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第19話

マティナはその人物を見た瞬間、自分が夢を見ていると気付いた。

 「……ねぇ、ねぇってば。マティナ聞いてるの?」

目の前にいたのは八歳くらいの幼い少女だ。赤みの差した頬をふくらませて、マティナの返事を急かしてくる。少女にマティナは苦笑しながら、

「聞いてますよ、アンナ」

 と、少女と同じくらい幼い声で返した。

 これはマティナがメソンで暮らしていた頃、魔術学校に入る前の記憶だ。マティナはこの時の記憶を何度も何度も夢として追体験していた。十年近く前の記憶だというのに、現実と同じくらい鮮明なのはそのためだった。特にアンナの顔はまつげの一本一本に至るまで精細だ。

「それでね、ひどいんだよパパったら。早く帰ってくる約束だったのにわすれてたの!」

「それはひどいです。ちゃんとおしおきしましたか?」

「うん! 頭の横っちょぐりぐりしてあげた!」

 マティナとアンナは端から見ると奇妙な取り合わせだった。

 アンナは平均より少し貧乏な一般家庭の生まれだったが、マティナは旧貴族の家系の娘だった。メソンでは一世紀前に貴族制は廃止されていた。しかし、旧貴族たちの財力やコネや役職は依然として残ったままで、一般市民とは一線を画すのは変わらなかった。

 そのためマティナは本来アンナとは挨拶すらしない立場にあったが、運命の偶然が二人を友人として結びつけた。以来、二人は毎日のように顔を合わせていた。

 アンナとの日々は何度思い返しても幸せなものだった。通常思い出は美化されるものだが、マティナの見るこの光景は過去にあったことそのままだ。美化など必要ない。アンナとの会話はそのままで至上の幸福だった。だからこそマティナは苦しくなる。

「あ、もうそろそろ帰らないと! またね、マティナ!」

 笑顔で手を振るアンナに、マティナは「行かないで」と言いたかった。もっと話そう、何も今帰る必要なんかない、せめてもう少し日が暮れてからにして。

 だがこの夢は冷酷なまでに過去通りだ。

「ええ、さようなら。アンナ、また明日」

 言葉通り、翌日もマティナはアンナと対面した。昨日と違いがあるとすれば、マティナは生者で、アンナは死者だったと言うことだけだ。

 昨日アンナはマティナと別れ家に帰った後、高熱を出しそのまま息を引き取ったらしい。 冷たくなったアンナの手を握り、号泣したことを覚えている。

 後に分かったことだが、アンナが死んだのは自然な病気のせいではなかった。低位魔術《風邪っぴき》。医療魔術や呪詛の入門として広く知られる、被呪者に鼻水を出させたり咳をさせたりするだけのかわいらしい呪詛によるものだった。

《風邪っぴき》を使ったのはアンナの家の近くに住むいたずら好きの少年だった。少年は魔術の才能があり、覚えた魔術を気になる女の子に試したくなったらしい。少年が持っていた悪意などその程度で、実際の行動も程度をわきまえていた。人に《風邪っぴき》をかけるなど額を指ではじくようなもので、どうやったとしてもいたずらの範疇を出ない。

 ただ、アンナには耐性がなかった。耐性がなく、体力もない子供に対し《風邪っぴき》は通常の何十倍、何百倍の効力を発揮し、アンナの免疫を衰弱させた。そこに偶然、別の熱病が入り込みアンナを死に至らしめたのだ。

 不幸な事故だった。重なるはずがない偶然が重なりすぎた。だが幼かったマティナは到底納得できなかった。

 まず少年を憎んだ。いつか同じように殺してやると、少年をつけ回し機会をうかがった。だが情報を集めれば集めるほど、少年の深い悔恨が露わになった。少年はアンナが好きだったのだ。好きな子を自分の手で殺してしまった後悔に必死で向き合おうとする姿を見て、マティナは許しはせずとも憎むのを止めた。

