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冷徹侯爵様、お気の毒なので『円満な婚約解消』して差し上げます  作者: ヴァンドール


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18/19

18話(父の愛情)

 怒りを抑えきれずに、レストランを飛び出したまではよかったが、そのせいで二人はまだ夕食を取れていなかった。

 さすがに、お腹も空いてきて、どうしようかと思案していると、ルシアンがポンと手を叩いた。 


「そうだわ! リチャード様、ここから少し歩いたところに、庶民に大人気の美味しい食堂があるのです。よろしければ、そちらへ行きましょう!」


「下町の食堂か? ああ、君がおすすめしてくれる場所なら、喜んでお供するよ」


 リチャードも了承し、二人は馬車には乗らずに、賑やかな下町を歩いて目的地へ向かった。


 食堂に着き、扉を開けると中から美味しそうな香りが漂ってきた。

 場所が場所だけに高級とは言えないが、それでも活気あふれる清潔感のある食堂だった。


 店に入ると、厨房にいた恰幅の良い店主がルシアンを見るなり驚いた顔をした。


「お! ルシアンちゃんじゃないか! 久しぶりだねぇ。しばらく顔を見せないから、体を壊しちまったんじゃないかって心配してたんだよ」


 奥から出てきた女将も、満面の笑顔でルシアンを出迎えた。


「お父さんは元気にしているかい?」


「はい。元気すぎるくらいです。今度また一緒に寄らせてもらいますね」


 そう返し、二人は席についた。


 周囲の客たちは、貴族のような雰囲気のリチャードたちを最初は遠目に見ていた。

 しかし、ルシアンが少しも気取らずに店主をおじさんと呼ぶのを耳にするとすぐに打ち解けた。

 気づけばリチャードに「兄ちゃん、いい男だな!」そんな声をかけていた。


「実はここ、子供の頃からお父様とお忍びで通っていた、わたくしの一番好きなお店なんです」


 運ばれてきた熱々の料理を美味しそうに頬張りながら、ルシアンは悪戯っぽく微笑んだ。


「わたくしたちは元々、領地も持たない貧乏貴族でしたから、こういう場所の方が落ち着くのです。ただ、お母様は伯爵家のご令嬢として育った本物のお嬢様ですから……ここは、お父様とわたくし二人だけの秘密のお店なのですわ。だけどリチャード様は特別です」


「秘密の店、か。……うん、これは美味いな! それに、なんだかすごく居心地がいい」 


 初めて体験する庶民の料理に、リチャードは目を輝かせながら次々と平らげていく。何より、身分差のないこの空間が、今のリチャードにはこの上なく快適だった。 


「今度また、二人でこよう」


 彼はすっかりこの店を気に入ったようだった。


────


 身も心も満たされたリチャードは、途中に待たせておいたダッフル侯爵家の馬車でルシアンを屋敷まで送った。


 ほんの短い時間だったが、ボヤ騒ぎを共に対処し、過去の記憶の擦り合わせもできた。下町の食堂でも楽しい時間を過ごせた。

 間違いなく二人の距離はグッと近づいていた。


 ルシアンを送り届けた帰りの馬車の中、リチャードは一人、これまでにない幸福な気持ちに浸っていた。

 しかし一方、彼の乗った馬車が遠ざかるのを見届けながらルシアンは別の決意を固めていた。


(リチャード様は、あんなに優しくて素晴らしいお方……。わたくしのような成金男爵令嬢のせいで、これ以上社交界で笑いものにされてはいけませんわ。一刻も早く港の事業を大成功させて、リチャード様を『自由の身』にして差し上げなくては!)


