23 - 1
「顔パス」というものに遭遇した。関係者通路を塞いでいるロープのそばの警備員に道也が目を合わせると、黙ってポールを引いてくれたのだ。一般人にも関わらず、道也の付き添いだと知ってくれたのか、新人俳優にでも間違えてくれたのか、顔色を変えることなく通してくれた。こんな顔色の悪い俳優、見たことがないが。
「王者と三人の付き人 一同」と書かれた扉を開けると、大広間の中心に木の板の折り畳み会議テーブルが三、四台置いてあって、その上には弁当やら、お菓子やらで埋め尽くされていた。
「あ、小野上さん、来てくれたんですか」
「スグル、小野上さんだよ」
道也の周りに集まって嬉しそうな声を上げている面々を見ていると何故ここにいるのか分からなくなり、壁際で静かに眺めることにした。そりゃそうだ、完全に部外者なのだから。
「あっ、小野上くん。ありがとうございます。来てくださったんですね」
「うん。チケットくれたから。千秋楽、よかったで。かっこよかった」
「ありがとうございます」
スグルと呼ばれた純朴で利発そうな顔立ちの青年が、道也の手から、紙袋から出された菓子箱を受け取った。今にも泣きそうだ。
「ほんまに楽しかったです。オリジナルですよね。あれ、ブレーメンの音楽隊とオズの魔法使いの要素詰め込んでで、それをあそこまで拗らせて合体させたなんて、それぞれのジレンマが上手く混在して……」
熱く語る道也は酒が入っているときと同じ調子で、よそ行きとリアルの狭間を知ったような気持ちになった。思わず頬が緩んだ。
「あの方は……マネージャーさんですか」
道也の向こうから、目は細いが万人受けしそうな可愛らしい顔立ちをした女性が見えた。十ほど離れているだろうか。だとしたら「女性」というよりは「女の子」や「少女」だろうか。その少女がこちらを見る目は、「あくまで礼儀、興味はない」と物語っていた。
「は、はあ……」
俺が困っていると、
「いや、この人は友達。一般人やよ。ただ俺が連れてきただけやから。部外者連れてきてもうて、ごめんな」
「小野上さんならいいですよ」
「そうですよ、しかも観てくれたんですよね。嬉しいです」
言いながら、俺の方に視線は止まらない。皆、こちらを一瞥しては気不味そうな表情を浮かべてから、相変わらず憧憬の眼差しで道也を見ていた。
すると、俺の右側にあるドアが開いた。
「お疲れさまでーす、こんばんは」
「お疲れさまです」
「おつかれーっす」
「お疲れ様です」
四人の青年がぞろぞろと入ってきた。そういえばエスエーエイチとやらは五人組だと道也は言っていた。ということは、普段はスグルという青年と一緒に活動している人間か。
「S@Hの皆さんから、スフレの差し入れでーす。ってあれ、これ、小野上さんのと同じじゃないですか」
「あ、本当だ」
「ええ、そんなことある」
「ちょっとー、まずいっすよ、どんかぶりじゃないですかー」
「いやいや、これはな、カンタくん。柚子の皮が入ってる限定品なんや」
「えー、そうなんだー」
「……いただきます」
「おい、差し入れお前が食ってどうすんだよマサシ」
「いいですよ、皆さんで食べましょう」
「ほんと。ありがとうございます、浜崎さん」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました」
ガヤガヤと団欒しているのを遠巻きで見ていると、ああ、俺はああいう精神的に健康な人たちとは違うんだなあ、と実感した。俺は、絶対、あの大人数の中で上手く、礼儀上でも、笑うことはできない。腕を組んで壁にもたれかかりぼんやりしていると、左側に人の気配を感じた。
「ミチルさん」
「えっ」
あまりに唐突な登場に、心臓が跳ねてあとずさった。こけそうになってなんとか右足で踏ん張る。――悪い予感はしていた。でも、まさか。まさか。驚きのあまり、発声の用意をしていない喉は掠れた。
「加地くん……」
「何してんの、こんなとこで」
「それは……かんけ」
「小野上くんと、だよね」
跳ね返そうとしても、言葉で抑えつけられた。
「知ってたよ、俺」
そりゃ、わざと思わせぶりに行動してきた。それとなく、しかし確証を持たせるように。道也も共犯になってくれた。しかし、いざこういう場面に遭うと、どうすればいいのかわからなくなってしまった。心臓が凍りそうだ。
「小野上くんのほうが、俺より、ミチルさんのことを知ってるのも知ってる。長い仲なのも。なんとなく感じてた。わざとでしょ」
言いながら、くすねてきたのだろう、茶色の小さく長細いパッケージを渡してきた。一文字ずつ違った色で「チョコバット」と書かれていた。真ん中にいるバットを持った少年の笑顔が能天気に見える。
「……でも、俺、知ってる」
封を開けずに少年とにらめっこしていると、続きの言葉が聴こえ、パッ、と加地の方を見た。
「何を」
「ミチルさん、俺の体の方が好きでしょ」
他の人間の談笑の声の中で、聴こえるか聴こえないかの喉の振動音。途端に、体が熱くなった。芯から燃えて、汗を掻きそうだ。顔を逸らし、首を縦にも横にも振れずに黒のローファーの爪先だけを見つめて押し黙っていると、小指同士を絡めてきた。
「それで、今晩、どっちを選ぶの」




