第162話:エレーヌの覚悟 ―― 知識は誰がために
【舞台:幼稚舎中央校舎・秘密の回廊】
アスカが正門の結界を強引に書き換えたことで、幼稚舎内は警報の鐘が鳴り響き、阿鼻叫喚の渦に叩き込まれていた。パニックに陥った下級役人たちが右往左往する中、その喧騒を縫うように走る二つの影があった。
勇者レオンと、彼が護衛する学者の娘エレーヌである。
「レオン! こっちよ、この先に地下書庫への隠し通路があるはずだわ!」
エレーヌは長いスカートの裾を大胆に捲り上げ、石造りの廊下を迷いなく進んでいく。レオンは彼女の細い背中を追いながら、焦燥感とともに問いかけた。
「おい、エレーヌさん! なぜ、ここに! それに、なぜ急いでいるんだ? 俺の仲間との合流を待った方が......」
エレーヌは足を止めず、肩越しに鋭い視線を向けた。
「待てないわ。……あの長老たちは、証拠を隠滅するつもりよ。私の父は、彼らの不正を暴こうとして、学界から追放された。父の無念を晴らすためじゃない。彼らが独占しているのは、国費で研究された『魔法の基礎理論』なの。それを一部の特権階級だけで囲い込み、ミーナちゃんのような子供たちの未来を奪う……そんなこと、学者の一族として絶対に許せない!」
レオンはその瞳に宿る烈火のような意志に、息を呑んだ。 彼女はただ守られるだけの令嬢ではない。知識を愛し、その平等を信じる一人の戦士なのだと、今この瞬間に理解した。
「……分かった。あんたの覚悟、俺が預かった! 先に行け、エレーヌさん! 背後は俺が一歩も通さねえ!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【舞台:図書室最深部 ―― 封印の扉】
二人が辿り着いたのは、地下深く、ひんやりとした冷気に満ちた「特別閲覧室」だった。 そこには、幼稚舎も含め、帝都魔導大学の設立当初から続くあらゆる情報の原典が眠っている。その最奥、禍々しい竜の意匠が施された黒鉄の扉が、二人を拒むように鎮座していた。
「……ここね。この扉の奥に、彼らがひた隠しにする『裏帳簿』と、隠蔽された研究成果があるわ」
エレーヌが扉に手を触れようとした瞬間、背後の影が揺れた。
「――身の程を知れ、小娘。追放された学者の血を引く者が、我が校の心臓部に触れるとは」
影から現れたのは、執務長を務める老魔導師だった。彼は不快そうに顔を歪め、杖を掲げる。
「エレーヌさん、下がってろ!」
レオンが聖剣を抜き、放たれた猛烈な衝撃波を真っ向から受け止めた。
「ジジイ! 子供たちの未来を私物化して、何が教育だ! その腐った面、俺が叩き切ってやる!」
「黙れ、野蛮な勇者め! 秩序を守るためには、選ばれた者だけが知を独占せねばならぬのだ。……消え失せよ!」
次々に放たれる高位魔導の連撃。レオンはそれをすべて正面から受け、一歩も後ろへ下げさせなかった。鎧が火花を散らし、衝撃で足元の石畳が砕けても、彼は不敵に笑う。
「……はっ、この程度かよ! 俺が守ってるのはな、この国で一番強くて、美しい『勇気』なんだぜ!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【舞台:扉の解錠 ―― 血と知の証明】
「レオン……!」
ボロボロになりながらも自分を守り続けるレオンの姿に、エレーヌは唇を噛んだ。
(いつまでも、彼に甘えてはいられない。私にしかできないことがあるはずよ……!)
エレーヌは扉の術式を必死に解析した。長老たちの血統のみを認証する、旧世紀の遺物のような術式。彼女自身の知性が、ある一つの狂気的な解を見つけ出す。
「……私の父が、この術式の欠陥を書き残していたわ。血統とは、ただの魔力の『波形』に過ぎない!」
エレーヌは落ちていた石の破片を拾うと、自らの手のひらを迷いなく切り裂いた。滲み出た鮮血を、扉の魔導回路へと塗りつける。
「なっ、何を……!? 貴様、それは禁忌のバイパス行為だぞ!」
老魔導師が驚愕に目を見開く。
「血統なんて関係ない! 知識を求める者の魂の叫びを聞きなさい、竜の扉よ! 私の血は、真理への対価よ!」
エレーヌの叫びに呼応するように、扉が激しく振動した。彼女の鮮血が回路を焼き切り、強制的にシステムを上書きしていく。 ズズズ……と重厚な音を立てて扉が開く。そこには、長老たちが何十年も隠し続けてきた、腐敗のすべてが記された黄金の石板が輝いていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【ラストシーン:勇者の手、学者の手】
「……やったわ。これがあれば、もう誰も言い逃れできない」
膝をつき、呼吸を乱すエレーヌ。老魔導師は形勢不利と悟り、舌打ちとともに影に消えていった。 静まり返った地下室で、レオンはボロボロになった鎧のまま、エレーヌの隣に腰を下ろした。
「……すげえな、エレーヌさん。あんた、本物の戦士だぜ。俺、心底惚れ直した」
「……っ。……変なこと言わないで。……怖かったわ。でも、あなたが戦ってくれたから、私も一歩踏み出せた」
エレーヌは、そっとレオンの鉄の籠手に自分の手を重ねた。 レオンは顔を真っ赤にしながらも、今度は逃げずに、その小さな手を強く、優しく握り返した。
その様子を、天井の隅に張り付いたステラの「観測用ドローン」が静かに見つめていた。
『――第108号。レオンとエレーヌの接触を確認。非論理的なシンクロ率の上昇により、ミッションの成功確率が99パーセントに固定されたわ』
通信機越しに、アスカの不敵な笑い声が響く。
「ふん、上出来じゃない。……さあ、役者は揃ったわね。次は私が、この幼稚舎のすべてを解錠してあげるわ」
地下室に、レオンの力強い笑い声が響いた。 それは、偽りの聖域が完全に崩壊する、終わりの始まりだった。




