第23話:最悪な出会い、最高の地獄
【舞台:王都のはずれ・名もなき荒野】
地下書庫から連れ出された翌朝。アスカを待ち受けていたのは、見渡す限りの赤土と、吹き荒れる乾燥した風だった。アスカは清潔なローブの裾を泥で汚しながら、目の前の光景に呆然としていた。
「……リサ。説明を要求するわ。なぜ私は、王都の高度な魔導設備もないこんな不毛な地で、片足立ちをさせられているの?」
アスカは、切り立った岩柱の先端――直径わずか30センチほどの足場に立たされていた。
「説明? そんなの決まってるじゃない、アスカ! あんたの脳みそ、数式の詰め込みすぎでカチコチなんだもの。まずはその『頭でっかちな安定』を壊してあげようと思ってね!」
崖の下で、リサは金色の髪をポニーテールに結び直し、楽しげに笑いながら、地面に無造作に置かれた巨大な岩を指差した。
「ほら、お喋りしてないで! その岩、あんたの魔力で浮かせてみなさい。ただし、『数式を組むのは禁止』よ!」
「……正気? 数式を組まずに事象を安定させるなんて、熱力学の法則を無視しているわ。魔法は構築であって、そんな……っ!」
「あー、理屈が始まった! ほら、行くわよ!」
リサが指を鳴らした瞬間、アスカの立っている岩柱が、不自然な震動と共に猛烈な勢いで回転を始めた。
「きゃあぁぁっ!? ちょっ、角速度が……重力加速度の計算が……合わない、合わないわよ!」
「計算しなくていいって言ってるでしょ! ほら、体が落ちる感覚に魔法を合わせるの! 重力を『敵』じゃなくて『恋人』だと思いなさい!」
「意味不明よ! 誰が……誰が岩石と恋に落ちるなんて……あぁっ!」
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【過激すぎる「感覚」の教育】
それからの数時間は、アスカにとってまさに「地獄」だった。
リサは次々と、アスカの「常識」を物理的に粉砕していく。 アスカが緻密な防御陣を展開すれば、リサは「そんなの、ここを指で突けば崩れるわよ」と、術式の「つなぎ目」を素手で引き裂く。 アスカが効率的な火球を放てば、リサはそれを「色が可愛くない」という理由で、空中で巨大な「喋るヒマワリ」に書き換えてしまう。
「リサ……あなた、私の今までの学習記録を何だと思っているの……。術式の定義を……美学で上書きしないで……っ!」
アスカは息を切らし、地面に膝をついていた。泥にまみれ、整っていた黒髪は乱れている。
「あんたの学習記録なんて、ただの『他人の書いた取扱説明書』でしょ。そんなの読んでるから、あんたの魔法は死んでるのよ。もっとこう……ドカンと、自分の色を出しなさい!」
「……ドカン、なんて……そんな非論理的な言語で、現象が制御できるはず……」
「できるわよ、私ならね。……ほら、次はあれよ。あの荒れ狂う川を、一滴も濡れずに渡りなさい。もちろん、浮遊術は禁止。……『川に嫌われる』イメージでやってみて!」
「……嫌われる……? 概念を物理に変換するの? ……そんなの、狂ってるわ」
アスカは泣きそうな顔をしながらも、目の前の奔流に足を踏み出した。
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【ラストシーン】
日は沈み、荒野は紫色の帳に包まれていた。 アスカは結局、全身泥だらけで、喉を枯らし、魔力を使い果たして大地に横たわっていた。 地下書庫にいた頃の「完璧な自分」は、もうどこにもいない。
「……最悪。……人生で、一番最悪な日だわ」
アスカが掠れた声で呟くと、上から覗き込んできたリサが、彼女の顔に冷たい水筒を押し当てた。
「そう? でも、あんたの今日の魔力放射、地下室にいた時より3倍は強かったわよ。……ねえ、アスカ。今のあんたの頭の中、どうなってる?」
アスカは、ゆっくりと目を開けた。 不思議なことに、あれほど彼女を苦しめていた「情報の嵐」が、今は静かだった。 数式としてではなく、ただの「風」として。ただの「土の匂い」として。世界が、かつてないほど鮮明に、ありのままに感じられた。
「……静かだわ。……計算しなくても、世界の形が……わかる」
「でしょ? それが、本当の魔法の入り口よ」
リサはアスカの隣にドカッと座り込み、金色の髪を夜風になびかせた。
「ようこそ、最高の地獄へ、弟子一号。明日からはもっと、あんたの『常識』をぐちゃぐちゃにしてあげるからね」
アスカは、隣に座るこの「理解不能な師匠」を、月明かりの下で見つめた。 怒りと、困惑と……そして、自分の中に芽生えた「何かを壊して、新しく作る」ことへの、かすかな高揚感。
「……覚悟しておきなさい、リサ。……いつか、あなたのそのデタラメを、私の完璧な論理で『正解』にしてあげるわ」
アスカの瞳には、泥に汚れながらも、地下書庫には決してなかった、鋭くも美しい光が宿っていた。 最強の師弟による、理不尽で輝かしい物語が、今、荒野の風の中で加速し始めた。




