第160話:勇者の迷宮(ラビリンス) ―― 恋の作戦会議
【舞台:帝都のカフェテラス ―― 勇者の石化】
運河を渡る風が、白亜の建物の間を穏やかに吹き抜けていた。 帝都の一等地に店を構えるオープンカフェ。その優雅な風景の中に、明らかに周囲の空気から浮き上がっている巨大な鉄の塊があった。
「……あ、あ……あ…………」
勇者レオンである。 魔物を一刀の下に切り伏せ、今や帝国の守護者と称えられるその男は、今、十メートル先のテーブルで静かに読書をする女性、エレーヌを見つめたまま、文字通り石像のように固まっていた。
「……第108号。レオン個体の機能停止を確認してから、現在で一八〇秒が経過したわ。呼吸は浅く、視線は一点に固定。……脳内麻薬の過剰分泌による、一時的なニューロンの焼き切れと推測するわ。……これ、放置していいのかしら?」
ステラが無機質な瞳でレオンをスキャンし、横に立つアスカに問いかける。
「放置しなさい。……というか、あんなに分かりやすくフリーズしてたら、向こうに怪しまれるでしょうが」
アスカは溜息をつき、手元のティーカップを置いた。その隣では、レイが「まあまあ」となだめるように微笑んでいるが、その瞳は好奇心でキラキラと輝いている。
「レオン、いい加減にシャキッとしなさい! 怪物相手なら自分から突っ込んでいく癖に、どうして女の子一人の前でそんなに及び腰なわけ?」
「わ、分かってねえなアスカ! 怪物なら、斬れば終わる! だがエレーヌさんは違う! もし俺が不用意な一歩を踏み出して、彼女の視界に『ノイズ』として認識されたらどうする!? 彼女の美しい読書時間を、俺という無骨な破壊衝動が汚すことになったら……!」
「……理屈が重いわよ、勇者」
アスカはこめかみを押さえた。
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【舞台:作戦会議 ―― 賢者と聖女のバックアップ】
「レイ、どう思う? この重症患者」
「ふふ、とっても純粋で素敵だと思いますよ。……でも、確かにこのままでは日が暮れてしまいますね。アスカ、私たちが少し『最適化』してあげましょうか?」
レイが楽しげに提案すると、アスカの口角が吊り上がった。それは、難解なセキュリティを突破する直前の、ハッカー特有の不敵な笑みだった。
「いいわ。恋のハッキングは専門外だけど、レオンの行動ログを書き換えるくらいなら造作もないわ。……ステラ、あんたは周囲の魔力変動を監視。リサとゼノスは、長老たちの刺客が来ないか見張ってて」
「了解ですニャ! 私はレオン様がフラれた時のために、慰め用の魚を確保してきますニャ!」
シュシュがテーブルの下で野次を飛ばす。
「よし、レオン。作戦を伝えるわ。まずは、あそこの花屋で『青いリナリア』を買いなさい。花言葉は『この恋に気づいて』。……あんたに足りないのは、言葉じゃなくて『きっかけ』のコードよ」
「リ、リナリア……。気づいて……。うおお、アスカ! お前、意外とそういうのに詳しいんだな!」
「……うるさい。いいから行きなさい!」
赤面するアスカに背中を押され、レオンは武装したまま花屋へと突撃していった。
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【舞台:ステラの解析 ―― 非論理的な美学】
レオンが花を抱えて、挙動不審な動きでエレーヌのテーブルへ近づいていくのを、ステラは無表情に凝視していた。
「……理解不能。対象は視覚情報を処理している最中であり、外部からの突発的な接触は情報の入力阻害に該当する。……なぜレオンは、あんなに震えながら、植物の生殖器官(花)を差し出そうとしているのかしら。……第108号、これは生存戦略において、どのような利益があるの?」
「利益なんてないわよ、ステラ。……でもね、無駄なことの中にしか存在しない『真実』っていうのもあるのよ。……ほら、見てなさい」
アスカが指先で空中に小さな魔法陣を描く。それは攻撃魔法ではない。 レオンの緊張を和らげ、彼の周囲の光をわずかに調整して、彼が一番「格好良く」見えるようにするための、極めて高度で、極めて「無駄な」ハッキング。
「勇者様の恋くらい、最高の演出で彩ってあげなきゃね」
レイもまた、静かに祈りを捧げる。
「彼女の心が、レオンさんの温かさに触れますように……」
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【ラストシーン:勇者の第一歩 ―― 運河のきらめき】
レオンは、エレーヌのテーブルの前で止まった。 彼の巨大な体が影を落とし、エレーヌが驚いたように顔を上げる。
「……あ。レオン、さん?」
「え、エレーヌさん!……これ、その……! 運河で見つけたから、君に……!」
レオンは、勢いよく花束を差し出した。あまりの勢いに花が風を切ったが、アスカの魔法がその瞬間、周囲の運河の水を小さく跳ねさせ、太陽の光を反射して、レオンと花を宝石のように輝かせた。
エレーヌは目を丸くし、それから、今までレオンが見たこともないような、柔らかな微笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます。とっても、綺麗ですね」
その瞬間。 遠くのカフェ席で、ステラが目を見開いた。
「……検知完了。レオンの心拍数が正常値を超えて計測不能。……そして、エレーヌの表情筋が『好意』を示すパターンに移行したわ。……これは、私のデータベースにある『成功』の定義と合致する……」
アスカは、満足げに紅茶を最後の一口まで飲み干した。
「……ふん。やっぱり、恋の鍵も、結局は『熱量』の問題ね」
だが、喜びも束の間。 幼稚舎の方角から、不穏な鐘の音が響き渡った。
「……作戦終了。さあ、レオン。デートの約束は後で取り付けなさい。……次は、あの子を泣かせている老いぼれどもの『権威』を、根こそぎアンロックしに行くわよ」
アスカの瞳に、賢者の鋭い光が戻る。 勇者の恋が、新しい時代の扉を叩いた、帝都の昼下がりだった。




