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第24話:最初の「静寂」

【舞台:修行の地・星降る断崖】


 修行を始めて数週間。その日の課題は「自分の魔力波形を、周囲の自然の音と完全に同調させる」という、アスカの得意な精密演算を逆手に取った、酷く神経を削るものだった。

 夜。標高の高い断崖に張られた簡素なテントの横で、アスカは焚き火を見つめていた。周囲には、夜の帳を切り裂くような冷たい風が吹き抜けている。


「……リサ。まだ寝ないの?」


「あんたがそんな顔して起きてるんだもの。師匠として、寝覚めが悪いでしょ」


 リサは金色の髪を焚き火の光で赤く染めながら、アスカの隣にドカッと腰を下ろした。手には、どこからか調達した果実酒の瓶が握られている。


「……私の顔が、どうかした?」


「『世界がうるさくて、死にそうです』って顔よ。修行で少しは感覚を逃がせるようになったかと思ったけど、夜になるとまた『数式』を数え始めてるでしょ、あんた」


 アスカは図星を突かれ、焚き火の爆ぜる音に肩を跳ねさせた。 彼女の瞳には、パチパチと燃える炎さえも、複雑な熱対流の方程式として映ってしまう。静かにしたいと思えば思うほど、世界の「仕組み」が情報の洪水となって彼女を襲うのだ。


「……仕方ないわ。見えてしまうものは、消せない。……私の頭は、常に世界を解こうとして止まってくれないの。……疲れたわ、リサ。何も、何も考えたくないのに」


 アスカの声が、夜風に混じって震えた。地下書庫にいた頃よりも、外の世界を知ってしまった分、情報のノイズはより残酷に彼女を突き刺していた。


「あーあ、やっぱりあんた、バカねぇ」


 リサは呆れたように溜息をつくと、アスカの頭を強引に自分の肩に引き寄せた。


「なっ……何をするの! 離して、計算が乱れる……!」


「乱しなさいよ、そんな安っぽい計算。いい、アスカ。あんたは『全部解かなきゃいけない』って思ってるけど、世界はあんたに解かれるために存在してるわけじゃないのよ」


 リサの手が、アスカの耳を優しく、包み込むように塞いだ。 リサの指先から、温かく、そして力強い魔力が流れ込んでくる。それはアスカの知性を否定するものではなく、ただ、彼女の思考の暴走を優しく受け止める「器」のような魔力だった。


「……あ……」


 アスカは目を見開いた。 不思議なことが起きた。リサが耳を塞ぎ、魔力を通わせた瞬間、頭の中に鳴り響いていた情報の嵐が、遠い波音のように静まっていく。 数式が消えたわけではない。ただ、その数式が「意味を持たない背景」へと退いていくのだ。


「……静かだわ。……リサ、これ、どういう術式?」


「術式じゃないわよ。ただの『おまじない』。あんたの脳みそが忙しすぎるから、私が半分、肩代わりしてあげてるだけ」


「半分を……? そんなことしたら、あなたの脳が……」


「私の頭はあんたよりずっと頑丈なの! ほら、余計なこと考えないで。今はただ、この火の音だけ聞いてなさい」


 アスカは、リサの肩に顔を埋めた。 リサの服からは、太陽と、土と、そして少しだけお酒の匂いがした。 地下書庫の冷たい空気とは違う、生きた人間の、あまりに身勝手で、けれど絶対的な安心感を与える温もり。


「……リサ。私、怖かった」


 ぽつりと、アスカの本音が漏れた。


「いつか、世界を全部計算し尽くしてしまったら……私の居場所はどこにもなくなるんじゃないかって。……誰とも繋がれず、ただの『精密な観測機』として、一人で死ぬんじゃないかって」


「バカねぇ。あんたがどれだけ計算したって、私が毎日、あんたの予測の斜め上を行ってあげるわよ。あんたの静寂をぶち壊すノイズに、私がなってあげる」


 リサの言葉に、アスカは初めて、心の底から小さく笑った。


「……最悪。……でも、少しだけ……助かる」


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【ラストシーン】


 焚き火が小さくなり、周囲の闇が深まっていく。 アスカはリサの肩に寄りかかったまま、規則正しい寝息を立て始めていた。 あれほど彼女が求め、けれど一度も手に入らなかった「本当の静寂」が、今、黄金の髪の師匠の隣で、穏やかに彼女を包み込んでいた。

 リサは寝入ったアスカの黒髪を愛おしそうに撫で、夜空を見上げた。


「……おやすみ、アスカ。あんたが見つける静寂の場所を、私が守ってあげるからね」


 満天の星空の下、二人の影は一つに重なっていた。 それは、最強の賢者が「一人で戦うこと」を辞め、「誰かと共に生きること」の非論理的な幸福を、魂に刻み込んだ夜だった。


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