第4話 初めての依頼
【始まりの迷宮】を出た頃には、太陽はすっかり高く昇っていた。
「重い……」
「頑張って」
「ミアも持ってるだろ!」
「持ってるから言ってるの」
俺とミアは、太めの枝に牙猪の脚を括りつけ、その両端を担いで歩いていた。
さっき倒したときはあんなに嬉しかったのに、持って帰るとなると話は別だ。
ずしりと肩に食い込む重さに、早くも置いて帰りたい気持ちが少しだけ湧いてくる。
そんな俺たちの横を、クウが軽い足取りで歩いていた。
「お前も少しくらい手伝えよ」
「クゥ?」
「なんで『何のこと?』みたいな顔するんだ」
「クウには無理でしょ」
「せめて応援くらいできるだろ」
「クゥ!」
「……応援された」
「よかったね」
「なんか腹立つな……」
初めて魔物を倒した。
初めて祝福を授かった。
その祝福は【???】で、名前も分からないくせに、どうやら【鑑定】みたいなことができるらしい。
十五歳になってまだ半日も経っていない。
それなのに、ずっと待ち続けていた冒険が一気に始まったような気がした。
「楽しかったな」
「牙猪に突っ込まれたのに?」
「それも含めて!」
「やっぱりルカって変」
ミアは呆れたように言ったけど、その口元は少し笑っていた。
◆
「【???】?」
リベル村へ戻り、家で一通りの出来事を話すと、父さんは珍しく眉をひそめた。
「ああ。父さん、聞いたことある?」
「ないな」
「父さんでも?」
「俺を何だと思ってる」
「世界中のことを知ってる元冒険者」
「買いかぶりすぎだ」
父さんは笑いながら答えた。
牙猪を見たときに起きたことも説明したが、それにも心当たりはないらしい。
「でも、たぶん【鑑定】だと思う。見ただけで牙猪の怪我とか、腹の中に種が三つあるとか分かったんだ」
「聞いた限りじゃ確かに似てるな」
「だろ?」
「まあ、使っていけば分かるだろうさ」
父さんらしい答えだった。
分からないものをいつまでも考えていても仕方ない。だったら自分で確かめればいい。
たぶん俺がこういう性格になった原因の半分くらいは、この人にある。
「それより――」
父さんが家の外へ目を向けた。
「お前、あれをそのまま担いで帰ってきたのか?」
「そうだけど?」
「…………」
「なんだよ」
「普通はその場で血抜きくらいしてくるもんだぞ」
「…………」
知らなかった。
「その顔は知らなかったな」
「初めてなんだから仕方ないだろ!」
「冒険者になるんじゃなかったのか?」
「なるよ!」
「だったら覚えろ。魔物は倒して終わりじゃない」
「……はい」
結局、その日は父さんに教わりながら、牙猪を解体することになった。
皮を剥ぎ、肉を分ける。
血抜きが遅れたせいで使えない部分もあるらしい。
見ているだけなら簡単そうなのに、実際にやってみると全然うまくいかない。
父さんならあっという間に刃を入れる場所も、俺がやると何度も止められた。
「そこじゃない」
「こっち?」
「切りすぎだ」
「難しいな……」
「最初からできる奴はいねえよ」
横ではミアも真剣な顔で父さんの手元を見ている。
クウだけは興味があるのかないのか、肉の周りをうろうろしていた。
「クウ」
「クゥ?」
「それはダメ」
「クゥ……」
ミアに止められ、クウの耳がしゅんと垂れた。
使える肉は家に残し、牙と毛皮は明日ローデンの町へ持っていくことになった。
冒険者ギルドなら魔物の素材を買い取ってくれるらしい。
魔物を倒せば終わりだと思っていたけど、どうやら冒険者には覚えることが山ほどある。
◆
その夜。
机の上に冒険ノートを広げ、今日あったことを書き込んでいく。
『十五歳。
【始まりの迷宮】へ。
初めて倒した魔物――牙猪。
祝福――【???】。
たぶん【鑑定】。』
「……たぶん、か」
自分で書いておいてなんだけど、なんとも締まらない。
でも、分からないものは仕方ない。いつか正体が分かったら、そのとき書き直せばいい。
ページをめくる。
そこには子供の頃に書いた文字や、父さんから聞いた場所の名前がいくつも残っていた。
見たことのない森。遠い国。巨大な迷宮。
そして――世界の果て。
