第81話:シュシュの追跡と、リサの教え
ファビアンが去った後のエルムの街には、澱んだ湿り気のような不穏な空気が残っていた。夕暮れ時、石畳の影が伸びる路地裏で、シュシュは鼻先を鋭く動かした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【舞台:エルムの旧市街・入り組んだ路地】
「……やはり、この先の廃屋から妙な匂いがしますニャ。鉄と、腐った魔力が混じったような、吐き気がする匂いですニャ」
シュシュの瞳が、闇の中で鋭く光る。彼は自身の影を液状に広げ、気配を殺して壁を伝う。その少し後方を、フードを深く被ったリサが静かに追っていた。
「待ちなさい、シュシュ。……あんた、鼻が利くのは認めるけど、少し焦りすぎじゃない?」
「リサ様、そうも言っていられませんニャ。街の野良猫たちが、もう三匹も消えているんですニャ。奴ら、使い魔の適性がある個体を選んで攫っているに違いありませんニャ」
「わかってるわよ。でも、相手はあのファビアンが連れてきた帝国の隠密部隊かもしれないのよ。あんた一人の『影遊び』でどうにかなる相手じゃないわ」
リサの声は厳しいが、その瞳にはシュシュを案じる色が混じっていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【帝国の罠 ―― 獣封じの檻】
二人が廃屋の地下へと続く階段に差し掛かった瞬間、周囲の空間が微かに震えた。
「――っ! しまった、罠ですニャ!」
シュシュが飛び退こうとしたが、足元の影が不自然に固着し、動かなくなった。四方の壁から、魔力を吸い上げる青い光の鎖――帝国製『獣封じの術式』が飛び出し、シュシュを全方位から包囲する。
「……計算通りだ。やはり『VOID』の使い魔が釣れたな」
闇の奥から、無機質な面を被った帝国の隠密兵が姿を現した。彼は手にした呪具を鳴らし、シュシュの魔力を強制的に外部へ引き出し始める。
「くっ……体が、重いですニャ……。魔力が、外に漏れ出す……!」
「シュシュ!」
リサが杖を掲げようとするが、兵士が冷たく笑う。
「無駄だ。この結界は内部の魔力波長を反転させる。外からの干渉は、すべて中の獣へのダメージに変換されるぞ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【リサの教え ―― 魔力の流転】
リサは唇を噛み、一度杖を下ろした。だが、その瞳に諦めはない。
「シュシュ、聞きなさい! 落ち着いて、私の声だけに集中するのよ。あんた、いつもアスカの隣で、彼女の『完璧な演算』を見てきたでしょ?」
「リサ……様……?」
「魔力は『力』じゃない、『流れ(流転)』よ! 縛られているなら、その縛っている力を自分の回路の一部として取り込んでしまいなさい。あんたの影は、光があるから存在するんじゃない。光を飲み込むためにあるのよ!」
リサは結界の外側に手を触れ、自身の魔力を「攻撃」ではなく、シュシュへの「調律」として送り込んだ。
「アスカの理論を思い出して。……外圧と内圧を同調させれば、その鎖はただの紐になるわ! 影を『液化』させるんじゃない、影そのものを『空間』として再定義するのよ!」
「……影を、空間に……。そうですニャ、ボクはアスカ様の使い魔……。この程度の術式に、定義を書き換えられてたまるもんですかニャアア!」
シュシュの全身から、漆黒のマナが爆発的に溢れ出した。彼は鎖に抗うのではなく、鎖が発する魔力そのものを影の中に「収納」し、結界の構造を内側から食い破った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【決着と、陰謀の断片】
「何……っ!? 獣が術式を『食った』だと!?」
驚愕する隠密兵に向け、リサが不敵に笑う。
「うちの使い魔を、ただの猫だと思わないことね。――《赫炎の奔流》!」
リサの放った炎が地下室を焼き、隠密兵を壁際まで吹き飛ばした。兵士は捨て台詞を残し、煙幕と共に姿を消した。
後に残されたのは、不気味に明滅する帝国の通信機と、攫われた動物たちが入れられていたであろう空の檻だけだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【ラストシーン】
「……お見事でしたニャ、リサ様。助かりましたニャ」
シュシュが少しふらつきながらも、毛並みを整えてリサを見上げる。リサは乱暴にシュシュの頭を撫でた。
「ふん、当然よ。……でも、今の戦い、アスカが見てたら『効率が悪すぎるわ』って怒られたでしょうね」
「ふふ……。リサ様の教えは、アスカ様の理論と同じくらい頼りになりますニャ」
リサは足元に落ちていた通信機の破片を拾い上げた。そこには、帝国の紋章と共に、ある一つの単語が刻まれていた。
――『共鳴実験』。
「……シュシュ、これを持って帰りましょう。アスカに解析させなきゃ」
リサが夜空を見上げると、エルムの街を包む月光が、どこか不気味な銀色に濁っているように見えた。
「嫌な予感がするわ。……奴ら、猫を攫って何をするつもりかしら。日常の裏側で、取り返しのつかない何かが動き始めているみたいね」
二人の影が、深い闇に溶け込んでいく。 古本屋『VOID』へと続く帰り道、シュシュは自分の影が、以前よりも少しだけ濃く、そして深く変わったことを感じていた。