 では何を憎めばいいのだろう。何に憤ればいいのだろう。マティナは魔術だと思った。だが当時のマティナはあまりにも魔術に無知だった。マティナは親友を殺した技術を学ぶためにメソン魔術学校への入学を決意した。

 入学してからの一年間は、《風邪っぴき》がいかにちっぽけな魔術か、そして耐性を全く持たない人間がどれほど少数かを知るには長すぎるほどだった。

 だからマティナはアンナの死を理由に何かを憎んだり憤ったりするのを止めた。むしろあのような事故が起きないために、自分が出来ることを探し始めた。

 考えたのはどうすれば耐性のない人間が魔術から身を守れるかだ。だが耐性は先天性。訓練では伸ばせない。そこで出会ったのがアミュレットだった。

 アミュレットは所持しているだけで所有者に何らかの効果をもたらす。これならば耐性を補うことが出来るのではないか。その後の進振りでマティナは魔導具学科に進み、アミュレットの研究に邁進することになった。

 それは想像していた以上の茨の道だった。アミュレットに研究する価値はない、というのが魔術界での定説であり、その道を選んだマティナを理解してくれる人間は皆無だった。

 教師たちには才能を無駄にしていると嘆かれた。親にはそんなことをさせるために学校に通わせたのではないと泣かれた。そして友人たちは何も言わずに離れていった。

 マティナは卒業するまで一人だった。指輪を授かりはしたものの、それは試験の点数によるものだ。理想を追い求め作り上げた《抵抗》の試作品を認められてのことではない。

 マティナは卒業後、ある旧貴族家に嫁にやられることが決まっていた。親が最終的にマティナの研究を黙認したのは、嫁入り前に好きなことをさせてやろうとの親心だったのだ。

 マティナにもそれは分かっていたし、感謝もしていた。だが嫁入りしては研究が出来ない。マティナには《抵抗》をより低コストで量産できるよう改良し、耐性のない人々に届けるという使命があった。

 だから出奔した。恐怖もためらいもなかった。すでにマティナはアミュレットのためにあらゆるものを犠牲にする覚悟が出来ていた。その覚悟がなければアンナは救えない。

 メソン大陸を出たマティナは百島同盟の島々を渡り旅をする。

 一つ所にとどまることはなかった。それは理解者、共感者を探すためだったと、今のマティナは思う。マティナの決意は固かった。この先もアミュレットを作り続けていくのだと思っていた。だからこそ「この先」へたった一人で歩いて行かねばならないことがたまらなくつらかったのである。

「どうして誰も分かってくれないの!? アミュレットを作るのは人を助けるためで、誰かに認めてもらうためじゃない。だけど! 誰か一人くらい、私を褒めてくれたっていいじゃない……慰めてくれたって、いいじゃない……」

 己の選んだ道とは言え、十年近い間マティナは孤独だった。そして孤独は人を狂わせる。

 いつしかマティナの中には怒りと憎しみが燻り始めた。周囲の無理解、魔術弱者を置き去りにして魔術の普及を推し進める百島同盟。全て、全て許しがたい。お前達がアンナを殺したんだ。誰も憎まないとあの時決めたはずだった。だがマティナはマティナ自身が考えていたよりも下等で、未熟な人間だったのだ。

 いつか見返してやる、復讐してやる。認めさせてやる。人助けと口にしながら腹の中には濁った感情が溜まっていく。

 今のマティナはその感情から目を逸らす術を知っている。だが思い自体は消え去ってなどいないのである。


「んっ……こ、ここは……」

 夢から覚めたマティナは自分が縛られ、薄暗い部屋に転がされているのに気付く。

「ほう、もう目覚めたのか。早いのう」

 声の方を見上げると老魔術師エラトマの姿がある。マティナはそれだけですぐに自分の状況を理解した。

「そうだ、私この人の屋敷に行って……そういうことですか。エラトマ様? あのお話はお断りさせていただいたはずです。そろそろ家に帰して下さいませんか?」

「ほほ、それは出来ぬ相談じゃ。分かっておろう? わしに協力してくれぬ限りはのう。マティナ君、君のアミュレットはなかなかに興味深い。わしですら一目見ただけでは仕組みが分からなんだ……それほどに画期的で高度な技術で作られておる。「魔術を使う殺し屋」でしかないヤニス君などより君の方がよほど魔道の深淵を識っているといえよう。その知識が、わしは欲しい。わしの魔術を高みへ導くために」

