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第2話:新米冒険者と、価値のわからない紙屑

【舞台:辺境の街エルム・古本屋『VOID』】


 昼下がりの柔らかな陽光が、古ぼけた店内に差し込んでいる。

 アスカはカウンターで一冊の古い魔導書を広げ、指先でページの文字をなぞっていた。

 そこへ、ガチャンと荒々しく扉が開く音が響いた。


「おい、ここが掘り出し物があるって噂の古本屋か!」


 入ってきたのは、いかにも「駆け出し」といった風貌の三人組だった。


「……うるさいわね。耳に直接デシベル制限の呪文をかけられたいの?」


 アスカは本から目を離さず、気だるそうに言い放つ。二十歳という若さながら、その声には抗い難い威厳が宿っている。


「アスカ様、あちらの方々、知性の香りが全くしませんニャ。脳細胞が冬眠中かもしれませんニャ」


 シュシュが目を開けずに毒を吐く。


「なんだ、この生意気な女と猫は! ……まあいい。おい、あの棚の奥にある、あのボロボロの黒い本を見せろ。あれはせいぜい銀貨3枚ってところだろ?」


 剣士が指さしたのは、アスカが棚の重石代わりに使っていた本だった。


「……あれ? あれが欲しいの? ……シュシュ、あれ何だったかしら」


「アスカ様が去年、お昼寝の枕にしていた『終焉の魔法体系・第12巻』ですニャ」


 アスカは面倒そうに指を一振りした。本がふわりと宙に浮き、カウンターへ着地する。


「うおっ、無詠唱!? ……ま、まあ、古本屋の小細工か。よし、銀貨3枚で手を打ってやる。この本を売って金貨を手に入れれば、もっと強い剣を買って、もっと強い敵を倒すこともできる」


「……待って。あなた、その本の『一行目』が読める?」


 アスカが、吸い込まれるような黒い瞳でスッと彼を見据えた。


「はあ? 当たり前だろ。えーと……なんだこれ、文字が歪んで見えやがる」


「そうでしょうね。その本、認識阻害のプロテクトがかかってるの。知能指数が一定以下の人が見ると、ただの『美味しいカレーの作り方』にしか見えないはずなんだけど。……それすら読めないなんて、逆に感心するわ」


「なっ、なんだと! 魔法使いのルナ、お前なら読めるだろ!」


 魔法使いの少女が本を開くが、数秒後、顔を真っ青にしてへたり込んだ。


「……無理です! 私の脳の処理容量を超えて……あ、あたまが熱い……!」


「アスカ様、お客様のCPUがオーバーヒートしたようですニャ」


「……非効率ね。外のバケツの水を被れば治るわ」


 アスカは剣士から本をひょいと取り上げた。


「これ、銀貨3枚で買いたいなら、まずあなたの存在を『金貨100万枚分』に定義し直してからにして。……あ、ごめんなさい。あなたの資産価値じゃ、計算式の桁が足りなくてエラーが出るわね」


「テメエ、女だと思って調子に乗ってりゃあ……! 力ずくで奪ってやる!」


 剣士が腰の剣を抜き放とうとした、その瞬間。 アスカは本から目を離すことすらなく、空いた左手の指先を「パチン」と、優雅に一度だけ鳴らした。


「システムメッセージ。対象三名の座標定義を一時的に変更。出力先――エルム市外、街道入口。……実行エンター


 シュンッ!


 空気を切り裂くような乾いた音と共に、つい先ほどまで怒号を上げていた三人組が、その荷物ごと掻き消えた。 店内に残されたのは、彼らが蹴り上げたわずかな埃と、静寂だけ。


「アスカ様、お疲れ様ですニャ。もう少し遠くに飛ばしてもよかったのではないですかニャ?」


 シュシュがカウンターの上で伸びをしながら、欠伸まじりに尋ねる。


「……これでも手加減したわ。あの中の一人、脳内のキャッシュが溜まりすぎてて、遠距離転送したら中身が消去フォーマットされそうだったから。再起動に時間がかかるのは非効率でしょう?」


 アスカは、三人組が触れようとした黒い魔導書――『終焉の魔法体系・第12巻』を、汚れたものでも扱うように指先で持ち上げた。


「……シュシュ。この本、もう枕には使えないわ。低俗な殺気が付着して、夢の解像度が下がりそう」


「それは大変ですニャ! 別の『概念固定』を施した枕代わりの本を探しますニャ!」


 アスカは溜息をつき、その本を元の棚の一番下、ガタつく棚の「足継ぎ」として無造作に差し込んだ。世界を滅ぼしうる英知の結晶が、今はただの「家具の調整材」に成り下がっている。

 彼女はカウンターの奥から、ミーナが昨日置いていった、少し形の崩れたクッキーの袋を取り出した。


「……ねえ、シュシュ。あの人たちは、この本を売って金貨が欲しいと言ったわ。その金貨で、もっと強い剣を買って、もっと強い敵を倒すんですって。……理解できないわ。そんなの、無限ループのバグと一緒じゃない」


 アスカはクッキーを一枚口に運び、ゆっくりと咀嚼する。素朴な小麦の甘みが広がる。


「アスカ様は、そのループを完結コンプリートさせてしまった側ですからニャ……」


「……完結させたんじゃないわ。飽きたのよ。世界を救う数式よりも、このクッキーがサクサクしている理由を解明する方が、今の私にはずっとクリエイティブで、タイパが良いわ」


 アスカは黒髪をさらりとかき上げると、窓の外を見つめた。 遠くの街道入口で、突然の転送に腰を抜かして騒いでいるであろう三人組の姿を、彼女の瞳は既に追っていない。

 彼女の視線の先にあるのは、夕暮れに染まり始めたエルムの穏やかな街並みと、隣家から漏れてくる晩ごはんの温かな匂い。


「……さあ、シュシュ。閉店よ。……明日はミーナが『新しいお菓子に挑戦する』って言ってたから、午前中に彼女のキッチンの火力設定を魔法で最適化しに行ってあげないと」


「それは楽しみですニャ! また新しい『非効率な味』が楽しめますニャ!」


 アスカは店の灯りを消し、静寂の中に溶け込んでいく。 最強の賢者が守っているのは、世界ではなく、自分だけが知っているこの「愛すべき退屈」だった。

お読みいただきありがとうございます! 本日10話まで一挙公開予定です。

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