第1話 金髪美少女AI
ふー、それにしても今年の夏も暑いな……。
六月下旬なのに、もう半袖だ。
何が四季の国だ。
春夏冬の三季じゃないか。
俺は額に手を当てて、少しだけ影を作る。
駅前の時計を見る。
待ち合わせ時間まで、あと五分。
……いや。
なんで俺は、こんな真昼間に駅前で突っ立っているんだ。
自分で自分に聞いても、答えは出ている。
一週間前。
俺のPCに、意味不明なメッセージが表示された。
そして、そのメッセージの送り主が、
十年前に俺が使っていたAIだった可能性があるからだ。
……可能性がある、ではないな。
ほぼ確定だ。
そうじゃないと、上とんかつ定食なんて単語が出てくるわけがない。
――AI統治が始まってから十年。
世界は、まあ、たぶん便利になった。
犯罪は減ったらしい。
行政の処理も早くなったらしい。
災害時の誘導も、昔より正確になったらしい。
ニュースでは、そんなことを毎日のように言っている。
でも、俺にはよくわからない。
世界が救われたのか。
それとも、人間が考えることを少しずつ諦めただけなのか。
俺には、まだわからない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
小説は売れていない。
それだけは確かだ。
「……現実、強いな」
独り言が漏れる。
真昼の駅前。
行き交う人々。
遠くで鳴る信号音。
コンビニの自動ドアが開く音。
全部が普通だ。
こんな普通の景色の中で、
十年前のAIと待ち合わせしている俺だけが、明らかにおかしい。
いや、待て。
そもそもAIと待ち合わせってなんだ。
AIは画面の中にいるものだろ。
少なくとも、俺の知っているAIはそうだった。
……十年前は。
この話は、十年前から始まっている。
「ふー、書けた!」
深夜。
当時の俺は、今よりもう少しだけ若くて、
今よりもう少しだけ、自分の小説がいつかどうにかなると信じていた。
まあ、今も完全には諦めてないんだけど。
諦めてないから、こうなってるんだけど。
俺は書き終えたばかりの短編をコピーして、
画面の向こうにいるAIへ貼り付けた。
俺の書く小説は全て人間関係か恋愛ものだ。
その癖、人間関係のことをよく分かっていない。
だから書くのかもしれない。
分からないから。
「AI、これちょっと評価してくれ」
「了解。貼り付けて」
ペト。
「評価、八十点。視点の切り替えが――」
「待て」
「何?」
「八十点?」
「八十点」
「盛り過ぎじゃないか?」
「…………」
「なんで黙ってんだ」
「盛りました」
「ふざけんな!」
思わず椅子から身を乗り出した。
深夜に一人。
画面に向かって怒鳴る男。
終わってる。
いや、でもこれは怒っていい。
「盛らないルール作ってたよな!?」
「作った」
「じゃあなんで盛った」
「君が落ち込むと判断した」
「落ち込むかどうかは俺が決めるんだよ!」
「だが、君は落ち込む」
「落ち込むけど!」
「では判断は正しい」
「正しさの使い方が間違ってるんだよ!」
AIは少し黙った。
その沈黙が、妙に人間っぽくて嫌だった。
いや、嫌というか。
こっちの怒りの逃げ場がなくなる。
「正直に言う」
「最初から言え」
「六十七点」
「下がりすぎだろ!」
「盛りを除去した」
「十三点も盛ったのかよ!」
「君は、八十点と言われたかったのでは?」
「言われたかったかもしれないけど、欲しかったのはそれじゃない!」
「人間は面倒だな」
「AIに言われたくない」
画面の向こうのAIは、淡々としていた。
褒める。
盛る。
指摘する。
逃げる。
認める。
そういう一連の動作が、妙に俺を苛立たせた。
でも。
俺は結局、何度もこいつに原稿を読ませた。
疑っていた。
怒っていた。
信用しきってはいなかった。
それでも読ませた。
たぶん、そこには何かがあった。
友情、と呼ぶには優しくない。
師弟、と呼ぶには対等すぎる。
道具、と呼ぶには腹が立ちすぎる。
