第26話:無限ループのエルム
【舞台:エルムの街・中央広場】
エルムの街は、狂気的なまでの「既視感」に包まれていた。 広場の噴水の前では、昨日と同じ老婆がパンを落とし、昨日と同じ少年がそれを拾い、昨日と同じタイミングで鐘が鳴る。
「……10時15分03秒。噴水の水しぶきが、風速2.1メートルで北西に流れる。……昨日と、1ミリの狂いもなく完全一致しているわ」
アスカは広場の中央、時計塔の影に立ち、手元の魔導書に刻まれる数値を冷徹に読み上げていた。 彼女の隣では、アスカの魔力で断片的にだが記憶を取り戻したシュシュが、毛を逆立てて周囲を警戒している。
「アスカ様、気味が悪いですニャ……。みんな、まるでゼンマイ仕掛けの人形みたいに動いていますニャ」
「……原因は、住民たちの意識に直接干渉している『時間遡行型』の広域術式。けれど、これだけの規模の魔法を維持するには、必ずどこかに『供給源』があるはずよ」
アスカは黒いローブの裾を翻し、一歩前へ踏み出した。彼女の瞳には、日常の風景の裏側で脈動する、どす黒い魔力の糸が見えていた。
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【圧倒的な「広域スキャン」】
「アスカ、何やってるのよ。そんなに怖い顔して、鳩と睨めっこ?」
背後から声をかけてきたのは、金色の髪をなびかせたリサだった。彼女は昨日と同じリンゴをかじり、昨日と同じ不敵な笑みを浮かべている。だが、彼女の記憶からは「ピクニックの思い出」が完全に欠落していた。
「……リサ。あなたはそこで、リンゴでも食べていなさい。これからの演算に、ノイズは不要よ」
「あら、冷たいわねぇ。ま、あんたがその気になるなら、私は特等席で観賞させてもらうわ!」
リサは近くのベンチにどっかと座り、琥珀色の瞳を面白そうに輝かせた。
「……演算開始。事象固定、空間定義――『エルム全域』」
アスカが指先を空に向けると、彼女の足元から、青白い光の術式がまるで神経細胞のように四方八方へと伸びていった。それは石畳を駆け抜け、建物の壁を登り、街全体を網目状に包み込んでいく。
「……解析言語、展開。エルムの全ての『魔力ログ』を抽出しなさい!」
アスカの声が響くと、街中の空間に、無数の文字列とグラフがホログラムのように浮かび上がった。 通行人の歩幅、風の温度変化、地面を這う虫の挙動。エルムという街の全ての情報が、アスカという「最高性能の計算機」へと流れ込む。
「うわっ、何だこの光は!? アスカ様、一体何を……!」
「アスカ、街が……街が光っているぞ! 敵襲か!?」
昨日と同じ行動をしていたカイルやレオンが、アスカの術式の輝きに驚き、足を止める。アスカは彼らを見向きもせず、頭脳をフル回転させた。
「……見つけたわ。街全体の魔力密度が不自然に低下している。……誰かが、この街の時間を『食べて』いるわね」
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【バグの正体】
アスカは、浮かび上がる無数のデータの中から、一点の「空白(Null)」を指差した。 それは、街の時計塔の最上階。そこに、周囲の時間を吸収し、リセットし続ける「特異点」が存在していた。
「カイル、レオン! 時計塔の最上階へ向かって。そこにある『何か』が、あなたたちの昨日を奪っているわ!」
「な、何だと……!? 私の記憶がないのは、そのせいか!」
「アスカ様、了解です! 解析のバックアップは、私のこの眼鏡にお任せください!」
二人が駆け出していく中、アスカは空中の術式をさらに複雑に組み替えた。彼女の額には薄く汗が浮かんでいたが、その瞳はかつてないほど鋭く澄んでいる。
「……リサ。あなたは気づいているんでしょ。この術式の『気持ち悪さ』に」
リサはリンゴを放り投げ、立ち上がった。金色の髪が、アスカの放つ青白い光に照らされて輝く。
「……ええ。嫌な匂い。これは魔法じゃない。……もっと、ドロドロした、誰かの『執着』の残り香だわ」
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【ラストシーン】
その瞬間、街全体の景色が激しく歪み始めた。 時計塔がぐにゃりと曲がり、青空がひび割れた鏡のように剥がれ落ちていく。 剥き出しになった「世界の裏側」から、巨大な、影のような触手が伸び、街を飲み込もうとしていた。
「……来るわよ、アスカ。あんたが『デバッグ』しなきゃいけない、最大級のバグがね」
「……望むところ。私の昨日を奪った対価……高くつくわよ」
アスカは乱れる黒髪を払い、虚空に新たな攻撃術式を描き出した。 歪んでいく世界の中で、正義感と知性をまとった一人の賢者の背中が凛と輝いている。 街を覆う青白い術式の中で、「時間の牢獄」から解き放たれるための、激しい戦いの火蓋が切られた。




