第156話:帝国の影
【舞台:エルムの街・古本屋『VOID』 ―― 不穏な鉄の響き】
春の陽光が石畳を温める穏やかな午後、その静寂は無機質な鉄靴の音によって破られた。
古本屋『VOID』の前に停まったのは、漆黒の塗装が施された帝国の魔導馬車だった。車体には帝国の紋章が刻まれている。
扉が開き、降りてきたのは三人の中年魔導師たちだった。彼らは帝国の高官であることを誇示するように、金糸で縁取られた重厚な法衣を纏い、周囲の街人を「下層民」と見下すような冷ややかな視線を送っている。
「――ここか。辺境の地に似つかわしくない、妙な魔力の揺らぎを感じるが」
先頭に立つ男、特使のバルトロが、嫌悪感を隠さずに『VOID』の看板を睨みつけた。 彼は店内に足を踏み入れるなり、挨拶もなしに杖を突き立てた。
「帝都魔導大学より、特待生ミーナを迎えに来た。……おい、店主。娘を呼びなさい。帝国の時間は貴殿らの安っぽい一生よりも価値があるのだ」
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【舞台:カウンター ―― 賢者の静かな怒り】
カウンターの奥で魔導書を読んでいたアスカは、顔を上げることなく、冷ややかな声で応じた。
「……予約もなしに土足で上がり込んで、随分と威勢がいいのですね。帝国では礼儀作法は教えないのかしら?」
「何だと……? 貴様、相手が誰だか分かって言っているのか」
バルトロが気色ばんだ。その時、アスカがゆっくりと顔を上げた。その瞳に宿る黄金の知性が、一瞬だけ鋭く彼を射抜く。
「ええ、分かっています。旧帝国の名に縋りながら、その本質を見失った哀れな役人の方々でしょう? ミーナは準備中よ。そんなに急ぐなら、外で季節の風でも楽しんでいればいかが?」
「貴様……! この私を侮辱するのか!」
アスカは眉一つ動かさず、静かに言い放った。
「私は事実を言っているだけ。……それから、私の店で声を荒らげるのはやめてくださる? 本が驚いてしまうわ」
アスカは冷徹なまでの礼節をもって応じる。その静かな語り口こそが、彼女が「賢者」であることを何よりも雄弁に物語っていた。
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【舞台:店内の違和感 ―― 暴かれる正体】
その時、バルトロの背後にいた随行の魔導師が、顔を青くして周囲を見渡し始めた。
「バ、バルトロ閣下……お待ちください。この店、何かがおかしい。あの隅に立っている娘……あり得ないほどの魔力密度です。まるで、世界の法則そのものが実体化したような……」
壁際でモップを握り、無表情に立っていたステラが、首を傾げた。
「……解析。対象の瞳孔が開散し、心拍数が20パーセント上昇。恐怖による生理反応を確認したわ。貴方、私の掃除方法に不満があるのかしら?」
「あんたは黙って掃除していなさい、ステラ」
アスカが溜息をつきながら制した。
だが、追い打ちをかけるように、奥の居住区から紅茶のトレイを持ったゼノスが現れた。
「ミーナ様はすぐに参ります。お静かにお願いできますか」
その瞬間、バルトロは石化したように動かなくなった。 ゼノスが纏う気配。それは執事の振る舞いをしていても隠しきれない、かつて大陸を震え上がらせた「皇帝」の覇気。
「……そ、その顔……その声……まさか、先代の……!? いや、そんなはずはない、陛下は行方不明になったと……」
バルトロの杖がガタガタと音を立てる。彼は、目の前の「執事」と、かつて自分たちが崇めた「皇帝」の姿を重ね合わせ、信じられない事実に震え上がっていた。さらに、その隣でリサが不敵な笑みを浮かべて杖を弄んでいる。
「あら、帝国の坊やたち。そんなに震えて、うちの旦那の淹れたお茶が怖いの?」
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【ラストシーン:帝国の影、賢者の光】
店内は、張り詰めた沈黙に支配された。 帝国の特使たちは、今や「迎えに来てやった」という傲慢さを失い、伝説の怪物たちの巣穴に迷い込んだ子供のように震えている。
「……ミーナ」
アスカが、二階から降りてきたミーナを優しく手招きした。
「行きなさい。……でも、一つだけ覚えておいて。もし向こうで、この男たちのように『力』を履き違えた人間がいたら、迷わず言い返してやりなさい。……あなたは、私たちの誇りなんだから」
ミーナは緊張に震えながらも、アスカの手を握り返し、力強く頷いた。
アスカは、バルトロたちを冷たく見据え、最後通告のように告げた。
「ミーナを預けます。……ですが、もし彼女に何かあれば、私が直接帝国まで伺います。その時は、あなたたちが信じているその『秩序』を、一文字残らずハッキングして差し上げるわ。いいわね?」
黄金の魔力が店内に一瞬だけ膨れ上がり、帝国の魔導師たちは這々の体でミーナの荷物を運び出し始めた。
「……第108号。今のあなたの威圧は、極めて非論理的ながら、効果的だったわ」
ステラが感心したように呟く。
「……うるさいわね。さあ、シュシュ、レイ。見送りに行くわよ」
街の東門の方へ向かう一行。アスカたちは前を歩く旅立つ少女の背中を見つめていた。それは、新しい時代の激動が、この静かな『VOID』にまで忍び寄っていることを予感させる、重苦しくも決然とした幕切れだった。




