずだわ。娘ならではの勘が働き、呆れるのを通り越して、思わず噴き出しそうになりました。
(この二人、本当に似た者夫婦なのですから)




