第165話:月下の誓い ―― レオンの告白
【舞台:帝都の運河 ―― 静寂と月光】
幼稚舎を揺るがした騒乱が収まり、帝都には深い夜が訪れていた。 昼間の喧騒が嘘のように、運河のせせらぎと遠くで鳴く夜鳥の声だけが、しっとりとした闇に溶け込んでいる。水面に映る銀色の月は、波に揺られて無数の真珠のように砕けていた。
その運河を見下ろす古い石橋の袂に、似つかわしくないほど巨大な影が立ち尽くしていた。
「……あー、くそ。魔王と戦う前より心臓がうるせえ……」
勇者の甲冑を脱ぎ捨て、簡素な平服に身を包んだレオンは、何度も胸を押さえていた。その視線の先には、運河沿いの欄干に寄り添い、夜風に吹かれているエレーヌの姿がある。
「レオン、いい加減に行きなさい。……あなたのその心拍数、こっちまで魔導ノイズとして伝わってくるわよ」
背後の植え込みの影から、アスカが呆れたような声を出す。彼女の隣には、興味津々で目を輝かせるレイと、無表情にメモを取るステラ、そして「フニャ」と欠伸をするシュシュが控えていた。
「簡単に言うなよ、アスカ! 俺は『勇者』として彼女を守る方法は知ってる。だが、一人の男として何を言えばいいか……全ッ然、解析できねえんだ!」
「……解析は私の担当よ。レオン、あなたの現在の成功確率は三十二パーセント。……けれど、第108号が仕掛けた『雰囲気の最適化』を加味すれば、数値は変動するわ」
アスカが指先を動かすと、運河に浮かぶ小さな自動操縦のボートが、アスカの魔法によってレオンたちの前へ音もなく滑り込んできた。
「ほら、行きなさい。……あとはあなたの『熱量』次第よ、勇者様」
アスカが指先で小さな魔法の礫を放ち、レオンの背中を小突いた。
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【舞台:ゴンドラの上 ―― 二人だけの時間】
「あ……エ、エレーヌさん」
突き出されるようにしてエレーヌの前に現れたレオンは、後頭部を掻きながら、今にも消え入りそうな声で呼びかけた。エレーヌは驚いたように顔を上げたが、すぐに柔らかな微笑みを湛えた。
「レオン。……怪我の具合はどう? 昼間は、あんなに無茶をして」
「あ、ああ、あんなの掠り傷だ。俺より、エレーヌさんこそ……あの、もし良かったら、少し船に乗らないか? 風が気持ちいいぜ」
誘い文句としては落第点だと、物陰でアスカが頭を抱える。だが、エレーヌは優しく頷き、差し出されたレオンの大きな手を取った。
ゆっくりと動き出したボートの上、二人の間に沈黙が流れる。 レオンは必死に言葉を探した。剣の振り方、魔力の練り方、軍の統率……そんな知識は何一つ役に立たない。
「……エレーヌさん。俺は、ずっとあんたを見てきた。護衛として、あんたの隣にいるのが仕事だったからな」
「ええ。あなたはいつだって、私の前を歩いてくれたわ。……心強かったわ、レオン」
「違うんだ」
レオンは意を決して、エレーヌの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「俺は……あんたの前を歩くだけじゃ嫌なんだ。あんたの横で、あんたが笑う理由を一緒に見つけてえ。……勇者として守るんじゃねえ。一人の男として、エレーヌ、あんたの隣にいたいんだ」
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【舞台:ステラの疑問とアスカの答え】
その様子を、物陰から監視(見守)っていた一行。
「……不可解だわ」
ステラが呟く。
「レオンは今、防御力を捨て、自身の社会的地位や勇者としての威厳をリスクに晒してまで、成功不透明な発言を選択した。……第108号、これが人間の言う『勇気』なの?」
「いいえ。……それは『覚悟』よ、ステラ」
アスカは、運河のきらめきを見つめながら静かに答えた。
「自分を偽るための壁を全部壊して、剥き出しの自分で相手に触れようとすること。……それは、どんな結界を解錠するよりも難しいことなのよ」
レイがアスカの肩にそっと手を置く。
「レオンさん、頑張りましたね。……アスカ、私たちの応援、必要なかったかもしれません」
「……ふん。まあ、最後の仕上げくらいはしてあげるわよ」
アスカが指先で空中に複雑な数式を描いた。それは攻撃でも防御でもない、光の屈折を操作するだけの、贅沢な「演出」の術式。
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【ラストシーン:月光の祝福 ―― 勇者の初恋】
「レオン……」
エレーヌの瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。彼女はレオンの大きな胸に、そっと自分の額を預けた。
「……不器用な人ね。そんなこと、とっくに気づいていたわ。……私も、勇者様に守られるだけの人生は、もうおしまい。これからは、あなたを支える一人の女性として、隣にいさせて」
「……っ。ああ! 約束だ、エレーヌ!」
その瞬間。 アスカが放った魔法が、夜空に眠る雲を鮮やかに散らした。 雲間から溢れ出した満月の光が、水面に反射し、無数の光の蝶となって二人の周囲を舞い踊る。 まるで世界そのものが、この不器用な二人の門出を祝福しているかのような、圧倒的に美しい光景だった。
「……ふん。まあ、合格点ね」
アスカは満足げに背を向け、歩き出した。
「アスカ、どこへ行くんですか? まだ見ていなくていいんですか?」
「いいわよ。……これ以上は、ハッカーの覗き見の範疇を超えてるわ。……さあ、エルムへ帰りましょう。お腹が空いたわ」
ステラは最後にもう一度、ボートの上で寄り添う二人をスキャンし、日記にこう記した。
『――恋愛。最も非論理的で、最も強力なバグ。……修正の必要なし。推奨設定:継続』
帝都の夜風が、新しく結ばれた二人の体温を優しく運び去っていく。 勇者が手に入れたのは、聖剣よりも重く、どんな魔法よりも温かい、一人の女性の心だった。