「はぁ……共同研究の申し出はありがたいのですが、流石に外道とはパートナーにはなれません。まさか人間の生け贄を使っているなんて思いもしませんでしたよ」

 町で偶然出会ったエラトマに屋敷に招待された時にはこんなことになるとは予想もしていなかった。その後エラトマは生け贄の話をマティナに打ち明けた。

「ああ――今思い返しても腹が立ちます。確かに私はアミュレット研究のためだけに生きているようなものですが、人を犠牲にしてまで研究をするような下衆に見えましたか? それとも頑張って口説けば落ちる安い女とでも思いましたか? どちらも間違いです。それが分からないほどボケてしまわれたなら、とっととこの世を引退されては?」

 つまりエラトマは己の悪事にマティナを引き込もうとしたのだ。だが当然マティナは受け入れられない。逃げだそうと抵抗したものの敗れ、拘束されたのだった。

「ひゃっひゃっひゃっ、若いのう。だがわしとて勝算もなく秘め事を晒さぬ。マティナ君と君の作品からはわしと同じ匂いがしたのでな」

「うら若い乙女に腐った加齢臭がするなんて、よくもそんなことを言えますね」

 エラトマはマティナの悪態が聞こえていないかのように続ける。

「感じるぞ……自分の全てをなげうってでも叶えたい野心。しかし、誰にも認められず理解されず賞賛されず、魔術に打ち込めば打ち込むほど孤独になってきた不遇の匂いを」

「やめて下さい。人のことを知ったふうに」

「そういう人間はのう。少しずつ魔術に捧げる犠牲を増やしていく。自分を削るだけで満足しておればいいものを、周りから奪うようになっていく。いやはや君のアミュレットは素晴らしい。だがこれを作るのに何を犠牲にしたのかな? 例えば親御さんはどうしたのじゃ? 君は随分育ちが良さそうじゃ。それはやはり親の愛故だろう。なのに今の君は一人きりじゃ。死んだのか、それとも魔術の道のために捨てたのかね!? 親の愛を! 君は魔術に捧げたのかね!」

「それは……」

「家族を捨てた君はもうこちら側にいるようなものじゃ。君はまだ若いから、捨てきれぬものも残ってはおるだろう。じゃがすぐに捨てられる。そのうちに倫理もな。それならば今ここでわしと手を組み「墜ちて」しまうのが良いとは思わんかな?」

「そんなわけないでしょう!」

 思わずマティナは大声で言い返していた。

「私は人を助けるためにアミュレットを作っているんです。魔術耐性のない人達を魔術から守り、普通の生活を送れるようにする、私が全てをなげうつのはそのためです。人助けのために人を生け贄にするなんて、出来るわけない!」

 エラトマは外道だ。そして外道の言うことを一々まともに取り合うなんてバカげている。 マティナはそれを分かっていながら反論を止められなかった。

 そんなマティナにエラトマは芝居くさい拍手を贈る。

「ほうほう、世のため人のために魔術を学ぶ。実に気高い事じゃのう。で? 君の理想に今まで誰が共感したというのかね」

「……っ!」

「他者の賛同を得られぬその理想は果たして本当に正しいものなのか? 誰にも支持されぬ正義など悪に同じ。そんな状況で自分の研究が自己満足のためではないと、どうして言い切れるのじゃ?」

「それは、私の実力不足です。今の私の技術や地位では説得力がないから……」

「ちと苦しいのう。だがまあいい。もし君が本当に人助けのために魔術を学んでいるというのなら、今ここで宣言すればいいことだ――見返りを求めてはいないと。自分は賞賛も承認も富も名声も求めないと! 自分の身を贄としたその先に、「人を救った」という結果だけが残ればいいと! 故に、自分を認めぬ人間達を憎んだことはないと!」

