第34話:青天の霹靂、金の封蝋
【舞台:古本屋『VOID』・午後のティータイム】
エルムの街に、穏やかな午後の陽光が降り注いでいた。 古本屋『VOID』の店内には、古い紙の香りに混じって、食欲をそそる甘酸っぱい香りが充満している。
「お姉ちゃん、焼きあがったよ! 私特製の、隠し味に蜂蜜を加えたアップルパイなの!」
お隣に住む女の子、ミーナが焼きたてのパイを抱えて店に飛び込んできた。黄金色のパイ生地はサクサクと音を立て、隙間からとろりと溢れたリンゴの蜜が湯気を上げている。
「……完璧な焼き加減ね。糖分と酸力の比率が、今の私の脳内リソースの回復に最適だわ。……ん、ええ、悪くない。論理的な美味しさよ」
アスカは珍しく魔導書を閉じ、フォークを手にした。隣ではシュシュが「ボクにも一口ニャ!」と身を乗り出し、リサは既に大口でパイを頬張っている。
「んむ! 美味いわねぇ、ミーナ。アスカ、あんた本当はこれ、計算じゃなくてただの食いしん坊で食べてるでしょ」
「……リサ、失礼ね。私は常に最適な栄養補給を選択しているだけよ」
アスカがパイを口に運び、その甘みにわずかに頬を緩めた、その時だった。
――カツ、カツ、カツ。
石畳を叩く、不自然なまでに整った軍靴の音が、店の前で止まった。 それと同時に、店内の空気が一変する。アスカの感知網が、複数の高出力な魔力反応を捉えた。
「……不快な魔力ね。調律が取れすぎていて、個性が微塵も感じられない。……シュシュ、扉の鍵を閉めて。私は今、パイの完食という重要任務の最中よ」
「手遅れですニャ、アスカ様! もう入ってきますニャ!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【特使の乱入】
カランカラン、と激しくベルが鳴り、店の扉が開け放たれた。 入ってきたのは、白銀の甲冑に身を包んだ近衛騎士たちと、豪奢な法衣を纏った細身の男――王都からの特使だった。
「静粛に。王都中央魔導院、第四局特使、バルトロメウスである」
特使の男は、パイの香りが漂う店内の空気をあからさまに嫌悪するように鼻を鳴らし、カウンターのアスカを冷たく見据えた。
「……貴殿が、アスカか。エルムの街中に、国家級の違法術式を展開した不届き者というのは」
「……『不届き』? 言葉の定義を間違えているわ。私は街を襲うバグを排除し、因果律を正常化しただけよ。それに、今は食事中よ。要件は30字以内で、店の外で言いなさい」
アスカはフォークを置かず、冷徹な視線を特使に向けた。
「無礼な! 控えよ! この御方は国王陛下の名代であらせられるぞ!」
控えていた騎士が剣の柄に手をかける。カチャリ、と響いた金属音に、アスカの瞳が絶対零度の冷たさを帯びた。
「……あんたたちこそ、私の店で剣をガチャつかせないでくれる? その鉄屑の振動係数が、私のパイの味を損なわせているわ。次に鳴らしたら、その剣を分子レベルで分解して、門の装飾品に変えてあげる」
アスカから放たれた威圧感に、騎士たちは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【金の封蝋】
「……まあよい。アスカ、貴殿の術式は、王都の観測所を震撼させた。陛下は、その『異常なまでの知性』を直接確認したいと仰せだ」
バルトロメウスは懐から、最高級の羊皮紙を取り出した。そこには、王家の紋章が刻まれた、重厚な金の封蝋が施されていた。
「国王陛下よりの正式な招待状である。三日後、王都へ出頭せよ。……拒否は許されん。もし拒めば、このエルムの街を『危険術式汚染区域』に指定し、流通を完全に封鎖することになるが……どうする?」
「……人質、というわけね。王族特有の、極めて低俗で非効率な交渉術だわ」
アスカはパイの最後の一片を口に運ぶと、ゆっくりと立ち上がった。
「お姉ちゃん……行っちゃうの?」
不安げなミーナの問いに、アスカは金の封蝋が施された書簡を指先で受け取り、一瞥もせずにカウンターへ放り投げた。
「……三日後ね。分かったわ。……どうせ断っても、あなたたちは計算違いのしつこさで私の静寂を乱しに来るんでしょう? ならば、私が直接、王都のその『古いシステム』をデバッグしてあげるわ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【ラストシーン】
特使たちが去っていく中、アスカは窓の外に広がる、夕暮れに染まり始めたエルムの街を見つめた。
「……王都に行く準備をするわ。リサ、あなたもついてきなさい。私の『重り』として」
「あら、言うようになったわね。王都の連中、あんたを呼んだことを後悔しなきゃいいけど!」
アスカの瞳には、かつてないほど冷たく、誠実な、そして激しい知性の炎が宿っていた。 カウンターの上に残された、金の封蝋が夕日に照らされて不気味に輝く。 それは、最強の賢者がついに「王道」へと還る、波乱に満ちた新章の合図だった。




