19話(父、行方不明となる)
ボヤ騒ぎの夜をきっかけに、リチャードはルシアンに対してすっかり過保護になった。
幼い頃の記憶に残っていた、あの日のお茶会の少女がルシアンだと分かり、さらには彼女が大切にしている秘密の店にまで案内されたことで、リチャードはすっかり舞い上がっていた。『ルシアン嬢も自分に心を許してくれた(両想いだ)』そう確信してしまった。
「ルシアン嬢、昨夜の食堂の料理は本当に美味しかったよ。あ! そちらの資料は私が持とう。……おや、外は寒そうだ、風邪を引いてしまったら大変だ、何か羽織った方がいい」
「え? いえ、このくらいの薄紙でしたら重くありませんし、別に寒くもないですけれど……?」
翌朝から、リチャードは何かにつけてルシアンのそばをついて回ったり、彼女が少し考えごとをしていても『何か心配事でもあるのか?』と常に気にかけてくる。
対するルシアンはといえば、そんなリチャードの態度に『?』と首を傾げるばかり。彼女の頭は、この過保護っぷりを実に見事なほど、トンチンカンな方向へと脳内変換していた。
(なるほど! 過去の記憶を懐かしく思って、あの頃の正義感でわたくしを気にかけてくださるのだわ。それにリチャード様は、昨夜わたくしがお連れした『下町の食堂』を本当に気に入ってくださったのね。なんて律儀で、親しみやすいお方なのかしら!)
リチャードの抑えきれない愛情表現を過去への気遣いと勘違いし、ルシアンはいつもの調子で「お礼にまた、あの食堂へお連れしましょう!」と爽やかに受け流すのだった。
そんな、二人の絶妙に噛み合わない甘い(?)関係に水を差すように、一通の急ぎの手紙が届けられた。
差出人は、隣国にいる父の友人、カラク。
そこには、ルシアンの血の気が引くような衝撃の事実が書き記されていた。
この日、昨日のことを気にかけて、朝からルシアンの元を訪れていたリチャードがその手紙を読み上げた。
『レイモンド伯爵を追い詰める決定的な証拠を掴んだ直後、ノートル男爵の足取りが途絶えた。何者かの罠に嵌められた可能性が高い。現在、行方不明』
それを聞いた母は、青い顔をして今にも倒れそうにオロオロと取り乱している。
「そんな、あなた……! 一体どこへ行ってしまわれたの……っ」
すぐにでも隣国へ向かいたい母だが、極度の船酔い体質で、とても現地まで持ちそうになかった。
(いつも毅然としているお母様がここまで取り乱すなんて……)
「お母様、落ち着いてくださいませ。わたくしが今すぐ隣国へ向かい、お父様を連れて戻ります。……港の開港式典までには、必ず」
ルシアンはすぐさま旅支度をし、港へと向かおうとする。
当然のようにリチャードは自分も一緒に向かうつもりでいる。
「ルシアン嬢! 私も同行する。隣国へ君を一人で行かせるわけにはいかない!」
どうしても一緒に行くと言い張るリチャード。その優しい言葉に感謝しながらもルシアンは困ったように微笑んで、首を振った。
「お気持ちは大変嬉しいのですが、リチャード様。忘れてはいませんわ。前回ご一緒に隣国へ向かった際、あなたがあれほど酷い船酔いに苦しまれていた姿を」
「あ、 あれは、あの時はたまたま波が荒かっただけで……! だが君の危機だ、船酔いなど根性で耐えてみせる!」
過去の不甲斐なさをはっきりと指摘され、リチャードは顔を引きつらせながらも引こうとしない。ルシアンを心配するあまり、必死に食い下がってくる。その優しさは嬉しいが、ルシアンは毅然とした態度で、彼の瞳を見つめ返した。
「リチャード様、開港までもう時間がありません。もし、わたくしの留守中にこの間のようなボヤ騒ぎ、いえ、あちら側のさらなる妨害が起きたら、一体誰が現場で指揮を執るのです?」
「それは……父(ダッフル侯爵)に頼んで、警備を強化してもらうよう手配する」
「お父様お一人では、あのレイモンド伯爵の嫌がらせに立ち向かうには荷が重すぎますわ。……お願いです、リチャード様。わたくしがいない間、この港を守れるのは、あなたしかいないのです」
ルシアンはリチャードの手をそっと取り、真摯な眼差しで見つめた。
「リチャード様がここにいて指揮を執ってくださるからこそ、わたくしも心置きなく、全力でお父様を救いに行けます。必ず開港までには戻りますから……どうか、わたくしを信じて待っていてくださいませ」
「ルシアン嬢……」
そこまで信頼され、大切な港を任されては、リチャードもこれ以上食い下がるわけにはいかなかった。彼は悔しそうな顔をしながらも、渋々頷いた。
「……分かった。君が信じてくれと言うなら、私はここで全力で君の母上と港を守ろう。その代わり、絶対に無茶はしないでくれ。必ず、無事に戻ると約束してほしい」
「ええ、お約束しますわ」
こうして、後ろ髪を引かれながらも、ルシアンは固い決意を胸に隣国へと旅立つ。
(待っていてくださいね、お父様。今こそわたくしにくださった多くの愛情に応えてみせますわ)
船の甲板に立ち、遥か向こうの水平線を見つめながら、ルシアンは遠く離れた父のことを想っていた。




