第25話:違和感の朝
物語は過去から現在に戻り、楽しかった「秘湯ピクニック」の翌日。
......ですが、アスカを除くみんなの様子が変?です。
【舞台:古本屋『VOID』・アスカの寝室~店内】
カーテンの隙間から差し込む朝日が、アスカの頬を撫でた。 アスカはゆっくりと目を開ける。昨日の「秘湯ピクニック」の疲れが心地よく体に残り、頭の中はかつてないほど澄み渡っていた。
(……昨日は、計算外の連続だったけれど。悪くない一日だったわ)
彼女は隣の部屋に響く、リサの豪快な寝息を「日常のBGM」として聞き流しながら、階段を下りて店へと向かった。 カウンターには、昨日ミーナが焼いてくれたクッキーの食べ残しが、小さな皿に乗っている。
「シュシュ、おはよう。昨日のピクニックの経費精算、今日中に終わらせるわよ。レオンの食費が予算を15%もオーバーしていたわ」
アスカが声をかけるが、カウンターの上の定位置にいるはずのシュシュから返事がない。
「シュシュ?」
「……おはようございますニャ、アスカ様。ピクニック? 経費? 一体何の話ですニャ? 昨日は一日中、店番をしていたはずですが……」
シュシュが眠そうに目をこすりながら首を傾げた。アスカの手が、わずかに止まる。
「何を言っているの。昨日はリサに無理やり連れ出されて、北の渓谷へ行ったでしょう。氷晶の竜を倒して、秘湯に入った……私の記憶回路に、あなたの『はしゃぎすぎたログ』がしっかり残っているわよ」
「……アスカ様、冗談はやめてほしいニャ。昨日はずっと雨が降っていて、ボクはカウンターの下で丸まっていた記憶しかありませんニャ」
アスカの背筋に、冷たい感覚が走った。 シュシュは嘘をつくような子ではない。彼女は即座に自分の脳内の「ログ」と、店の「記録」を照合し始めた。
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【連鎖する「空白」】
そこへ、店の扉が勢いよく開いた。
「おはよう、アスカ! ……あれ、なんだか今日は、妙に体が軽いな。昨日、何か良いことでもあっただろうか?」
入ってきたのはレオンだった。いつものように輝くような笑顔だが、その腰には、昨日アスカが「凍りついたから手入れしなさい」と注意したはずの、ピカピカの聖剣がぶら下がっている。
「レオン。……昨日のピクニックの件、どう思っているの?」
「ピクニック? 何だそれは。……あぁ、リサ殿が言っていた『いつか行こう』という計画のことか? 楽しみだな、ぜひ近いうちに実現させよう!」
レオンは本気で、昨日一日が「存在しなかった」かのように振る舞っている。 アスカは次に、店に駆け込んできたカイルに詰め寄った。
「カイル! あなたの持っていた『高山植物のサンプル』はどこ!? 論文を三本書くと言っていたでしょう!」
「……サンプル? アスカ様、何を仰っているのですか。私は昨日、大学の資料室に籠もって……あぁ、変ですね。何を調べていたのか、思い出せない」
カイルが眼鏡の奥の目を泳がせた。 アスカは確信した。これは個人の物忘れではない。 街全体の「昨日」という時間が、人々の意識から、あるいは「現実」そのものから、組織的にデリート(消去)されている。
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【師匠との対峙】
「……リサ。リサ、起きなさい!」
アスカは二階へ駆け上がり、リサの寝室の扉を蹴破るようにして開けた。 リサはベッドの中で、金色の髪を乱して「んあー?」と欠伸をしていた。
「なによアスカ、朝から元気ねぇ……。そんなに私の寝顔が見たかった?」
「昨日のこと、覚えている!? 秘湯で、あなたが私に言ったこと! 『余白を楽しめ』って、そう言ったわよね!」
リサは一瞬、きょとんとした顔でアスカを見つめた。 そして、琥珀色の瞳を瞬かせ、不思議そうに首を振った。
「……秘湯? 何の話よ。私、昨日は一日中このベッドで昼寝してたわよ。……ねえ、アスカ。あんた、変な夢でも見たんじゃない?」
アスカの心臓が、大きく跳ねた。 あのリサが忘れている。 自分を地下室から連れ出し、世界を「数式ではないもの」として再定義してくれた、あの最強の師匠までもが。
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【ラストシーン】
アスカは無言で一階へ戻り、店の外へ出た。 エルムの街は、昨日と変わらぬ活気に満ちている。 花を売る老婆、走り回る子供たち、遠くに見える大時計。
「……解析開始。……座標指定、エルム全域。……時間軸の連続性をスキャン」
アスカが空中に指を走らせる。 彼女の瞳には、今の街が「昨日と全く同じ動作を繰り返しているプログラム」のように見えていた。人々は、昨日と同じタイミングで笑い、昨日と同じ場所で立ち止まっている。
「……昨日が、ない」
アスカの唇が震えた。 世界が昨日を忘れ、リサまでもが空白に飲み込まれた中で、ただ一人。 最強の賢者アスカだけが、失われた「昨日」の重みを抱えて、青空の下に立ち尽くしていた。
「……いいわ。世界がバグを起こしているなら、私がすべて、デバッグしてあげる」
アスカの黒い瞳が、冷徹な、しかし燃えるような決意の光を宿した。 それは、昨日という「ノイズ」の愛おしさを知った賢者の、孤独な戦いの始まりだった。