今までは全部、父さんから聞いた話だった。
でも今日、このノートに初めて自分で見たものを書いた。
「……一個目」
これからどれだけ増えるんだろう。
そう考えると、なかなか眠れなかった。
◆
翌朝。
「行ってきます!」
「登録するだけで朝から元気だな」
「冒険者になる日だぞ!」
「昨日も同じこと言ってなかったか?」
「昨日は祝福をもらう日。今日は本当に冒険者になる日!」
「毎日何かの記念日にするつもりか?」
父さんに見送られ、牙と畳んだ毛皮を背負って家を出る。
村の入口では、すでにミアとクウが待っていた。
「遅い」
「時間通りだろ」
「私は先に来てた」
「それは俺が遅いことにはならないだろ!」
「クゥ!」
「クウはどっちの味方なんだよ」
「私」
「お前に聞いてない!」
昨日と変わらないやり取りをしながら、俺たちはローデンの町へ向かった。
リベル村から街道を歩いて数時間。
何度か来たことのある町なのに、今日は今までとは少し違って見えた。
門をくぐれば荷馬車が行き交い、道の両側には店が並ぶ。
鍛冶屋から響く金属音。焼きたてのパンの匂い。旅装の人間に、見たことのない武器を背負った冒険者。
「ルカ、前」
「え?」
「前!」
「うわっ!」
荷車にぶつかりそうになり、慌てて飛び退く。
「ちゃんと歩いて」
「だって色々あるんだよ!」
「何回も来たことあるでしょ」
「今日は冒険者として来たんだ。全然違う!」
「何が?」
「気分!」
「……そう」
クウまでミアの隣から俺を見上げている。
「なんだよ」
「クゥ」
「絶対バカにしただろ」
町の中央近くまで歩くと、大きな木製の看板を掲げた建物が見えてきた。
冒険者ギルド。
扉の前で立ち止まり、俺は無意識に父さんからもらった剣へ触れた。
「……よし」
今度こそ、本当に冒険者になる。
◆
「牙猪の牙が二本。それと毛皮か」
カウンターの向こうで、男が俺たちの持ってきた素材を確認していた。
短く切った髪に少し無精ひげを生やした、三十代後半くらいの男だ。
「状態は……まあ、初めてならこんなもんか」
「分かるのか?」
「これが仕事だからな。毛皮はちょっと傷が多いが、牙は問題ねえ」
男は毛皮についた傷を指でなぞる。
「自分で倒したのか?」
「ああ。俺たち三人で!」
「三人?」
男が俺を見る。ミアを見る。そして最後に、足元のクウを見る。
「クゥ!」
「……三人か」
「なんだその間!」
男――ジャンは小さく笑った。
牙と毛皮を買い取ってもらい、代わりに硬貨を受け取る。
「……おお」
手のひらの上で硬貨が鳴った。
「俺が倒した魔物が、お金になった……」
「そういう仕事だからね」
「冒険って金になるんだな」
「今さら!?」
ちょっと感動していると、ジャンが呆れた顔をした。
「で、素材の買い取りだけか?」
「いや。冒険者になりに来た!」
そう告げると、ジャンは一瞬だけ俺を見てから、カウンターの下から一枚の紙を取り出した。
「なら登録だ。名前は?」
「ルカ」
「十五歳?」
「ああ」
「出身は?」
「リベル村」
ジャンが紙に文字を書き込んでいく。
「そっちの嬢ちゃんは?」
「ミアです。まだ十四歳なので、今日は付き添いです」
「来年か」
「はい。そのときは私も登録します」
「私もじゃなくて、俺が先だからな」
「張り合うところそこ?」
ジャンが苦笑しながら、再び俺へ向き直った。
「で、祝福は?」
「【???】」
手が止まった。
「……何?」
「【???】」
「俺は祝福を聞いたんだが」
「だから【???】なんだって!」
「ふざけてんのか?」
「ふざけてない!」
隣でミアが笑いを堪えている。
「本当なんです。【始まりの迷宮】の石碑にそう出たんです」
「そんな祝福は聞いたことがねえな」
「でも、たぶん【鑑定】みたいなものだと思う。牙猪を見たら怪我とか状態が分かったんだ。見えないはずの腹の中まで」
「……なるほどな」
ジャンは少し考えたあと、再び手を動かした。
「まあいい。祝福が何であろうと、冒険者になるのに問題はねえ」
「そうなのか?」
