第157話:餞別の旋律
【舞台:エルムの街・東門前 ―― 惜別の春風】
春の陽光が石畳を優しく照らし、旅立ちを祝うように風が草原の香りを運んでいた。 街の東門の前には、漆黒の帝国馬車が静かに控えている。その重厚な車輪は、これからミーナを遠く過酷な「実力主義の地」へと運ぶ現実を突きつけていた。
馬車の前で、ミーナは何度も振り返り、慣れ親しんだ街並みと、そこに立つ大切な人々の姿を瞳に焼き付けようとしていた。その手には、アスカたちが贈った「見えない贈り物」が詰まった鞄が固く握られている。
「……お姉ちゃん、レイちゃん。私、行くね」
ミーナの声が震える。アスカは、彼女の前に立ち、その肩を力強く叩いた。
「ええ。泣き言を言う暇があったら、私の教えたハッキング理論を復習なさい。……あなたなら、帝国のガチガチな頭をひっくり返せるわ。自信を持って」
「はい……!」
レイもまた、ミーナの両手を包み込み、優しく微笑む。
「ミーナちゃん。道に迷いそうになったら、いつでもこの空を見上げてください。私たちは、同じ空の下であなたを待っていますから」
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【舞台:黒猫の流儀 ―― 家族の叱咤】
「……ニャー。いつまで湿っぽい顔をしてるんですニャ」
不意に、足元から生意気な声が響いた。 シュシュが、いつになく真面目な顔をしてミーナを見上げていた。一歩前に出ると、ふんぞり返って喉を鳴らす。
「ミーナ様、いいですかニャ。向こうには私みたいな賢い猫はいないですけど、だからって寂しがってボロボロ泣くのはダメですニャ。……あなたは、この『VOID』で、私の昼寝の邪魔を散々してきた図太い子ですからニャ。帝国の連中なんて、爪を立てるまでもなく、ミーナ様のその鈍感さで圧倒してやるですニャ」
「シュシュ……」
「……これ、プレゼントですニャ」
シュシュが、前足で小さな包みをミーナに差し出した。
「私の抜け毛を編んだ最強のお守りですニャ。……絶体絶命の時にだけ開けるんですニャ。それまでは、家族(私たち)がついていることを忘れないことですニャ!」
「……うん! ありがとう、シュシュ。絶対、大切にするね」
ミーナは、黒猫の不器用な「家族」としての愛を胸に抱きしめた。
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【舞台:元神様の計算 ―― 友への言葉】
馬車の御者が急かすように鞭を鳴らした。 ミーナがステップに足をかけようとした時、それまで無表情に佇んでいたステラが、一歩前に踏み出した。
「待って。……第34号個体。いえ、ミーナ」
ステラの声は、相変わらず無機質だった。だが、その瞳にはかつての冷徹さはなく、どこか「解析不能な温かさ」が揺らめいている。
「私の演算によれば、貴方が帝国の環境に適応できず、帰還を希望する確率は……依然として高いわ。……けれど」
ステラは、ポケットから小さな、けれど眩いばかりの光を放つクリスタルを取り出し、ミーナの手のひらに載せた。
「……これは、私が個人的に抽出した『希望』の波長よ。貴方が一人で暗闇にいる時、私の計算が追いつかないほど、この光が貴方を照らすはずだわ」
「ステラさん……これ、もらってもいいの?」
「ええ。……ミーナ。貴方は、私の『初めての友人』という変数に該当するわ。友人が離脱する現象に対し、私の胸部ユニットが異常な圧迫感を検知している。……これは非効率な感情だけれど、悪くない。……だから、必ず戻ってきなさい。次の『買い物』の続きを、完了させるために」
ミーナは驚き、それから今日一番の笑顔で頷いた。
「……うん! 私、頑張るよ。ステラさんに『人間界』の面白いお土産、たくさん持って帰ってくるからね!」
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【ラストシーン:遠ざかる轍】
馬車がゆっくりと動き出した。 御者が鞭を振るい、蹄の音が石畳に高く響く。
「行ってくるね!! みんな、大好きだよ!!」
窓から身を乗り出し、ミーナがちぎれるほどに手を振る。 アスカ、レイ、リサ、ゼノス、シュシュ、そしてステラ。 『VOID』の家族たちが、彼女の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り返していた。
「……行ったわね」
アスカがポツリと呟く。その目には、寂しさを隠しきれない親心が滲んでいた。
「アスカ。……私たちの『日常』が、少しだけ外に広がっただけですよ」
レイが、アスカの肩に優しく手を添えた。
「……第108号。視界の端が水分で潤む現象を検知したわ。……これが、別れという名のバグなのかしら」
ステラが、空を見上げながら不思議そうに呟く。
「そうよ、ステラ。……でも、それはいつか『再会』っていう最高のパッチで修正されるものよ」
春の風が、ミーナを乗せた馬車の砂埃を巻き上げ、草原の彼方へと消えていく。 一人の少女の旅立ち。それは、エルムの街の小さな日常が、世界の新しい旋律へと溶け込んでいく、静かで美しい始まりだった。




