第68話:帝都からの闖入者
【舞台:古本屋『VOID』・リビング】
エルムに訪れた春の陽光が、こたつで丸くなるアスカの黒髪を艶やかに照らしていた。帝都での激闘を終え、ようやく手に入れた平穏な日常。しかし、その静寂はリサの鋭い叫びによって破られた。
「ちょっと、アスカ! 庭が、庭が大変なことになってるわよ! 何なのこれ、キラキラ光る木がいっぱい生えてるんだけど!」
アスカが重い腰を上げて窓の外を見ると、そこには整然と並んだ「黄金の苗木」が、物理法則を無視した成長速度で枝を広げていた。
「……計算外。しかもこの魔力波長は極めて不快。特定の個人に対する嫌悪感が、論理回路を直接逆撫でする……」
アスカがこめかみを押さえた瞬間、リビングのドアが音もなく、しかしこれ以上なく優雅に開いた。
「やあ、アスカ。戻って早々に悪いが、帝国の最新農業魔導の成果を届けておいたよ。君の庭なら、きっと素晴らしい実を付けると思ってね」
そこには、最高級のシルクで作られた執事服を完璧に着こなし、銀のトレイを捧げたゼノスが立っていた。
「……ゼノス。あなた、自分の国はどうしたの。皇帝が他国の古本屋で執事ごっこなんて、非論理的にも程があるわ」
「皇帝の仕事なら、信頼できる部下たちに丸投げしてきたよ。今の私は、君という『退屈を壊す神』に仕える一人の有能な使用人に過ぎない」
ゼノスが深く一礼する。その背後から、騒ぎを聞きつけたVOIDの仲間たちが次々と姿を現した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【VOIDメンバー、集結】
「……あ、あの。ゼノスさんが、勝手にキッチンで最高級の茶葉を蒸らしてたんだけど……」
ミーナが困惑した表情で、ゼノスが持ってきたティーセットを指差す。
「お姉ちゃん、どうすればいい?」
「……変なキラキラの木。……登ってもいいのかニャ?」
シュシュが、しなやかな足取りで窓枠に飛び乗り、苗木を見て呟く。
「待て、シュシュ。……こいつ、魔力の底が見えない。ただの変態じゃなさそうだ」
レオンが険しい顔で杖を構える。その隣では、カイルも青い魔導衣の袖をまくり、杖を構えていた。
「アスカ様! 彼が例の皇帝ですか? エルムに仇なすつもりなら、僕の魔法で今すぐ追い出してご覧に入れましょう!」
カイルが魔力を練り、攻撃呪文の準備を始める。
「やめたまえ、若き魔術師よ。私は今、アスカが糖分不足で演算能力を低下させているのを憂慮して、最高のアップルパイを焼くための提案に来ただけだ」
「……アップルパイ?」
アスカの眉がぴくりと動く。その隙を逃さず、ゼノスは苗木と一緒に届いた一冊の古い魔導書を広げた。
「そう。この『黄金のリンゴ』には、伝説の『賢者のオーブン』が必要不可欠。そしてそのオーブンの在処を示す地図が、これだ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【究極のパイへの導線】
魔導書の裏表紙から、青白い光と共に立体的な地図が浮かび上がる。アスカの瞳が、無意識のうちにその座標を解析し始めた。
「……この魔力構成。……古代文明の超高効率熱伝導システム……。もしこれを使えば、パイ生地の層をナノメートル単位で制御し、糖分を脳内血流へ最速で届けることが可能になる……」
「アスカ、目が『演算モード』になってるわよ!」
リサが呆れたように叫ぶが、アスカの知的好奇心は既に臨界点に達していた。
「……決めた。この地図の場所へ行く。材料を揃え、そのオーブンで究極のアップルパイを焼く。これは私の脳に対する『論理的な義務』よ!」
「私も一緒にいきます! 魔法で援護を完璧にこなして見せますよ」
カイルが意気揚々と杖を振る。
「……リンゴ、早く食べたいニャ」
「私も、お姉ちゃんがそう言うなら、美味しいパイのために頑張る!」
ミーナとシュシュも乗り気だ。レオンは溜息をつきながらも、アスカを一人で行かせる気はないようだ。
「……なら、私も行くわ。この変態皇帝を一人にして、また変な魔法陣でも敷かれたらたまったもんじゃないし!」 リサが腰に手を当ててゼノスを睨む。ゼノスは満足げに微笑んだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【ラストシーン】
エルムの街の入り口。 ゼノスが指を鳴らすと、四頭の魔導馬が引く、宮殿のように豪華な魔法馬車が虚空から現れた。
「……ゼノス。言っておくけど、これ、ピクニックじゃないから。……究極の論理を形にするための、聖戦よ」
アスカが首にかけた『全権大使の証』のメダルを、不機嫌そうに、しかし誇らしげに握る。
「もちろんだ。……君のその真剣な眼差しこそ、私の旅の最高のスパイスだよ」
春の陽光の下、黒髪の賢者、執事姿の皇帝、魔術師たち、そして黒猫が、一台の馬車に乗り込む。 古本屋『VOID』の看板が風に揺れ、賑やかすぎる一行の影が、街道の先へと伸びていった。




