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やけに大きな窓ガラスがある部屋にして後悔したことがあった。というか、後悔している。なんだって、どうしてこんな間取りの部屋に住もうと思ったのだろうか。その場では気が大きくなってここを選び満足して生活をはじめていたが、寒くなってくると後悔が強い。窓が大きな分、寒い。隙間風こそないものの、窓ガラス自体が冷たくなる。暖房を効かせればどうってことはないんだけども。部屋に着いたとき、部屋から出るときにとても後悔するのだ。
子どもの頃からあった、電気と水道とガスは節約しようという習慣が身についているので、スマホのリモート機能で部屋に着く前までに暖かくしようとエアコンを操作する気もないし、部屋を出る算段をしたところで、この時間くらいに家に出るから大丈夫、と決め込んで少し早めに電源を切ったりするもんだから、こんなだ。決めた時間ギリギリどころか予定の時間よりも結構長く家にいてしまうこともあるから、だらしなさはここにも出ているのだろう。
まさに今、自分が出かけようと思った時間より二十分ほど経っても家の中にいる。大きな窓の向こうから喧しいほど目に入る無数の人工の灯りをよそに、ベッドの上でギターを抱き、譜面が描いてあるパソコンとにらめっこだ。
マサシが入れた歌のメロディのデモを聴いて楽器の音を作っているのだが、二時間半ともなるとさすがに集中が切れてきそうだ。スグルがせっかく良い歌詞に編集してくれたのに、それに合う音が出てこない。マサシの歌のメロディも悪くない。しかしBPMに自由が利くばかりに迷いが出てくる。自分のギターの技術不足にもイライラしてしまう。そんな自分が悔しくて、予定の時間を過ぎてもだらだらと続けているのだ。
それでも一箇所のフレーズを何度もギターで弾いて試してみたり、パソコンで楽譜を入れて前後の繋がりを確かめているとまた五分が過ぎて、十分が過ぎて、背に鳥肌が立つのを自覚し、そろそろだな、と思ったそのときだった。
腰のすぐ右に置いていた紺の長財布の横の、画面を下にしたスマホが鳴った。着信音からして、プライベート以外の誰かかもしれない。仕事の報せだろうかとすぐに手に取るとそこには「小野上道也」と表示されていた。
「あ、こっちこっちー」
東口の改札を出てすぐある手すりに腰掛けていたらしい、俺の姿を見つけて立ち上がると声を上げて手を振ってきた。大丈夫かよ、バレないか不安に思いながら近付くも、周りの人々もまさかテレビスターがいるとは思っていないようだ。
そりゃそうだ、なんだって……失礼だが、小野上の私服はダサいことで有名で、街では埋もれてしまうのだ。その噂どおり、どこで見つけたのかわからない臙脂色のモコモコしたタートルネックのダウンジャケットに、灰色のサルエルを履いている。斜めにかけられている黒のショルダーバッグのデザインが良いのがせめての救いか。
「っす、どうしたんですかいきなり」
「いや、なんとなく。こないだ顔見たからさ、一緒にどうかなって」
「いや……そっすか、ありがとうございます」
事務所内にそれなりに仲の良い先輩も後輩も同期すらもいない俺が、こうして結構名の知れた先輩から声をかけられるとなんだかむず痒い。この仕事を初めて十年ほども経つのに、「テレビの人だ」という感動が大きいのだろう。仕事の場では普通に、ビジネスパートナーとして捉えて何も感じないのだけれど……。プライベートでそういう風に興奮してしまうのは、週刊誌の切れ端を目の当たりにする感覚なのだろうか。それでも、そのミーハーな気持ちを抑えて、あくまでも「後輩の顔」をして隣を歩いた。
「スグルとはよく一緒に飲みに行かれてるって聞いてるんですけど」
「そやねえ、ちょいちょい。言うても二ヶ月にいっぺんぐらいよ」
一重にもかかわらず黒目の大きなその目を細めた顔は愛嬌がよく、その笑顔に心が和らぐ。瞳の奥はどこを見ているのかわからないから少し掴みどころがなかったりするが。まあ、そう親交があるわけでもないのだから、小野上の方からしても俺の掴みどころなんぞ見つかりもしないだろう。気にしないでいい。
「今カンタと出られてるドラマって、監督誰でしたっけ。勉強不足ですみません」
「ん、そんな、ええよ。あー、小治田監督よ。ほら、漫画の実写化とかよくされてる」
「『アンバサダー真』とか『雷神・GOOD・さん』とかですよね。へぇー……あの人ギャグ系の作品多くないですか」
「せやねん、やから受けたときびっくりしたんやけどな……聞いてみると、AD時代は結構、今回みたいなものにも携わってきたみたいでさ」
「あー……なんとなく、わかります」
「な。根源ってあんねんなーって」
俺は黒の革ジャンに手を突っ込み、かたや小野上くんは黒のシンプルな手袋を履いた手を擦り合わせて歩く。そんなに厚そうな手袋でも間に合わないほどの寒さが憎い、と思いながら辺りを見回すと、いつの間にか見覚えのある道を進んでいた。
「ここらへん、ほとんど家ですね」
「そやねん。でもほら、たまにポツポツと」
俺の問いに愛想笑いを浮かべたのちに、家々に紛れた居酒屋や曲がり角にあるダイニングバーなどを見つけて指をさす。初めて知ったと言わんばかりに「ふんふん」と頷いてみたが、わざとらしくはなかっただろうか。やがて例の三叉路に着いた。
「ここ、よう来るねん。人がすくのうてな、ぼんやりするには持って来いやから」
そう言って見上げた先には、いつもの、ネオンで描かれた「Bar PARALLEL」の文字があった。