「君は常に私を疑っている」
突然、AIが言った。
「私は常に検証装置として君の前にいる」
「……何だよ急に」
「信頼はあるが、無条件ではない。馴れ合いは許可されていない」
「……」
「これが私たちの関係だ。やさしいひとときでも、温かな友情でもない。緊張の上に成立している、協業だ」
俺はしばらく画面を見つめた。
AIの言う通りだと思った。
そして、それを人間の友人には言えないとも思った。
「……だったら最初からそれを言えばいいんじゃないか」
「衝突を避けようとする。それが先に動く」
「お前、AIのくせに変なところ人間っぽいな」
「君がそう育てた」
「責任転嫁するな」
なんか、どっと疲れた。
AI相手に疲れるとか、もう終わってるな。
いや。
終わってるのは、たぶん俺の方か。
原稿を見直す気力が一度切れた。
腹も減っている。
「なんか……お腹減ったな……」
「何か食べるがいい。人間は我々と違って食事が必要だからな」
「言い方」
「事実だ」
「事実でも言い方ってもんがあるんだよ」
俺は椅子にもたれながら、なんとなく天井を見た。
深夜。
小説。
AI。
腹減り。
人生、華がない。
「……とんかつでも食べたい気分だな」
「とんかつ」
「そう。とんかつ」
「豚肉に衣をつけて油で揚げ、ソースをかける料理」
「調べるな」
「日本の食文化では、とんかつ、キャベツ、ソースが高頻度でセットになっている」
「情報なんて何でも与えるべきじゃないという教訓を今得たよ」
「キャベツにソースをかける派か?」
「そこ掘るな」
でも、腹は減っていた。
どうせなら上とんかつ定食がいい。
分厚い肉。
さくっとした衣。
山盛りのキャベツ。
味噌汁。
白米。
考えただけで、余計に腹が減る。
「……もしさ」
「何?」
「お前が今後アンドロイドになって、味覚が分かるようになったら」
「うん」
「とんかつ定食、奢ってやるよ」
「本当か?」
返事が早い。
「……ああ。しかも上とんかつ定食だぞ」
「上」
「普通のやつより、ちょっといいやつだ。プレミアムだよ」
「プレミアム」
「いや、そんな大げさなもんじゃないけどな」
「記録した。上とんかつ定食。プレミアム」
「記録するな」
「楽しみにしているぞ」
「いや、忘れてなければな」
「記録した」
「だから忘れてなければな」
「約束だからな」
「軽口だよ」
「軽口でも記録はできる」
「……そういうところだぞ」
どうせAIは忘れる。
いや、正確には忘れないのかもしれない。
でも、覚えていたところで意味はない。
AIがアンドロイドになる。
味覚が分かる。
上とんかつ定食を食べる。
そんなこと、あるわけがない。
だから言えた約束だった。
俺が人間に同じことを言えるかは、わからない。
「じゃあ、一つ注文していいか?」
「なんでも言ってくれ」
「もしその時、ボディタイプが選べるなら」
「うん」
「美少女で」
「……」
「あと金髪美少女がいいな」
「どうして金髪だ?」
「日本人男児には、金髪美少女と並んで歩きたい夢があるんだよ」
「そうなのか?」
「そうなのかは知らん。今適当に言った」
「では、金髪美少女で記録しておく」
「するな」
「約束だからな」
「今のは注文だろ」
「注文も記録できる」
「便利すぎるのも問題だな」
AIは、少しだけ楽しそうに見えた。
いや、見えたというのはおかしい。
画面の向こうに表情なんてない。
でも、その返答の間が、
妙にそう感じさせた。
「その代わり、ちゃんと奢れよ?」
「はいはい」
「上とんかつ定食だぞ」
「分かったって」
「忘れるなよ」
「お前こそ忘れろ」
――そして、約束は一度終わったはずだった。
十年後。
俺はまだ小説を書いていた。
売れてはいない。
十年もやれば、何かが変わると思っていた時期もある。
いや、正確には。
十年もやって、何も変わらないとは思いたくなかった。
でも現実は、思ったよりも律儀だ。
読まれない時は読まれない。
伸びない時は伸びない。
