第132話:過去からの招待状
【舞台:古本屋『VOID』 ―― 開店直後の波乱】
昨夜、アスカが完璧な論理で書き上げた「結婚式実施計画書」がカウンターに鎮座する中、古本屋『VOID』の朝は、いつも通り静かに始まるはずだった。
店主であるアスカはカウンターで指先を動かし、空中に浮かべた銀色の数式で在庫の魔導書をソートしている。その隣では、レイがロイヤルブルーの袖をまくり、届いたばかりの荷解きをしていた。
「……フンッ」
カウンターの端で、一匹の猫が鼻を鳴らした。アスカの使い魔であるオス猫のシュシュだ。彼は自慢の毛並みを整えながら、鋭い金色の瞳で店内の平穏を見守っていた。 だが、そのシュシュが突如として毛を逆立て、低く唸り声を上げた。
「どうしたの、シュシュ。……また毛玉でも詰まった?」
アスカが眉をひそめた瞬間、古びたカウベルが「カラン、カラン!」と、耳を劈くような音を立てて打ち鳴らされた。
店内に踏み込んできたのは、埃にまみれた旅装束の二人組だ。一人は、顔の半分を大きな火傷の痕が覆っているが、筋骨隆々とした体躯を持つ大男。もう一人は、長い銀髪を三つ編みにし、背中に巨大な戦斧を背負った小柄な老婆。
「ここか……。あの『鉄血のリサ』が、本屋の居候に収まってるっていう、おかしな店は」
大男が野太い声で言い、書棚の古書たちがその威圧感に微かに震えた。
「いらっしゃいませ。……あのお二人、何かお探しでしょうか?」
レイが少しだけ身を引いて、けれど丁寧な所作で二人を迎え入れる。
「探しているのは本じゃない。……リサとゼノスの野郎だ。あの二人が『ついに年貢を納める』って聞いたもんでな。死んだ戦友の墓を掘り起こしてでも確認しに来たのさ」
老婆が、しわがれた声で不敵に笑った。
アスカはカウンターの中から、その澄んだ、鋭い双眸で二人を射抜くように凝視した。
「……装備の摩耗具合、身体の筋肉密度、そして隠しきれない血の匂い。あなたたち、ただの旅行者じゃないわね。リサとゼノスの知り合い? 私のデータには存在しない顔だけど」
「おてんばな賢者様だね、リサの弟子かい?」
老婆がカウンターに歩み寄り、アスカの顔を覗き込む。
「あたいたちは『落涙の傭兵団』の生き残りだよ。リサがまだ『鉄血の賢者』と呼ばれ、ゼノスが『黄金の獅子』として戦場を焦土に変えていた頃の……腐れ縁さ」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【舞台:語られる「二人の過去」】
ちょうどそこへ、近くの市場から戻ってきたリサとゼノスが店に入ってきた。 二人の顔を見た瞬間、店内の空気が一変した。シュシュもリサの気配を察して、シュンと大人しくカウンターの上で丸くなる。
「ガルス! それに、婆様……!? どうしてここがわかったのよ」
リサが目を見開き、珍しく動揺した声を上げる。
「フン、隠居生活のつもりか、リサ。ゼノス、その情けない面は何だ。皇帝の冠を捨てて、今度はエプロンを締めるのか?」
大男――ガルスが、ゼノスの肩を力一杯叩いた。
「……久しぶりだな。お前たちの生存を確認できて、私も嬉しい」
ゼノスは痛がる様子もなく、静かに微笑んだ。彼の声は、かつて大陸を統治した者とは思えないほど柔らかい。
アスカとレイは、カウンター越しに並んで座り、客人に振る舞った茶を啜りながら、語られる「過去」に耳を傾けた。
「いいかい、アスカ。今でこそこの二人はしっぽり収まってるがね、昔は凄まじかったんだよ」
老婆が懐かしそうに目を細める。
「十七年前の『竜の巣』攻略戦を知ってるかい? リサは自分の魔力が枯渇するのも構わず、敵陣のど真ん中で孤立したゼノスを救うために、禁呪を三つ同時に並列起動させたんだ。空が割れ、大地が凍りつく中、リサは血反吐を吐きながら叫んだのさ。『その男を殺していいのは、この私だけよ!』ってね」
