第15話:賢者と師匠の同居生活:VOIDの家事最適化計画
【舞台:古本屋『VOID』・居住スペース】
古本屋『VOID』の2階。そこは本来、アスカが厳密な計算に基づき、一ミリの無駄もなく配置した至高の隠居空間……のはずだった。
「……リサ。そこのソファーに脱ぎ捨てられた、属性不明の旅装束を回収して。それと、キッチンに放置された魔界産ドラゴンエールの空き瓶。これらは私の生活動線を0.5秒阻害しているわ。即座に排除しなさい」
アスカは眉間に深い皺を寄せ、愛用の羽ペンを指差し、金色の髪を乱して昼寝中の師匠を睨みつけた。
「んん〜……アスカぁ、細かいわねぇ。そんなの指先一つでパパッと片付けちゃえばいいじゃない。知性は楽をするためにあるのよ?」
リサは欠伸をしながら起き上がると、悪戯っぽく琥珀色の瞳を輝かせた。
「いい? 私がこの店で求めているのは『静寂』と『秩序』よ。居候するなら、最低限の家事を支払って。できないなら、今すぐ店の存在確率からあなたを抹消するわ」
「わかったわよ、もう! そんなに言うなら、私が『世界一効率的で退屈な家事システム』を作ってあげるわ。アスカ、見てなさい!」
リサがガバっと立ち上がり、空中に指で幾何学模様を描き始めた。アスカの精緻な術式とは違い、それはまるで踊るような、奔放で暴力的なまでのマナの奔流だった。
「リサ、待って! 私の店に変な論理を組み込まないで――」
「名付けて! 【超全自動・家事完遂型・守護霊】、起動!」
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【カオスな「家事最適化」の始まり】
次の瞬間、店内の空気が震えた。 アスカの懸念通り、リサの魔法は「最適化」の定義を履き違えていた。
「……な、何これ!? 雑巾が……雑巾が音速で動いている!」
バチバチと火花を散らしながら、雑巾たちが自意識を持って床を猛烈な勢いで磨き始めた。摩擦熱で床が光り輝き、もはや鏡面を通り越してスケートリンクのような滑らかさになっている。
「あわわ! アスカ様、キッチンが戦場ですニャ! お皿たちが空中を乱舞して、高圧洗浄魔法を浴びて、そのまま食器棚へ超高速射出されてますニャ!」
シュシュが、飛んでくる皿を間一髪で避けながら叫ぶ。
「リサ! 皿を秒速10メートルで収納させないで! 衝突の衝撃で私の耳がデシベル限界よ!」
「えー? 掃除も洗濯も一瞬で終わるんだから最高じゃない! ほら、洗濯機もやる気満々よ!」
脱衣所からは、洗濯機が「ヴォォォォン!」という重低音を響かせ、異次元から取り出した超高熱の乾燥風を吹き出していた。アスカのお気に入りのエプロンが、乾燥というよりは「焼成」に近い工程を経て、カチカチに硬化して飛んできた。
「……私の、お気に入りのリネンが……セラミック並みの硬度になっているわ。……リサ、今すぐこの暴走システムを強制終了して!」
「ダメよ、まだメインディッシュの『全自動・換気システム』が残ってるんだから!」
リサが指を鳴らした瞬間、屋根の上の煙突が巨大な吸引機へと変貌した。 「ゴオオオオオオ!」という凄まじい吸引音が響き、室内の埃どころか、アスカの大切な古本(初版本!)のページ、さらにはカウンターの上にいたシュシュまでが吸い込まれそうになる。
「ニャーー! アスカ様、吾輩の魂が吸引されますニャーー!」
「リサァァァ! この、バカ師匠!!」
アスカはついに、愛用の魔導書を開き、全魔力を指先に集中させた。
「事象定義変更……『全ての動体魔法に絶対停止を付与』! システム・オーバーライド! 止まれえぇぇ!」
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【静寂、そして絶望】
アスカの放った強力な強制停止魔法により、暴走していた家事ロボットたちは一瞬で動きを止めた。 皿は空中で静止し、雑巾は床に力なく落ち、巨大な吸引音も消えた。
……後に残ったのは、異常なまでにピカピカ(というか削れている)床と、カチカチに乾燥した洗濯物の山。そして、埃一つないどころか「空気そのものが薄くなった」リビングだった。
「……ぜぇ、ぜぇ……。リサ、あなた……家事を『殲滅作戦』か何かと勘違いしてない?」
アスカは乱れた黒髪を直し、肩で息をしながら師匠を睨みつけた。 当のリサは、自分が引き起こした惨状を眺めて「あはは、ちょっと出力強すぎたかしら?」と笑っている。
「でもアスカ、見てよ。床も食器もピッカピカ。これで一週間分のご奉仕は終わったわね。さあ、ティータイムよ!」
「……誰のせいで、お茶を淹れるためのキッチンが『無菌室』みたいに冷え切っていると思っているの。……もういいわ。今日からあなたには、魔法禁止、完全な『手作業』のみを命じるわ」
「えぇ〜!? そんなの非効率よ、アスカぁ!」
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【舞台:古本屋『VOID』】
数時間後。 すっかり夜が更けた『VOID』のカウンター。 リサは、ブツブツと文句を言いながらも、アスカに言われた通り「手作業」で古い魔導書の埃を一枚一枚、筆で払っていた。
アスカはその横で、ようやく取り戻した静寂の中で、ハーブティーを一口啜る。
「……リサ。そこ、まだ0.1ミリほど埃が残っているわよ」
「厳しいわねぇ。……でも、まあ」
リサは金色の髪を耳にかけ、アスカの横顔を見てふと微笑んだ。
「……こうやってあんたと肩を並べて、何の意味もない『無駄な作業』をしてるのも……案外、悪くないわね」
アスカは、その言葉を聞いて一瞬だけ動きを止めたが、すぐに興味なさそうに本に視線を戻した。
「……非論理的な発言。……でも、お茶のお代わりくらいなら淹れてあげてもいいわよ。……手動でね」
窓の外には、エルムの静かな星空。 最強の賢者の平穏は、相変わらず騒がしいバグに侵食されていたが、その温度は、計算式では導き出せないほどに温かなものだった。




