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バーカウンターの向こうにいる戸塚に一つ飲み物を頼むと、おや、という風に目を丸くした。
「小野上さん、もうお帰りになられるんですか」
「うん、まあ。でも、もう少し君の時間を貰ってもいいかな。一通り済んでからでええから」
「ええ、まあ……はい。ではまた後で」
次のものを頼んだもののまだグラスの中が少し残っているのを見て、俺が飲み干すタイミングで頼んだものがやってきて、空のグラスが引かれると俺は一人になった。一人の時間を挟んで挟んで、時たまマスターや戸塚の時間を貰う。それができるここはとても心地が好い。
飲むのに少し時間がかかるそれを頼んだのは、いつものものだが、決まって、最後のひと時に誰かの時間が欲しいという意思表示。俺はいつだって、誰かの時間が欲しくて、誰かの前に居たくて仕方がない人間だった。
それでも一人の時間は欲しいもので。
戸塚の時間を欲しがったのは、もう少し彼の中身を知りたかったのだ。いや、これから彼の仕事を支えるにあたって共にする時間も今以上に増えていくだろう。しかし、それ以外の件で、終焉に向かいつつある出来事の一端に居る彼の話を、今このタイミングで聞きたかったのだ。
俺はきついアルコールをちびちびと舌の上に乗せていった。相変わらず、隣に白い肌を探してしまっていた。先週も、先々週も。その前の日も。きっと、これからも変わらないような気がした。
グラスの中の透明な液体が三分の二ほどになると、先程までカウンター席にいる他の客の相手をしていた戸塚が近くに寄ってきた。
「小野上さん、明日はお仕事って言ってましたっけ」
「ああ、うん。昼の三時くらいからや。二時には家出なあかんねんけど、その頃には二日酔い終わってたらええな」
「そんなこと言って。量は飲めるかもしれませんが、弱いんですからほどほどにしてくださいね」
「言うて、止めへんくせに。次来たとき、最初に言うてくれよ」
情けないことを言いながらもお道化て見せる俺に、戸塚はあざとく唇を尖らせて頬を膨らませつつ説教垂れる。その流れが可笑しくて、はは、とお互い同じタイミングで笑みを漏らした。
「ミチル、どうしてるんかなあ」
唐突な切り出しに、戸塚は一瞬目を丸くしてから眉尻を下げ肩を竦めた。さあ、と言いたげだ。そりゃそうだ。それでも、共通して彼を知っている誰かと、ミチルの今を思い馳せたかった。
「どうしてるんでしょうねえ。村瀬さんですか、今、一緒にいるの」
当然、あれから来ていないミチルの現在を、店員と客の仲でしかなかった戸塚が詳細を知る由もない。俺がミチルの話をしたのも、あれからを考えると今が初めてだ。
「そやね。なんか、アイルランドに行ったらしいわ」
「そうなんですか。またなんで、そんなところに」
「村瀬が出張で。そっちの支部に引き抜かれて一緒に連れてかれたんや」
「え、村瀬さん、婚約者いませんでしたっけ」
「おう。知ってたんや」
「まあ、ミチルさんの口からはなんとなく。婚約者さんとは、もう」
「いんや、これが不思議な話で、彼女もマイノリティでな、理解者らしくて。それで、三人で渡ったみたい」
「なんか、数奇ですねえ。運命みたいだ」
聞き覚えのある言葉。そういえば、「彼」もそんなことを言っていた。




