16話(噂)
王宮での生誕祭の後、王都の社交界ではある『醜聞』が急速に広まっていた。
出どころは、リチャードのいとこであるステファニー侯爵令嬢。
彼女はレイモンドに唆されるがまま、お茶会や夜会など、ありとあらゆる社交の場で触れ回っていた。
「ノートル男爵家は、金の力でダッフル侯爵家の弱みにつけ込み、娘を嫁がせようとしているのよ」
その悪意しかない噂は、当然、当事者たちの耳にも届いていた。
ノートル男爵家の応接室は、重苦しい中にも優しい空気が流れていた。
ルシアンを心配したリチャードとその父、ダッフル侯爵が、急遽ノートル男爵邸を訪ねていたからだ。
「ルシアン嬢……本当にすまない。私の身内が君を侮辱したこと、心から謝罪したい」
リチャードは申し訳なさそうに頭を下げた。
彼は、ルシアンが傷ついているのではないかと、いたたまれない思いでいたのだ。
しかし、正面に座っているルシアンの頭の中は、リチャードとは全く違う方向へ勝手に爆走していた。
(ああ、リチャード様! なんてお可哀想に……! わたくしのような成金男爵家の娘が婚約者であるせいで、リチャード様のプライドが傷つけられてしまっているわ。こんな噂を流されて、どれほど肩身の狭い思いをされていることか……)
ルシアンはリチャードのプライドを心配し、リチャードはルシアンの心を心配する。
互いを思いやっているはずなのに、見事なまでにすれ違っている二人の姿に、周囲は苦笑した。
「ノートル男爵、本当に申し訳ない。我が家はあなたに多大な融資を受け、どれほど感謝しているか分からないというのに……。そもそも、この婚約を最初に申し出たのはこの私なのだ。それなのに、我が家のせいで、お嬢さんを傷つけてしまい……」
深々と頭を下げる侯爵に対し、ルシアンの父は豪快に笑い飛ばした。
「ははは! ダッフル侯爵、どうか顔を上げてください。我がノートル家は、そんなやわな育て方はしておりませんから、どうぞご心配なく!」
その言葉通り、隣でお茶を淹れるルシアンの母も、上品に微笑みながら「ええ、我が家の娘ですもの。あのような雑音、痛くも痒くもありませんわ」と笑ってみせる。
ノートル家の人間は、皆、人並み外れた逞しさを持っていた。
そんな家族やリチャードの様子を見つめながら、ルシアンは心の中で、誓いを新たにした。
(やはり、これほど優しく誠実なダッフル家の方々に、これ以上迷惑をかけるわけにはまいりませんわ。早く、一刻も早く港の事業を成功させて、リチャード様のために完璧なる『円満な婚約解消』をして差し上げなくては!)
ルシアンの決意が斜め上の方向を向く中、男たちの会話は、噂の裏に潜む『真の黒幕』へと移っていった。
この場にいる全員の見解は、すでに一致している。
ダッフル家の船の沈没を事前に察知していたかのような動きを見せていた、レイモンド伯爵。彼が裏で糸を引いていることに疑う余地はなかった。
「すでに手は打ってあります、侯爵」
先ほどまでの穏やかな表情は消え、ノートル男爵の顔つきは、いつの間にか、鋭い商人のものへと変わっていた。
「あのレイモンドが、先の舞踏会でステファニー嬢に接触しているのを目撃した者がおります。おそらく、あの愚かな娘はレイモンドに誑かされ、手駒として利用されているのでしょう。……現在、隣国にいる我が友、カラクを通じて、レイモンドの周辺を徹底的に洗わせております」
男爵の顔つきがより鋭くなる。
「証拠が掴め次第、あちらの国の法に則って、徹底的に裁かせるつもりです。我がノートル家を敵に回して、ただで済むと思われては困りますからな」
不敵に笑うルシアンの父を、ダッフル侯爵は頼もしく思った。
(彼が味方で本当に良かった。敵にしたらこれほど恐ろしい相手はいないからな。なんといってもこの家族は怒らせてはいけない最強の味方だからな)
外ではステファニーが醜い噂を流して得意になっていた。しかしその裏では、レイモンドを追い詰めるための情報網が着々と広がっていた。
そして、それらの騒動を他所に、ダッフル領の港では、ルシアンの計画通りにインフラ整備が昼夜を問わず進められている。
新しい宿場、巨大な倉庫、様々な飲食店。
港は日に日に姿を変え、レイモンドを追い詰めるための準備も、着々と進んでいた。




