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「明……」
振り返ると、俺の腕を掴んで顔をしかめた明がいた。俺が明の右手に手を添えて振り解こうとすると、グッ、と力を入れて引き寄せられ、襟ぐりを掴まれた。顔全体は憤怒を表しているが、瞳だけは潤んで見えた。
「ちょっ……何すん……」
首元の手を掴んで離そうとするも、あまりにも強い力で無謀だと思った。諦めて、だらん、と手を下ろした。
「お前さあ、なんで……なんでだよ……」
強引に引き寄せてきたかと思うと、明も俺と同じように、だらん、と両手を下ろし、膝に手を突いた。そして、弱々しい力で胸を叩いてくる手首を掴んだ。
「お前こそ、何だよ。なんでここにいるんだよ」
「ずっと……ずっと迷ってたんだよ……。お前を引き止めようって。行かせないようにしようって」
横を、霧の中ゆっくりと二人組の男女が通った。パッ、と明は手を振り解いた。
「だから、追ってきたのか。昨日からいたのか」
明は黙って、こくん、と頷いた。はあーっ、と長い溜め息が出た。
「今更何だよ。それに、結局止められてねえじゃねえの」
「だって、俺……その、俺は……」
モゴモゴと口ごもっているのが不思議だ。何を言いたいのか。こめかみに血管が張りそうな自分がいた。
「はっきりしろよ」
「はっきりしたいわ。はっきりしたいさ。でも」
明は、唾を呑んだ。少し顔が赤く、肩が震えていた。
「俺、はっきりした行動取ると……どうなるかわかんねえんだよ。自分、抑えきれねえんだ」
明は、ゴンッ、と自分の右こめかみを、握りこぶしの手のひら側で叩いた。相当な音だ。
「それで、自分守って俺のこと放ってたんだな」
「ほうっ……」
声を詰まらせる明に更にイライラが募った。俺は、喉が痛みそうなぐらいに声を荒げた。
「身の保身で、俺より自分を選んで。俺が傷付いてこうなるってわかってて、何もしなかったんだろ。お前と同窓会で再会する前だって、俺、こんなだったし。それでも、こうなるって知ってて、ボーッと黙って見てて、お前も勝手に傷付いて。……意味わかんねえよ。俺のことで勝手に傷付くくらいなら、自分のこと捨ててまで、俺をそばに置いてくれよ」
「ミツ……」
しまった。なんてことを言ってしまったんだ。こんな、負の方向へ促すような。大きな、大きな我が儘を言ってしまった。無責任だ。あまりにも、明の人生に対して無責任すぎる。
「わかったよ。じゃあ見とけよ。もう知らん、俺なんか」
言わせてしまった。「俺なんか」。明が明自身を他人として見るような言葉を。でも、どうするのだろうか。明は、俺から離れてホテルをゆっくりと見上げた。そのとき、玄関の自動ドアから誰かが出てきた。霧ではっきり顔が見えなかった。
「お前」
明が怒鳴って、男だろうか、その人物に突進した。男は慌てて逃げようとするが、構えたまま立ち止まって動けなくなっているようだ。明を追いかけると、そこにいたのは、
「てめえ、いつまでも付きまといやがって」
加地が、明に襟ぐりを掴まれて顔に拳を向けられていた。危ない。彼の顔面は商品だ。加地は反射的に顔を庇うように右を、できるだけ後ろを向いた。その動作で瞬時に思い出したのか、拳は至近距離で、ピタッ、と止まった。
「あんた……誰っすか……」
加地より明のほうが体格がいいため諦めているのか、明の肘の下で拳を作りながらも体で抵抗はせず、目元をしかめて視線で威嚇しているように見えた。
「誰でもいいだろ、俺は、お前に、腹が、立ってんだよ」
明は眉間に深く皺を寄せて睨みつけてから、襟から手を離して屈んだ。そして、顔を真っ赤にしながら途切れ途切れに勢い付けて、何回も鳩尾を殴った。
「んっ、ぐっ、ふ、ううっ」
危ない。そんなに繰り返すと内臓が痛んでしまう。
「やめろ」
俺は叫ぶと、慌てて横から明を突き飛ばしてアスファルトに押さえつけた。ズボン越しに膝を擦りむいた。バッ、と加地のほうを見上げた。
「ミチルさん……」
加地は、驚きと悲しみと恐怖の目をかっ開いて俺を見詰めていた。
「ごめん、後で話すから。逃げて」
加地は荒い息を吐きながら一、二歩後ずさると、頷きもせずに駆け出して霧の中へ消えていった。
終わりだ。本当に終わりだ。俺と明の関係は、あまりにも不健康すぎた。




