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第33話:新しい「昨日」の続き

【舞台:古本屋『VOID』・深夜の書斎】


 エルムの街が深い眠りにつき、時計塔の鐘が午前零時を告げた。 少し前まで「時間の牢獄」だったその音も、今はただ、明日へと続く確かなリズムとして夜の空気に溶けていく。

 古本屋『VOID』の二階。アスカは使い込まれた万年筆を手に、一冊の重厚な日記帳に向き合っていた。かつて、彼女が「無駄な情報の蓄積」として忌避していた、主観的な記録のためのノートだ。


「……本日のミッション、終了。……総評、極めて非論理的、かつ予測不能。……けれど、削除デリートの必要なし」


 アスカが呟き、ペンを走らせる。 そこには、蛇との死闘の数式ではなく、リサと食べたクッキーの味や、レオンが放った的外れな冗談、カイルが慌てて落とした眼鏡のことなど、取るに足らない「ノイズ」が丁寧に綴られていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【師匠との「昨日」の答え合わせ】


「あら、まだ起きてたの? 賢者様は夜更かしが美容に悪いって計算できなかったのかしら」


 扉も叩かず、リサがひょっこりと顔を出した。金色の髪を寝癖で少し乱し、湯気の立つマグカップを二つ持っている。


「……リサ。ノックくらいして。私の思考プロセスが3秒停滞したわ」


「はいはい。ほら、冷める前に飲みなさい。あんたの好きな、ちょっと苦めのココアよ」


 リサはアスカの机の端にカップを置くと、アスカが綴っている日記を遠慮なく覗き込んだ。


「へぇ……。あの『冷徹な計算機』だったアスカが、日記ねぇ。何て書いてあるの? 『リサがうるさかった』とか?」


「……概ねその通りよ。あなたの存在は、私の人生における最大級の計算ミス(エラー)。……でも、そのエラーがなければ、私は昨日を失ったことにも気づけなかった」


 アスカはココアを一口含み、その温かさにふっと目を細めた。


「……リサ。私、今回の件で分かったの。……記憶は、ただの記録データじゃない。誰かと共有し、感情という名前の重み(バイアス)がかかって初めて、それは『現実』になるんだって」


「……合格。やっと賢者らしいこと言うようになったじゃない」


 リサは満足そうに笑い、アスカの隣に腰掛けた。


「あんたはもう、地下室で一人、完璧な答えを求めていた頃の少女じゃない。……間違えて、迷って、それでも誰かと笑い合う。それが『生きてる』ってことよ」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【仲間たちとの「明日」へ】


 翌朝。 アスカが店を開けると、そこには既に「いつものノイズ」が待っていた。


「アスカ! おはよう! 今日は非番なんだ、何か手伝えることはないか?」


 レオンが快活に笑い、店の掃除用具を勝手に持ち出す。


「アスカ様、昨日の術式残滓の解析結果を持ってきました! ぜひ、今後の共同研究の資料に……」


 カイルが厚い論文の束を抱えて、眼鏡を光らせる。


「みんな、朝から騒がしいですニャ……。あ、アスカ様、昨日のお婆さんから、お礼にって新鮮な果物が届いてますニャ!」


  シュシュがカウンターの上で伸びをしながら、籠を指差した。


「……全く。レオン、掃除は定位置から始めなさい。カイル、その資料は3分で要約して。……シュシュ、その果物はみんなで分けるわよ」


 アスカは呆れたように指示を出すが、その声に以前のような冷たさはなかった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【ラストシーン】


「さあ、リサ。……行きましょう」


「え? どこへよ。まだ開店したばっかりじゃない」


 アスカは、昨日綴った日記を大切に鞄にしまうと、リサの手を強引に取った。かつて、リサが自分を地下室から連れ出した、あの日のように。


「昨日の続きをするのよ。……昨日、あなたが『次はあっちの山を越えてみよう』って言いかけたでしょう? 記憶を取り戻した今なら、その続きを完遂する義務があるわ」


「……へぇ。言うようになったわね、アスカ!」


 リサは驚いた後、これまでで一番眩しい笑顔を見せ、アスカの手を握り返した。

 二人は『VOID』の扉を閉め、眩しい朝日が降り注ぐエルムの街へと歩き出す。 アスカの瞳には、世界が数式ではなく、無限の可能性を秘めた「物語」として映っていた。

 背後で鳴る時計塔の鐘。それは、失われた昨日を乗り越え、誰も見たことのない「明日」へと進む、賢者と師匠の門出を祝うファンファーレだった。

 アスカは一度だけ振り返り、守り抜いた街を愛おしそうに見つめてから、黄金の師匠の隣で、力強く前を向いた。


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