第3話:王都の特使と、お断りの流儀
【舞台:古本屋『VOID』・店前~店内】
辺境の街エルムには似つかわしくない、純白の毛並みを持つ四頭立ての魔導馬車が、古本屋の前に止まった。 車体には王家の紋章が刻まれ、周囲には重厚な鎧に身を包んだ近衛騎士たちが整列する。近所の人々が遠巻きにざわつく中、馬車から降り立ったのは、白銀の甲冑を纏った一人の男だった。
「アスカ様、大変ですニャ! 外に成金趣味の塊みたいな馬車が止まりましたニャ! 目の毒ですニャ!」
シュシュが窓辺で毛を逆立てて報告する。アスカはカウンターで、古い詩集をめくる手を止めずに溜息をついた。
「……見なくていいわ、シュシュ。マナの波形だけでわかる。あれは王都の『効率無視集団』よ。空気を読みなさいって、結界に書いておけばよかったわね」
ガチャンッ!
遠慮のない音を立てて扉が開く。入ってきたのは、かつてアスカが魔導軍団を率いていた際の副官、ゼノンだった。彼はアスカの姿を認めるなり、その場に膝をついた。
「――アスカ閣下! ついに見つけ出しましたぞ! さあ、王都へお戻りください。陛下も、そして民も、伝説の賢者の帰還を切望しております!」
アスカは本から目を上げ、二十歳の冷徹な黒い瞳でゼノンを射抜いた。
「……ゼノン。私の店に土足で上がるのは、宣戦布告と見なしていいかしら? それと、今の私はただの店主よ。閣下なんて古臭い名前で呼ばないで。キャッシュが汚れるわ」
「な、何を仰いますか! 閣下の知略と魔力があれば、隣国との領土問題など数日で片付くのです。今の宮廷魔導師たちは無能の集まり……どうか、そのお力を再び!」
「お断りよ。却下。デリート。……ゼノン、あなたは相変わらずタイパが悪いのね。王都からここまで馬車で三日? その時間を読書に充てれば、あなたの貧弱な魔力回路も少しは改善されたでしょうに」
「ですが……!」
「アスカ様、この男、話を聞く耳を持っていないようですニャ。強制退場を推奨しますニャ」
シュシュがカウンターからゼノンを威嚇する。ゼノンは苦虫を噛み潰したような顔で、懐から金色の巻物を取り出した。
「これは国王陛下からの親書です。これさえ受け取っていただければ……」
「……触らせないで。その紙、過剰な装飾のせいで魔力伝導率が悪すぎるわ。読むだけで私の知性がダウングレードしそう」
アスカは指先をスッと動かした。すると、ゼノンが持っていた巻物が青い炎に包まれ、一瞬で塵(データ消去)となった。
「あ、ああッ!? 陛下の親書が……!」
「燃やしたんじゃないわ。その存在を『なかったこと』に定義し直しただけ。……ゼノン、最後に一度だけ言うわ。帰りなさい。今の私は、次のページをめくること以上に重要な任務を持っていないの」
「そ、そんな……。世界を救った英雄が、こんな辺境の古本屋で一生を終えるというのですか!?」
「……英雄? 笑わせないで」
アスカはゆっくりと立ち上がった。黒髪がさらりと流れ、その瞳に一瞬だけ、かつて戦場を支配した絶対者の冷気が宿る。
「私が世界を救ったのは、世界を救いたかったからじゃない。戦いという『非効率な雑音』を消去して、静かな場所で本を読みたかったからよ。……その目的は、今ここで達成されているわ」
アスカが指先をパチンと鳴らすと、ゼノンの身体が浮き上がり、そのまま店の外へと弾き飛ばされた。
「アスカ閣下ーーッ!!」
扉が自動的に閉まり、鍵がかかる。外では馬車が慌ただしく去っていく音が聞こえた。
「……ふう。やっと静かになったわ」
アスカは再びカウンターに座り、詩集を広げた。だが、その指先は少しだけ止まっている。
「アスカ様、少しだけ寂しそうですニャ? かつての部下を追い払うのは、心苦しいですニャ?」
「……違うわよ、シュシュ。……あいつが騒いだせいで、ページをどこまで読んだか忘れただけ。脳のインデックスが乱れたわ。……最悪ね」
その時、**コンコン、**と控えめなノックの音がした。王族のような横暴な音ではない。
「アスカお姉ちゃん? なんかすごい馬車がいたけど……大丈夫? お母さんが、お口直しにって、焼きたてのクッキーを持ってきたよ」
ミーナの声だった。アスカの瞳から冷気が消え、いつもの気だるい光が戻る。
「……ミーナ。鍵は開いてるわ。……それと、クッキーはバター多めでお願い。王都の特使より、あなたのクッキーの方が、今の私にはよっぽど価値があるから」
「えへへ、よくわかんないけど、いっぱいあるよ!」
扉が開くと、温かいバターの香りと、少女の無邪気な笑顔が店内に流れ込んできた。 アスカは黒髪をかき上げ、ミーナが広げたクッキーを一枚手に取る。
「……さっきの男に教えてあげればよかったわね。世界を救う数式より、このクッキーのサクサク感を維持する魔法の方が、よっぽど高度だって」
「アスカ様、それは流石に皮肉が過ぎますニャ」
「……うるさいわよ、シュシュ」
アスカは小さな口でクッキーを齧る。 窓の外では、王都へ続く道が夕闇に消えていく。伝説の賢者は、今日もまた「最高に贅沢な退屈」を守り抜いたのだった。
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