第5話:迷い込んだ聖騎士と、呪われた剣の解呪法
【舞台:古本屋『VOID』・店内】
外はあいにくの雨だった。しとしとと降る雨音が、古本屋の静寂をより深いものにしている。 アスカはカウンターで、ハーブティーの湯気を眺めながら、古い数秘術の本に視線を落としていた。
その静寂を、ひどく重苦しい足音が踏み荒らした。
「……たの、もう……。ここが、いかなる呪いも解くという『概念の掃き溜め』か……?」
現れたのは、深紅の騎士服を纏った若き聖騎士だった。しかし、その顔は土気色で、右腕には禍々しい黒い霧を放つ長剣が「癒着」するように食い込んでいる。
「アスカ様、雨の日に縁起でもないお客様ですニャ。床が呪いの残留思念で汚れそうですニャ」
シュシュがカウンターの陰から警戒して鼻を鳴らす。
「……入り口のマットで足を拭いて。それと、うちは除霊所じゃないわ。古本屋。……帰って、騎士さん。あなたの右腕のログ、もうすぐ世界から消去されそうよ?」
アスカは本から目を上げず、冷淡に言い放つ。
「くっ……。王都の聖教会の司祭ですら、この『終焉の蛇』の呪いには手が出せなかった……。頼む、この剣を外してくれ! 報酬なら、この命を賭けても――」
「命なんていらない。処理に困るわ。……シュシュ、これどう思う?」
アスカがようやく顔を上げ、騎士の右腕を黒い瞳で一瞥する。
「典型的な『所有者固定バグ』ですニャ。剣の自意識が暴走して、持ち主の生体データを上書きしようとしていますニャ。あと30分で、彼は人間をやめて鉄屑になりますニャ」
「……30分。……ねえ、騎士さん。その剣を外すのに、普通ならどんな手順が必要だと思ってる?」
「え……? 聖なる泉での七日七晩の祈祷と、高位魔導師十人による封印解除の儀式が必要だと……」
「……非効率。タイパが悪すぎて吐き気がするわ」
アスカは溜息をつき、椅子から立ち上がった。彼女は騎士の前に立つと、しなやかな指先を、禍々しい黒霧に包まれた剣の柄に、何の躊躇もなく伸ばした。
「ま、待て! 直接触れれば、君まで呪いに食われる――!」
「……動かないで。思考ノイズが走ると、計算がズレる」
アスカが剣に触れた瞬間、店内に凄まじい衝撃波が走った。黒い霧がアスカの腕に絡みつき、蛇のような形を成して彼女を飲み込もうとする。 しかし、アスカは眉一つ動かさない。
「システムコール。事象コード:3302、『固着』の属性を解除。……さらに、この剣の自意識(OS)を……そうね、初期化するには惜しいわ。……『静音モード』に書き換えて」
アスカの指先から、白銀の数式が溢れ出し、黒い霧を圧倒的な速度で塗り替えていく。 バキッ、という乾燥した音が響き、騎士の腕から剣が呆気なく剥がれ落ちた。
「な……!? 呪いが……消えた……?」
「消してないわ。書き換えただけ。……はい、これ。もうあなたを食べることはないわ。……ただ、ちょっと性格を変えておいたから」
アスカが足元に転がった剣を拾い、騎士に手渡す。かつての禍々しさは消え、剣はまるでクリスタルのように澄み渡っていた。
「性格を、変えた……?」
騎士が剣を鞘に収めようとした、その時。剣が「チリン」と鈴のような愛らしい音を立てた。
「……何だ、今の音は?」
「その剣、主人が殺気立つと『鈴の音』が鳴るようにしておいたわ。騎士道精神を忘れないように、っていう私からのアドバイス。……それと、この剣はもう一日に一時間しか抜けない設定にしたから。それ以上は、私の読書時間を邪魔した罰よ」
「そ、そんな……。聖騎士の剣が、一時間しか使えないなど……!」
「十分でしょう? 戦いなんて、一分で終わらせるのがプロの仕事よ。……さあ、直ったなら早く帰って。湿気で本のページが波打つのが耐えられないの」
騎士は呆然としながらも、自分の腕が自由になった奇跡に涙を流し、深々と頭を下げて店を去っていった。
再び、雨音だけが支配する静かな店内に戻る。
「アスカ様、また一つ伝説を作ってしまいましたニャ。あの剣はきっと『平和の鈴』として歴史に刻まれますニャ」
「……どうでもいいわ。……それよりシュシュ、雨が上がったみたい」
窓の外を見ると、雲の隙間から一筋の陽光が差し込み、雨上がりの街を照らしていた。 そこへ、軽やかな足音が近づいてくる。
「アスカお姉ちゃーん! 雨が止んだから、お庭で採れたハーブティー持ってきたよー!」
ミーナが扉を開けて飛び込んでくる。その無邪気な笑顔を見た瞬間、アスカの瞳から「最強の賢者」としての鋭さが消え、いつもの気だるい平穏が戻った。
「……ミーナ。床が濡れるから、そこで止まって。……でも、そのハーブティーが、さっきの呪いよりも私を癒してくれるなら……特別にカウンターへ上がるのを許可するわ」
「えへへ、お姉ちゃん、なんか今日、優しいね!」
「……気のせいよ。ただの計算ミスだわ」
アスカは、呪いの剣を直したばかりの指先で、ミーナが持ってきた温かいカップを受け取った。 雨上がりの光の中で、黒髪の賢者は、自分だけの「平穏な数式」をそっと噛み締めていた。
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