「【剣術】を授かったって剣を振らなきゃ強くならねえし、便利な祝福を持ってても使い方を間違えれば死ぬ。祝福だけで冒険はできねえってことだ」
なんとなく父さんと似たことを言う人だ。
登録を終えると、ジャンから革張りの小さな手帳を渡された。
名前、出身地、登録した町。まだそれくらいしか書かれていない。
でも、間違いなく俺の冒険者証だ。
「冒険者……」
「顔がにやけてるよ」
「仕方ないだろ!」
何度も開いては閉じる。
十五年間待っていたものが、今、自分の手の中にある。
「よし。依頼を受けよう!」
「もう!?」
俺は返事も待たず、壁際の掲示板へ向かった。
薬草の採取。荷物運び。畑を荒らす魔物の討伐。街道の護衛。なくした荷物の捜索。
色々ある。
その中で、一枚の依頼書に俺の目が止まった。
『未探索洞窟周辺における生態調査』
「未探索……」
「そこしか読んでないでしょ」
「そんなことない!」
「じゃあ、その下は?」
「…………」
「読んでないじゃん!」
慌てて続きを読む。
ローデンから離れた森の奥で、最近になって魔物の死体が相次いで発見されている。
人間に討伐された形跡はなく、死体が見つかっている場所の近くには、最近発見された未探索の洞窟があるらしい。
依頼内容は、周辺に生息する魔物の確認。そして魔物の死体が増えている原因の調査。
「これだ!」
依頼書を手に取った、そのときだった。
「駄目だ」
後ろから声が飛んできた。
「まだ見せてもないだろ!」
「『未探索』って文字しか見てなかった奴に何を見せろってんだ」
「見てたのかよ!」
「声がでけえんだよ」
カウンターの向こうでジャンが呆れた顔をしている。
横を見ると、ミアまで何度もうなずいていた。
「でも調査依頼だろ? 俺たちでもできるんじゃないか?」
「洞窟攻略じゃねえぞ。周辺の生態調査だ。魔物の死体が増えている理由を調べる。それ以上は依頼に入ってねえ」
「分かってるって」
「その返事が一番信用できねえんだよ」
「なんで!?」
「分かります」
「ミア!?」
ジャンは小さく息を吐くと、俺の持つ依頼書へ視線を落とした。
「……牙猪を三人で倒したんだったな」
「ああ」
「傷を見る限り、嘘じゃなさそうだ」
「疑ってたのかよ!」
「新人の『俺は強い』ほど信用できねえ言葉はないからな」
「俺、強いなんて言ってないだろ!」
「似たようなもんだ」
ジャンはもう一度依頼書を確認する。
「まあ、洞窟攻略じゃない。牙猪を倒せるなら周辺調査くらいはできるか」
思わず顔が明るくなる。
「じゃあ!」
「ただし、危険だと思ったら戻れ」
さっきまでとは違う、真剣な声だった。
「魔物を倒す必要も、洞窟の奥まで調べる必要もない。何がいた。どこで何を見つけた。何が分からなかった。それを持ち帰るのも冒険者の仕事だ」
俺はもう一度、依頼書を見る。
未探索の洞窟。誰も知らない場所。
もちろん、行ってみたい。
でも――これは俺一人の冒険じゃない。
「……分かった」
「本当か?」
「なんでそこで疑うんだよ!」
「日頃の行いじゃない?」
「今日冒険者になったばっかりなんだけど!?」
ジャンが笑い、依頼書に受注の印を押した。
「じゃあ、初仕事だ」
その言葉だけで胸が高鳴った。
俺の冒険者証に、初めての依頼が記される。
――未探索洞窟周辺、生態調査。
「よし、行こうミア!」
「明日ね」
「え?」
「今から必要なものを揃えるの。初めての依頼なんだから、ちゃんと準備する」
「でもまだ昼前だぞ?」
「森までどれくらいかかると思ってるの?」
「…………」
「食料は?」
「買えばいい」
「水は?」
「……買えばいい」
「薬は?」
「…………」
「ルカ?」
「準備って大事だな!」
「今気づいたの!?」
「クゥ!」
クウの鳴き声に、ジャンの笑い声まで重なった。
こうして、俺の冒険者としての最初の仕事が決まった。
まだ誰も奥を知らない洞窟。その周辺で何が起きているのかは、もちろん分からない。
だからこそ――。
「楽しみだな!」
「遊びじゃないからね?」
「分かってるって!」
「……ジャンさんが心配する理由、ちょっと分かった」
「なんでだよ!」




