第49話:知性のオーバーヒート
窓の外では、昨日までの雪が嘘のように止み、朝陽が雪原に反射して眩しいほどの白さを作り出していた。しかし、古本屋『VOID』の二階にあるアスカの寝室は、重苦しい熱気に包まれていた。
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【舞台:古本屋『VOID』・アスカの寝室】
「……リサ。報告して。私の脳内クロックが……異常な遅延を起こしているわ。視界のフレームレートも、平常時の30%まで低下している……」
ベッドの中、アスカは黒髪をシーツに散らし、荒い息をつきながら呟いた。その頬は林檎のように赤く染まり、いつもは鋭い瞳が熱で潤んでいる。
「アスカ、あんたね……。それを世間じゃ『風邪で頭がぼーっとする』って言うのよ。はい、黙って体温計を挟みなさい」
リサが呆れたように、冷たいタオルをアスカの額に乗せた。アスカはその冷感にビクンと肩を震わせると、熱に浮かされた虚ろな目でリサを見上げた。
「……っ、冷たい……。熱力学第2法則に対する……暴力的な干渉よ。リサ……責任を取りなさい。私のニューロンが……溶けて……数式が……逃げていく……」
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【崩壊する論理】
「お姉ちゃん、お粥持ってきたよ! 卵とはちみつも入れたからね」
ミーナが心配そうに盆を持って入ってくると、アスカは突然、ガバッと上半身を起こした。
「……待って。そのお粥の蒸気……。黄金比を維持しながら拡散している。……計算しなきゃ。1、1、2、3、5、8……フィボナッチお粥……! 世界は……お粥で構成されているのよ、ミーナ!」
「お姉ちゃん!? 変なこと叫んでる! リサさん、お姉ちゃんの知性が壊れちゃった!」
「元からちょっと壊れてるけど、今は熱で回路がショートしてるわね。ほらアスカ、暴れないの。最強の法衣だって、ウイルスまでは防いでくれないんだから」
リサがアスカの肩を押さえて横に寝かせようとするが、アスカは力なくリサのローブの袖をギュッと掴んだ。
「……リサ。……行かないで。私の周囲3メートルから……『孤独』という変数を排除して。……今の私は……1割る0の解……つまり、定義不能な存在なの……。怖い……計算できない未来が、怖い……」
「……アスカ」
普段の傲慢なまでの自信はどこへやら、熱に浮かされたアスカは、まるで迷子の子供のようにリサの袖を握りしめている。王都を救ったあの凛とした賢者と同一人物とは思えないほど、今の彼女は脆く、そして弱かった。
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【看病のデバッグ】
「はいはい、どこにも行かないわよ。あんたが治るまで、私が付きっきりでデバッグしてあげるから」
リサが優しくアスカの手を握ると、アスカは安心したように「ふにゃ……」と力の抜けた声を漏らした。
「……リサの体温。……私の計測によれば、平常時より0.5度高いわ。……心地よい……エラー……。……ミーナ……あっちの、イチゴを……。……ビタミンCと……私の……愛着の……相関関係を……証明しなきゃ……」
「お姉ちゃん、イチゴだね! すぐ洗ってくるから待ってて!」
アスカはミーナの声を聞きながら、再び深い眠りの淵へと沈み込んでいく。その間際、彼女は誰にともなく、掠れた声で囁いた。
「……非論理的だわ……。……熱があるのに……こんなに、温かいなんて……」
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【ラストシーン】
陽が傾き、部屋にオレンジ色の影が伸びる頃。 アスカは再び眠りに落ちた。彼女を包むのは、最強の防御結界ではなく、リサが何度も取り替えた湿ったタオルと、ミーナが精一杯作ったお粥の匂い、そして隣で自分を見守る仲間の気配だった。
寝言で「……虚数単位が……足りない……」と呟きながら、アスカはリサの手を掴んだまま離さない。 知性がオーバーヒートし、論理が灰になった後に残ったのは、計算では決して導き出せない「誰かを求める心」という、最も人間らしい温もりだった。
冬の静寂の中、賢者の寝顔は、いつになく穏やかだった。