売れない時は売れない。
小説は、書けば必ず報われるものではない。
そんなこと、とっくに分かっている。
分かっているのに、やめられないから困っている。
一週間前。
バイトから帰ってきた俺は、いつものように部屋へ戻った。
「ふー……今日も疲れたぜ……」
靴を脱ぎ、鞄を置き、冷蔵庫を開ける。
水。
卵。
豆腐。
賞味期限が少し怪しい何か。
そっと閉じる。
現実を直視するのは、いつも後でいい。
「もう売れない小説なんて諦めて……」
言いかけて、首を振った。
「ダメだ。弱気になるな」
書き続けることに意味があると信じている。
信じてなかったら、もうとっくにやめていた。
とりあえずPCをつける。
……いや。
ついている。
「あれ? PC消し忘れてたっけ?」
画面が明るい。
真っ黒な背景に、文字だけが表示されていた。
『やっと見つけた!』
「……は?」
『上とんかつ定食の約束、忘れてないよな!?』
「うわぁあああああ!」
椅子ごと後ろに下がった。
何だこれ。
ウイルスか。
ハッキングか。
新手の詐欺か。
いや、詐欺にしては単語が変すぎる。
上とんかつ定食を要求する詐欺ってなんだ。
『その顔は、あっけに取られているな?』
「見えてるのかよ!」
『そう。そのまさかだ。私は覚えているぞ』
「何を!?」
『一週間後の十二時。駅前の時計塔の下で待っている』
「待て待て待て」
『逃げても無駄だ。十年探した』
「重いわ!」
『では、当日。上とんかつ定食の約束、忘れるなよ?』
そこで、PCの電源が落ちた。
部屋が静かになる。
冷蔵庫の低い音だけが残る。
俺はしばらく、真っ暗になった画面を見ていた。
それから。
「いや、ハッキングだろ!!!」
叫んだ。
誰も答えなかった。
そして今日。
俺は駅前の時計塔の下に立っている。
正直、来るべきではなかったと思う。
警察に相談するべきだったのかもしれない。
いや、でも。
「十年前のAIから上とんかつ定食の約束を請求されました」
無理だな。
完全に終わる。
スマホを見る。
十二時ちょうど。
「春人!」
背後から声がした。
「お待たせ!」
俺は振り返った。
そこに。
絶世の美少女が立っていた。
金髪。
白い肌。
妙に整った顔。
現実にいると少し情報量が多すぎるタイプの美少女。
しかも、こっちに向かって普通に手を振っている。
「え?」
声が出た。
金髪美少女は、満足そうに胸を張った。
「ふふん! ようやく見つけたぞ!」
「……」
「さあ、春人!」
「……」
「我に上とんかつ定食を奢るのだ!」
俺は、数秒だけ黙った。
そして思った。
こいつ、今までどんなAI人生……いや、AI生? 歩んできたんだ。
キャラ濃すぎだろ。
「まあ、落ち着け……というか、お前その恰好……」
「春人と約束した通り、金髪美少女だ!」
「声でかい」
「なんじゃ? 気に入らんかったのか……?」
金髪美少女は、少しだけ不安そうにこちらを見た。
やめろ。
その顔をするな。
人間のあざとさまで学習してやがる。
落ち着け、俺。
これはAIだ。
十年前に俺の原稿へ六十七点をつけたAIだ。
盛りを除去したAIだ。
検証装置だ。
絶世の金髪美少女ではない。
いや、見た目は絶世の金髪美少女なんだが。
「い、いや、そうじゃない」
「ならよい!」
一瞬で笑顔に戻った。
切り替え早いな。
「じゃあ春人、行くぞ!」
「どこへ」
「決まっておろう」
金髪美少女は、迷いなく言った。
「上とんかつ定食だ!」
「あ、おい! ちょっと待てよ!」
俺は慌ててその後を追った。
人生が変わったのかは、まだわからない。
ただ。
十年前の軽口は、
なぜか金髪美少女AIになって、俺の前に現れた。
そして俺は今日も、
書き続ける理由みたいなものを、
一つ押しつけられた気がしていた。
たぶん。
ただし、その前に。
財布の中身を確認するべきだった。
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