第18話
ラクリスがエラトマの屋敷突入を決行したのは、日が落ちてからだった。
マティナの事を考えれば一刻も早く行動したかったが、夜を待ったのには訳が合った。
「《かくれんぼ》が効いているようだな」
魔の森で使った《かくれんぼ》は着用者の姿をにじませる。その時の効果から推定すると、昼間では効果が薄すぎるが、夜になればかなり姿が見えにくくなると踏んだ。
実際読み通りで、集会所区画を歩くラクリスは誰にも見とがめられることがなかった。
「遠目から一瞬見るだけでは気付かないというだけだがな。凝視すれば見つけられる」
マティナが何故を非売品にしていたのかがよく分かる。こういう悪事に有用すぎるのだ。
「もうすぐ着くが、この辺りには妙に人気がないな」
首をかしげながらも最後の角を曲がる。後は屋敷まではまっすぐ歩くのみだ。だが角を曲がった瞬間、ラクリスは絶句した。
建物が壊されている。道に無数の穴が穿たれている。植え込みが黒く焦げている。まるで戦いの跡のようだ。そして何より異様なのは、これだけのことが起きていながら何一つ騒ぎになっていないと言うことだ。
「一体何が……」
立ち尽くすラクリスの耳に、ひゅーひゅーと肺を病んだ人間がするような呼吸音が届く。建物の影からだ。恐る恐る近づくと、そこには予想外の人物がいた。
「や、ヤニス視察官!?」
「……あ? な、ンだよ、ゲホッ、誰かと……思えば、ヒイヒイッ……デカブツか。それは……《かくれんぼ》か、子供だましだが……悪くねぇ、ゴホッ」
ヤニスの姿は病人そのものだった。建物に身を預けながら苦しげに息をしている。いつも浮かべているニタニタ笑いも今はなく、ヤニスの苦痛の程がうかがえた。
「ヤニス視察官、一体どうされたのですか!?」
「ちと黙れ……必要なことだけ、話す。……エラトマは、クロだ」
ラクリスは息をのんだ。ここまで来てもエラトマを疑いきれずにいた。妄想で人の家に忍び込むなど止めようと躊躇う気持ちが残っていた。しかしそれは間違いだったのだ。
「これは、ヤツにやられた……呪詛だ。夜明けには、俺は「病死」している、はずだ……。……ヤツは、奴隷を生け贄にし、力を高めている……、が、てめぇの女には別の用があるみてぇだ。まだ、生きてるだろ……」
「本当ですか!?」
「だが、エラトマは予想以上に、イカレてる。何せ、視察官の俺を、躊躇いなく、殺そうとしたくれぇだ。悪手でしかねぇってのに……悪事がバレて、とち狂ったのか。ともかく、何しでかすか、分からねぇ。放置すりゃ、女も、どうなるかは……」
ヤニスは生け贄と言った。つまりエラトマは人殺しに全くのためらいがないのだ。ならマティナも用済みになればいつ殺されるか分からない。
拳を握りしめるラクリスの前で、ヤニスは苦悶の表情を一瞬笑みの形に変えて見せた。
「助けにいくか……? 言っとくが、無駄だぜ。てめぇ一人じゃ……勝てねぇだろう。他の兵士どもを説得してる時間は、ない。説得材料も、ない。むしろ、兵士はてめぇの敵だ。執政官の家にカチコミかけンのを見逃すわけがねぇ……てめぇは負ける。ジジイに殺される。仮に生き残れたとしても、てめぇに対する全ての信用が、失われ……罪人となり、てめぇは誰にも味方されず、処刑される……。《洗脳》で傀儡として利用されるって線もあるが……一番ましな結末でさえ、それだ。それでも、行くってのか?」
マティナを見殺しにして生きるか、自分の全てを失ってでもエラトマに挑むか。
ラクリスの覚悟は決まっている。
「行きます。俺にはその理由がある。唯一の懸念だったのはエラトマ様が事件とは無関係である可能性ですが、それも消えた」
「いいのかよ? 俺の言うことを、鵜呑みにして」
「俺は貴方を信頼したくはないが信用はしています。それと、俺に覚悟を問われましたが、そんなこと聞くまでもないでしょう。自分は意地一つで貴方に勝負を挑んだ人間ですよ?」
「ハハッ……違いねぇ。……ヤツのもっとも強力な魔術は、使い魔だ。岩や土で出来たでけぇ人形を、操る。てめぇとの相性はそこまで……悪くない。もっとも、エラトマの援護を防げれば、だがな。……行くんなら、行け」
