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定時に終わってそこから一時間。電車に揺られて新宿に着く。新宿の駅には裏と表があって、流石人間が創り出した文化だ、人間そのものに似ていると常々思う。その表のほうへ繰り出し、手軽な、そこらへんによくあるカフェへ寄った。チェーン店で、ここのコーヒーは濃くて、深くて、詳しくないが個人的に美味しいと思う。同じチェーン店でもハズレはあるが、大体この店の同じコーヒーはどの店舗も同じ味をしていて、安定して美味しい。
共同の十二人ほど相席できるくらいの席に着き、ふう、と窓の外を眺めて溜め息をついた。カップに口をつけると、ほら、やっぱり美味しい、と、他人に気づかれない程度に微笑んだ。
今日は予定と言う予定もないし、やるべきこともないし、明日は水曜なのだが寝てやろう、なんなら明日中もずっと寝てやろう、と考えた。人間活動をさぼる気が満々だ。明日も仕事に勉強に励むだろう皆の衆、俺は休日で一日中寝てやるのだぞ、どうだ、という気になり胸を張るように店内を見渡してやりたい気分なのだが、そんなことはできない。
ふと、向かいの男性と目が合い、逸らされた。この何気ない視線ですら俺は怖く、不意に「見られている」という被害妄想に囚われると、カップを持ったまま外に出ることにした。
そうだ、と、一瞬魔が差した。三十分ほどの滞在でしかなかったが、新宿を離れて大江戸線に乗り、麻布十番を目指した。
なかなか暖かくならない二月の最終週、まだきっちりしたコートが必要なようで、春秋兼用のコートを引っ張り出してきたのは誤算だった。もう、もう来週三月だぞと頭の中でひとりごちながら、大きなビルを見上げてあっちへぶらぶら、こっちへぶらぶらと歩いた。もうそろそろだろうか。俺は、明が働いている会社のテナントがある建物に足を延ばした。
明が勤めている部署はよっぽどホワイトなのだろうか。年齢のわりに厳しい立ち位置にいるらしいのだが、大きな企業だ、労働環境を整えることにもしっかりしているのだろう。そうでなければ、定時に上がるようには言われているものの出社の時間を早めているのだろうか。そう思わざるを得ないほどしっかりとした時間にビルから出てきた。女性と一緒に。
「よ」
よくわからない形のモニュメントから離れ、明のほうへ近付いた。隣の女性は動じることなく微笑んでこちらを見てきた。初対面でその腰の柔らかなしぐさは少したじろいでしまう。一方、明のほうは驚いて目を丸くしたが、すぐに崩れた笑顔を見せた。
「おう、ミツ。どうした」
「うーん、たまたま通りかかって」
「こんなところをか。意外だな」
朝に剃ってから手入れしていないのだろう、顎を人差し指と親指で撫でながら顔を覗き込んできた。俺は思わず、距離を取ろうと背を反らした。
「あっはは、そんな顔すんなって」
どんな顔をしていたのだろうか、自分の顔は自分では見られないのだが、明の言葉で、俺は可笑しなしかめっ面をしていたらしいことがわかった。
右手がこちらに伸びてきて、わしゃわしゃ、と額あたりの髪を撫でられた。俺は更にしかめっ面を作って「人前だぞ、大丈夫か」とアイコンタクトを取ると気が付いたのか、パッ、と離され一度宙を浮いてから手を引いた。
互いの靴の爪先を眺めて黙り込んでしまった。明の靴は、綺麗に磨かれていた。
二人で外にいると、いつもこうだ。他人の目を気にしているわりには、二人きりでときと変わらずに距離感がおかしい。
その空気を入れ替えるように、澄んだ声がかかった。
「あの、この方が、ミツさん」
「ああ、そうか。そうです。こいつがミツ。『満月』の『満』でミツです」
言って、今度は肩を組んできた。これくらいは、友人同士のスキンシップに見えるであろうから、許容範囲だ。しかし、俺を抱える腕は優しく包み込むようだ。嬉しさのせいか、体が疼く。
「村瀬がいつもお世話になっております。って、俺のこと、知ってるんですか」
軽くあしらうようにそっと村瀬の腕を肩から放し、女性の方へつんのめって人差し指で自分を指し、目を丸くしてみせた。セミロングで背の高い、しっかりした印象の女性が、にこ、と笑うとファーストコンタクトと印象がガラリと変わった。
「はい。写真見せていただいたことがあって。ね、村瀬さん」
「そうなんだ、自慢、したくてな」
明は、照れ臭そうに頭を掻きながら、先ほどからちらちら周りを見ていた。その態度は、どっちなんだ。嬉しさとむかつきが綯い交ぜになってきた。
「で、この人は。この人が」
「そう、理江子さん。なかなか頭が切れててさ、良いビジネスパートナーなんだ」
「ふふ、前々からお話ししてくださってるんですね。嬉しい」
何が嬉しいのかわからないが、口元に手を当てて笑う姿は上品だ。俺とはまるで違って育ちが良いのだろう。さっきまでこっそりキョロキョロしていた明が、今度は理江子と目を合わせて、一緒にふふ、と笑った。
「というかさ、なんで、俺が理江子さん……この人に、前々から紹介される必要があるわけ」
「この人」とわざと知らない人のように言ってみた。ほら、また、どんな顔をすればいいのか、何を考えればいいのか、どう言えばいいのかわからないという脳の中の虚無を見せてくる。どうして、こうもこいつは考えがないのか。