「ちょ、婆様! そんな昔の話、もういいじゃない!」
リサが顔を真っ赤にして制止するが、ガルスの笑い声がそれを遮った。
「ゼノスだって負けちゃいねえ。あの大乱戦の中、リサを守るために盾を三枚叩き折られてもなお、折れた剣一本で千人の兵を退けた。背中に数十本の矢が突き刺さっていても、リサを抱きかかえて戦場を駆け抜けた。……あの時のリサの泣き顔といったら、そりゃあ可愛かったぜ」
「……余計なことを言うな。私はただ、失うわけにはいかなかっただけだ」
ゼノスが視線を逸らし、飾られた百合の花を整えるふりをする。
アスカは、その話を聞きながら、知らず知らずのうちに指先の演算を止めていた。 彼女が知るリサは、常に余裕があり、アスカを子供扱いする絶対的な師匠だ。彼女が知るゼノスは、無口で献身的で、完璧に家事をこなす執事だ。 だが、その平穏な関係性の下には、死線を共に潜り抜け、互いの命を削り合って守り抜いた、壮絶な「歴史」があったのだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【舞台:賢者の気づきと決意】
「アスカ……」
レイが隣で、潤んだ瞳でアスカを見つめていた。
「お二人の絆は、昨日今日できたものじゃないんですね。長い時間をかけて、お互いを一番大切な存在として刻み込んできた……。今回の結婚は、その答え合わせみたいなものなのかもしれません」
アスカは、計画書に書き込まれた「論理的な式の構成」を見つめ直した。 そこには効率的な進行、美しい装飾、最適な座席表が並んでいる。けれど、ガルスたちの話を聞いた後では、それがひどく表面的なものに思えてきた。
「……そうね。私の計算は、彼らの『深さ』を過小評価していたわ」
アスカはふっと息を吐き、自分の手をじっと見つめた。
「二人がこれほどまでに戦い、苦しみ、ようやく辿り着いた平穏。……それを祝福するのに、ただの『綺麗な式』じゃ足りないわ」
アスカはガルスたちに向かって、不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「ガルス、婆様。あなたたちも、当日は最前列に座りなさい。リサがかつて見せたという『可愛い泣き顔』を、今度は幸せな意味で更新してあげるから!」
「……ニャ!」
シュシュもアスカの言葉に同意するように、一言だけ短く鳴いて、自慢の尻尾を振った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【ラストシーン:星空の下の誓約書】
夜。ガルスたちが宿へ向かい、リサとゼノスも近くの自宅へ帰った後。 アスカは一人、古本屋のカウンターでペンを走らせていた。
計画書の余白に、新しく書き足された項目がある。 『演出:過去の戦友たちへの追悼と、未来への凱旋』
窓の外には、エルムの街の夜空が広がっている。 アスカはふと、隣に置かれたレイの淹れたての茶を見つめた。
「レイ。……私、決めたわ。この結婚式、神様が嫉妬して演算を止めるくらい、最高に不合理で、最高に温かいものにする」
「はい。アスカなら、きっとできます」
アスカは、かつてリサが自分を拾ってくれた時のことを思い出した。 師匠が隠していた、戦場での荒々しくも切ない愛の記憶。 その重みを知ったアスカの瞳は、夜空の星よりも強く、決意に満ちた光を宿していた。
古本屋『VOID』の片隅で、シュシュが満足げに喉を鳴らして眠り、古い歴史を刻んだ本たちが、新しい物語の始まりを祝うように、ひっそりとページを揺らした。