 今度こそマティナは言葉を失った。

 人助けのためにアミュレットを作っていたつもりだった。だが本当のマティナは誰かに認められたくて、自分を否定する人間を憎んでいて、そんな人間なのだ。

 自分ですら認めがたい事実を、エラトマなどという外道に一目で見抜かれたことが信じられなかった。

 エラトマはマティナが動揺したとみて畳みかける。

「ははは、どうした? 言えないのかね? だとすれば「人助け」など嘘っぱち、君は自分だけが大事な悪党じゃ! 悪党が善を望んでも、結局は悪をなすのみじゃ。どうせかなわぬ理想なら捨ててしまえ、己に正直になるがいい! 自分の魔術を認めさせたいのだろう? ならば生け贄でも何でも使って、蒙昧な愚民共に認めさせてやろうぞ!」

 マティナは数秒の沈黙の後、うつむきながら言った。

「そうね。結局私は私のことしか考えていない、そうなのかも知れないわね」

「認めたな、己が本性を」

「認めますよ。利己心は必ずしも悪いものではないけれど、誰にも共感してもらえない理想を追い求めるのはやっぱりただの自己満足で、善いことじゃないと思う。その自己満足のために家を捨てた私だもの、いつか悪をなすと言われるのも当然かも――だけど」

 マティナは顔を上げエラトマをまっすぐにらみながら、

「ヒトの行いがどんな結果をもたらすか、そんなのやってみないと分からない。「善い」も「悪い」もやってみて初めて分かること。だから私達にんげんは自分の信じた道を進むほかない」

 それは宵闇を征く船のごとし。空と海が水平線をなくし黒々と溶け合った夜の中、星だけを頼りに陸地を目指す艱難辛苦の航海である。

 方角を読み違えていないだろうか。座礁しないだろうか。そもそも、自分の目指す目的地はこの闇の向こうに存在しているのか?

 だが自分の描いた航路が正しかったのか、誤っていたのかは船をださねば分からないのだ。

「そして私はアミュレットで誰かを助けられるって信じてる。この研究が、私の道が「悪」になることなんか無いって信じてる。だから私が貴方に返す答えは変わりません。貴方とは組めない。生け贄は容認できない」

「誰にも認められずともか?」

「もちろん。って言いたいところですけど……この島でラクリスさんに会わなければ危なかったかも」

「……成る程、勧誘の前にそこを崩しておくべきだったか。君は彼に出会ってもしかしたら自分を受け入れてもらえるかもと希望を抱いてしまったわけじゃな。しくじったのう。もう少し「揺らいで」くれれば《洗脳》をかける隙もあったのじゃが……」

 エラトマはしばらく悔しそうにしていたが、

「よろしい、こうなればもったいないが君も生け贄に使うか。いっておくが助けはこぬぞ? ヤニス君はもうじき死ぬ。そして君の《調教》した鳩は潰した。ご執心のラクリス君には死骸を見られたかも知れぬが、まさかあれしきの手がかりでここには乗り込んではこないじゃろ。」

 エラトマの脅し文句を聞いてマティナはクスクスと笑った。

「普通に考えたらそうでしょうね。でも、私と彼は普通じゃない」

「……何?」

 エラトマの言うとおり、まともな神経をしていれば鳩の導き程度で執政官の屋敷に突撃したりはしない。

 だがマティナはラクリスがどんな男なのかを知っている。自分がラクリスにどう思われているかを知っている。

 知りうること全てを考慮した結果、ラクリスが助けに来ると信じて疑わない。

「本当に馬鹿な人、こんな計算高くて自己中な女の子なんて見捨てればいいのに」

 しかし現実には計算通り、

「マティナ無事か!」

 ラクリスはこの地下室までたどり着いたのだった。


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