 リチャードのためにも、完璧な『円満な婚約解消』をして想い人と幸せになっていただかなくては。

 そう強く心に誓ったその瞬間だった。

 ルシアンの胸の奥が、今までに感じたことのないほど、切なく、チクリと痛んだ。


(……あら? 今、なんだか胸が……。気のせいかしら? 少し食べすぎて胃がもたれたのかしら)


 それが自分の恋心からくるものとはまるで気づかず、ルシアンは首を傾げると、一瞬でその痛みを忘れて屋敷の中へと入っていった。 


────


「お母様! 聞いてくださいませ!」


 屋敷に戻ったルシアンは、出迎えてくれた母へ、昨夜から今日にかけて起きた出来事を、目を輝かせながら嬉しそうに報告した。ボヤを収めたこと、レストランでリチャードが庇ってくれたこと、そして、あの日のお茶会の少年がリチャードだったこと。

 すべてを語り終えた娘を見て、母は「まあ……」と優しく目を細め、くすくすと微笑んだ。


「やっと、あの日の少年がリチャード様だと気づいたのね、ルシアン」


「え? お母様、ご存知だったのですか?」


「ええ、もちろん知っていましたとも。だってあの日、お茶会から帰ってきたあなたが『わたくし、あの助けてくれた素敵なお兄様と結婚するの!』って、大はしゃぎでわたくしたちに宣言したのですもの」


 母の口から語られる懐かしい過去の話に、ルシアンは頬を赤らめた。しかし、母の話はそこで終わらなかった。 


「それを聞いたあなたのお父様、あの日から目の色を変えたのよ」


「お父様が……?」


「ええ。『相手は由緒正しき侯爵家の嫡男だ。今のままでは絶対に身分が釣り合わない。……いや、待てよ。将来、我が娘が身分やお金のせいで、好きな相手と一緒になれないのだとしたら、それは親である自分の甲斐性のなさが原因ではないか!』って、大泣きしながら一念発起したの」


 愛おしそうに、当時の夫の様子を振り返る母。


「それからのお父様の努力は、並々ならぬものだったわ。娘の恋(?)を叶えるためだけに事業に打ち込み、必死に今の財を成したのよ」


 母は誇らしげに微笑んだ。


「お父様がリスクを恐れず貴族たちにお金を貸し続けたのも、『いざという時、この財力と貸しが、いずれあなたの盾になり、助けになるはずだ』と信じていたからなの」


 そして、ルシアンを見つめる。


「……そんな時だったわ。内緒で安い金利で金を貸してくれると噂の我が家を頼って、ダッフル侯爵様が訪ねてこられたの」 


「まあ……っ!」


「あのお父様が、どれほど歓喜したか分かるでしょう? 『これで娘をあの時の少年に嫁がせることができる!』って、飛び上がって喜んでいたわ」


 母は思い出し笑いを浮かべた。


「……ただ、当の本人のあなたが、肝心のリチャード様のことをすっかり忘れていたから、お父様、裏で少しガッカリしていたのよ?」


 そう言って悪戯っぽく笑う母の言葉を聞き、ルシアンは胸が震えるほどの感動に包まれていた。

 お父様が死に物狂いで大富豪になったのは、すべて、自分のためだったのだ。成金だと笑われても、あえて貴族たちに融資し続けたのは、すべて娘の未来のためだった。


「ルシアンが過去の出来事を思い出したと知ったら、お父様、どれほど喜ぶかしらね。早く隣国から帰ってこないかしら」


 優しく微笑む母。本当の父の愛を知り、ルシアンの目には涙が浮かんでいた。


(わたくしに色々なことを学ばせたり、言葉を身に付けさせたのは、決して商売のためなどではなかった……。どんな方と一緒になってもやっていけるようにという親心だったのですね)


 しかし、感動のすぐあとで、ルシアンの心は、今度は罪悪感に支配された。


(お父様が、わたくしのためにと……それなのにわたくしは、リチャード様のために『円満な婚約解消』をしようとしているだなんて……)


 それでも罪悪感に苛まれながらも、ルシアンの暴走は止まることを知らない。


 彼女はその罪悪感を違う形で補おうとした。


(そうよね。この港ビジネスを大成功させることこそが、『円満な婚約解消』への近道なのよ。そうすれば、リチャード様のプライドも守られるのだわ。そしてこれからはお父様のお仕事にもお役立てできるよう、施してくれた教育を活かしていけばいいのよ)


 この夜。ルシアンは勝手な妄想に満足しながら、夜空を見上げるのだった。


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