第67話:賢者の帰還と終わらないデバッグ
帝都での知的な狂騒から数日。エルムの街には、ようやく本当の春が訪れていた。古本屋『VOID』の庭では雪が完全に溶け、柔らかな若草が顔を出している。しかし、その平和なはずの光景を、物理法則を無視した「現象」が蹂躙していた。
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【舞台:古本屋『VOID』・リビング】
「……リサ。今すぐ、この家の『空間接続』を物理的に切断して。さもないと、私の脳内メモリが紙の重みで物理的に損壊するわ」
アスカは、愛用の「こたつ」に潜り込みながら、目の前にそびえ立つ「紙の塔」を見上げて絶望していた。リビングの床が見えないほどに積み上がったのは、帝都から転送魔導で送り付けられてくる膨大な決裁書類の束だ。
「無理よアスカ! 接続を切ったらエルムの魔力ラインまで止まる設定にされてるんだから! はい、これ、今日の『午前分』の追加よ!」
リサが抱えてきたのは、さらに厚さを増した羊皮紙の束だった。
「……信じられない。私、エルムに帰ってきてから三日間、一度もこたつから出られずに、帝国の下水処理の予算案をチェックしているのよ。……これのどこが『自治権の獲得』なのよ……!」
アスカが殺気立った手付きで羽ペンを走らせ、「却下」のスタンプを猛烈な勢いで叩きつける。その時、リビングの扉が、鈴を鳴らすような軽やかな音と共に開いた。
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【皇帝、執事になる】
「やあ、アスカ。進捗はどうだい? 君が承認してくれた『帝都噴水広場の魔力循環プラン』、実に見事な流体計算だった。あまりの美しさに、私は感動のあまり新しい課題を持ってきてしまったよ」
現れたのは、あろうことかエルムの街に別荘を購入し、完全に居着いてしまった元皇帝、ゼノスだった。彼は帝国の最高礼装を脱ぎ捨て、なぜか非常に質の良い「執事服」を纏い、最高級の茶葉が入った缶を手に持っている。
「ゼノス……! あなた、どうしてまだここにいるのよ。帝都に帰って、自分の尻拭いくらい自分でやりなさい!」
リサがモップを武器にゼノスを追い払おうとするが、彼は優雅な身のこなしでそれをかわし、アスカの隣に跪いた。
「帰る必要なんてないさ。帝国は今、アスカという『完璧な演算機』によって、歴史上最も効率的に運営されている。私は、その恩恵を享受しつつ、君が苦悩しながら私の愛を解く姿を眺める……。これこそが、私の導き出した究極の隠居ライフだよ」
「……この、バグの集合体……! あなたの存在自体が、世界の論理的整合性を著しく乱しているわ」
アスカはペンを投げ出し、ゼノスの胸元を掴もうとしたが、その瞬間、空中に新たな転送陣が展開された。
『緊急:国境付近における幻獣の繁殖制限について・至急決済を乞う』
「――っ! ああああもう! 幻獣くらい勝手に繁殖させなさいよ!!」
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【逆転のデバッグ】
アスカの絶叫が響く中、彼女の瞳が冷徹な光を帯び始めた。
「……ゼノス。あなたは大きな計算違いをしているわ。……私が、ただ大人しくあなたの嫌がらせに従うだけの演算機だと思っていたの?」
「おや、まだ抵抗する気力があるのかい? だが無駄だよ。そのメダルと帝国のシステムは、君の固有魔力波長に完全にロックされている。外そうとすれば、国家システムが崩壊してエルムが消滅する……という、完璧な詰み(チェックメイト)だ」
「……完璧? 笑わせないで。……私にとって、この程度のプロテクトは『1桁の足し算』より簡単だわ」
アスカがメダルを指先で弾くと、幾何学的な紋章が空中に展開された。
「あなたが施した『固有波長の同期』……。なら、私の魔力波長そのものを、あなたの波長と『一時的に置換』すればどうなるかしら? 術式展開――『偽装認証・因果の譲渡』!」
「な……!? 自分の魔力特性を書き換えるというのか!? そんなことをすれば君の身体が――」
ゼノスが驚愕して手を伸ばすが、アスカは不敵に微笑んだ。
「私の知力と魔法力を舐めないで。……はい、デバッグ完了」
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【ラストシーン】
カチリ、と硬質な音が響いた。 絶対に外れないはずだった黄金のメダルが、アスカの首から滑り落ち、ゼノスの膝元へと転がった。それと同時に、リビングを埋め尽くしていた書類の山が、逆回転の転送陣に吸い込まれるように次々と消えていく。
「全権大使の証、そして帝国の管理責任。……すべて、本来の所有者であるあなたに『返却』したわ。……今の私は、ただの古本屋の店番に戻った。……わかったら、今すぐそのゴミ(書類)と一緒に、帝都へ強制送還(強制退場)されなさい!」
アスカが指を鳴らすと、ゼノスの足元に巨大な転送陣が出現する。
「はは……! ああ、やはり君は最高だ、アスカ! 敗北すらもこれほどまでに心地よいとは……! だが忘れないでくれ、私は何度でも、君という難問を解きに――」
「二度と来ないで!!」
ゼノスは恍惚とした表情のまま、光の渦の中に消えていった。
静寂が戻ったリビング。アスカは深く、深くため息をつき、こたつの中に潜り直した。
「……リサ。お茶。……今度は、普通のお茶にして」
「あはは、了解! お疲れ様、アスカ」
窓の外では、春の風が穏やかに吹き抜けている。 最強の賢者は、ようやく取り戻した「本当の平穏」を噛み締めるように、そっと瞳を閉じた。
第6章が完結いたしました。
皇帝ゼノスとの一風変わった決戦、いかがだったでしょうか?
さて、明日から第7章が始まります。
またまたゼノスが、ある話をアスカに持ち掛けます。
どういった物語が展開されるのか・・・明日からの第7章をお楽しみに!
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