「ヤニス視察官は……」
「俺は、ここで呪詛の解呪をためす……どうにも無理くせぇが、あがきもせずに死ぬのは、俺の趣味じゃねぇ……さぁ、とっとと、行け」
「分かりました、最後に一つだけ。……負けっぱなしも、お前の趣味ではないだろう」
対等な人間としての言葉を言い置いて、ラクリスは屋敷へ向かって走り出す。
残されたヤニスは、額に青筋を浮かべながら笑うという器用なことをした。
「野郎……ナマ言いやがって、後でぜってー、ぶちのめす」
走る。走る。走る。もっと慎重に進むべきだとは分かっていたが、ラクリスは脚を動かすのを止められなかった。
まるで決闘前夜、自分の気持ちを悟った時のような気分だ。だが今はあの時よりも切実だ。あの時守ろうとしたのは自分の意地、しかし今はマティナの命である。
どうして自分がマティナにそこまで入れ込むのか、その理由はもう分かっている。後はそれを胸に、後悔しない選択を。
ヤニスが倒れていたところから屋敷までの距離はないに等しい。三十秒もしないうちにエラトマの屋敷へたどり着く。
一度足を止め、素早く屋敷の周囲に目を走らせる。辺りは暗くなっていたが、所々に松明の明かりがあるので遠目からでも大まかな様子が分かる。
「多いな。見張りはともかく、顔見知りの兵士までいるぞ。駐屯地の任務なのか、エラトマが雇ったのかは分からんが……生け垣の周りも、庭の中も定期的に巡回されている」
いくら執政官の屋敷とは言えこの警備は大げさすぎる。普段はここまでの警備態勢は敷いていないはずだ。ヤニスと戦った後に手配したのだろうか。だとすれば手が早すぎる。
「考えていても仕方ないか」
最終的に見つかることは覚悟の上だ。ラクリスは持ってきた棍棒を肩に担ぐと、見回りのいないタイミングを見計らい、生け垣を跳び越える。
無事敷地内には入れたものの、着地音は《かくれんぼ》(クリフト)でもごまかせない。
「何だ今の音は!」
「あっちだ!」
音におびき寄せられた兵士たちを避けるべく、ラクリスはすぐに移動する。ここからはスピードが肝心だ。
ラクリスが屋敷の扉へと駆け寄ると、扉を守っていた兵士がうろたえながら槍を構える。
「お前は……一体どこから!」
「すまん、許せ!」
兵士の槍を小枝のようにへし折り、手加減した拳を一発胴体に見舞うと兵士は呻きながら崩れ落ちる。兵士が倒れ込むのを見届けもせず、ラクリスは扉を開け身をかがめて中へと入った。
外見に違わず大きな屋敷ではあったが、ラクリスが隅々まで歩き回れるほどではない。
「マティナ、いるか!?」
小声で呼びかけながら、姿勢を何度も変え屋敷の中を調べる。だが屋敷の部屋はどれも普通の客間や寝室などで、マティナがいそうな場所はない。
「落ち着け……落ち着け……」
魔術師は誰しも魔術用の部屋を持つものとマティナから聞いたことがある。魔導具を作る工房や、書物を読みながら鍛錬をするための研究室。生け贄やマティナを閉じ込めるならそこだろう。そしてそういった魔術の部屋は一目見れば分かるものらしい。
ざっと屋敷の中を見た限りではそれらしいものはない。隠し部屋もなさそうだ。
「となると外、庭のどこかか?」
ラクリスが一旦外に出ようと玄関の扉を開く。そこには兵士たちが待ち構えていた。
「間違いない、ラクリスの奴だ!」
「どうしてこんなことを!」
「見直した俺たちが馬鹿だった……捕まえろ!」
集まってきた兵士たちは皆ラクリスの顔見知りで、近頃は雑談もするようになってきた者たちだ。戦うのは心が痛むが負けるわけにはいかない。容赦なく兵士たちを気絶させた。
「急がねばならんな、このままでは増援も来るだろう」
焦りを押し殺ししばらく庭を探し回ると、屋敷の裏の方に納屋のような建物があるのが見えた。近寄って納屋の扉を開け放つと、
「地下への階段、これか!」
本来床のある場所が丸々掘られ階段になっている。しかも、階段の入り口は大きくとってあり、ラクリスでさえ降りることが出来そうだった。
「こんなに大きいのは魔術用の資材を運び込むためか。ありがたいことだ」
ラクリスは一度呼吸を整えてから、地下へと足を踏み入れた。




