第24話 冒険者じゃない
宿場町を後にしてから、二日。
俺たちは東へ続く街道をひたすら歩き続け、昼過ぎに小さな町へとたどり着いた。
先日の宿場よりは明らかに規模が大きい。けれど、ベルナやローデンほどの大都市ではない。
街道の両脇に石造りの店舗がぎっしりと軒を連ね、その背後に赤い屋根の民家が密集している。町の中央には背の高い鐘楼がそびえ立ち、そのすぐ足元に――目指す場所があった。
「あったぞ」
「見慣れた看板だね」
剣と盾を交差させた鉄の紋章。冒険者ギルドの支部だ。
「寄っていくの?」
「うん。何か手頃な依頼を受けようと思って」
「そうだね。そろそろ稼がないと危ないし」
旅に出て、俺たちはごく当たり前で、けれど極めて切実な現実に直面していた。
――とにかく、金が減る。
飯を食えば銅貨が消える。
宿のベッドに転がれば銀貨が消える。
街道用の携帯食料を買い足せばまた減る。
そして、道端でクウが何かを物欲しそうに見上げるたび、俺の財布の紐が緩んでさらに減る。
「最後のはルカが勝手に甘やかして買ってるだけでしょ」
「なんで分かった?」
「昨日だって、休憩のたびに干し肉ちぎってあげてたじゃん」
「クゥ!」
「ほら見ろ、クウは悪くないって主張してるぞ」
「はいはい」
要するに、旅を続けるにはどこかで定期的に稼がなければならない。
幸いなことに、俺は正規の登録冒険者だ。町にギルドの支部があるなら、そこで仕事を請け負うことができる。
「旅先で依頼をこなして日銭を稼ぐって、なんか本物の冒険者っぽくないか?」
「ルカは今までだって一応、冒険者だったでしょ」
「そうなんだけどさ。自分の村の外で働くのって、なんか実感が湧くっていうか」
知らない町で、知らない誰かからの依頼を受ける。
それだけで、少しだけ胸の奥がくすぐったく高鳴っていた。
◆
重い木製のスイングドアを押し開けて中へ入る。
ローデンのギルドよりも手狭な室内には、簡素な受付カウンターが二つと、壁一面に依頼書が貼り出された掲示板があるだけだった。昼下がりの半端な時間ということもあって、奥の酒席で地元の冒険者が数人、くだを巻いているくらいで静かなものだ。
「どんな依頼にする?」
「今日中に終わって、すぐに清算できるやつがいいな」
掲示板に並ぶ羊皮紙に目を通す。
街道周辺の間引き。
商店の地下倉庫の荷運び。
畑を荒らす小型魔物の追い払い。
近隣の森での木の実の採集。
いくつか候補を眺めていると、横からミアの手が伸びて、一枚の依頼書を指差した。
「これなんかどう? 薬草採取」
「どれどれ……指定の薬草を十束か。町から歩いて一時間ほどの草原に群生地があるって書いてあるな」
「群生してるならすぐ集まると思う。難易度も低いし」
「いいな。これなら今日の宿代と明日の食費くらいにはなる」
依頼書を剥がし、受付カウンターへと向かった。
「すみません、この依頼をお願いします」
カウンターの奥にいた事務服の女性が、慣れた手つきで羊皮紙を受け取る。
「はい、薬草採取ですね。では、冒険者証の提示をお願いします」
「はい、これです」
腰の革袋から、金属製の冒険者証を取り出してカウンターの上に置いた。
受付の女性は刻印を指で確かめ、小さく頷く。
「ルカ様ですね。等級、登録ともに問題ありません」
そして女性は、俺のすぐ隣に立っていたミアへと視線を移した。
「お連れ様も、今回の依頼へ参加されますか?」
「はい、一緒に採取します」
ミアが答えると、女性は手元の帳簿を開きながらペンを構えた。
「承知いたしました。では、そちらの方の冒険者証もご提示ください」
「…………」
ミアの言葉が、ふっと止まった。
「……あの、持ってません」
「未登録ですか?」
「はい。私、まだ十四歳なので……」
「ああ……」
受付の女性は得心がいったようにペンを置き、申し訳なさそうに眉を下げた。
「そういうことでしたら、今回の依頼に正式な参加者として登録することはできません」
「……え?」
ミアの声が、小さく揺れた。
「町の外へ同行されること自体を、ギルドとして禁止はしておりません。ですが、依頼の正規の受注者として扱えるのは、規定の年齢に達して登録を済ませているルカ様お一人となります」
女性は俺を指し、淡々と言葉を続けた。
「したがって、報酬のお支払いも、達成実績の記録も、こちらの冒険者証にのみ残ることになりますが……よろしいでしょうか?」
「……そう、なんですか」
「はい。ギルド規約ですので」
受付の女性に悪意があるわけじゃない。冷たくあしらわれたわけでもない。
ただ、それがギルドという組織の、ごく当たり前の規則なのだ。
「あの、じゃあミアは手伝っちゃダメなんですか?」
「いえ、お手伝いいただく分には構いませんよ。ただ、ギルドが責任を持って仕事を依頼し、その功績を認めるのは『登録冒険者』だけ、ということです」
「……分かった。一緒に行こう、ミア」
俺が声をかけると、ミアは視線を落としたまま、少しの間を置いてから小さく答えた。
「……うん」
◆
町を出て、街道から外れたなだらかな草原を歩くこと一時間。
教えられた通りの小高い丘の麓に、目当ての群生地が広がっていた。
「これだな」
草むらにしゃがみ込む。
細長く伸びた鋸歯状の葉に、根元が淡い紫色に染まった特徴的な草。ローデンの周辺でも何度か見かけたことのある、解熱薬の原料になる薬草だ。
「あ、こっちにも生えてる」
ミアが少し離れた茂みを指さす。
「見つけるの早いな」
「ルカの目が節穴なだけ。ほら、ここにもある」
「俺だって見つけたぞ!」
「私、もう四つ目」
「よし、どっちが多く見つけられるか勝負だ!」
「無駄に競争して根っこを傷つけたら、納品できなくなって報酬引かれるよ」
「……慎重にやります」
「よろしい」
足元ではクウも手伝う気満々で、草むらに鼻を突っ込んでフゴフゴと忙しなく嗅ぎ回っていた。
「クゥ!」
「おっ、見つけたかクウ?」
駆け寄ると、クウの前には丸っこい茶色い傘を開いたキノコが生えていた。
「……キノコじゃん。違うよ」
「クゥ……」
「でも、もしかしたら美味いキノコかも――」
「ルカ」
「何?」
「生えてる知らないキノコを安易に口に入れようとしない」
「食べようとはしてないよ! ちょっと匂い嗅ごうとしただけ!」
「昨日、知らない赤いペーストを舐めてのたうち回ってた人が何を言っても説得力ゼロだからね」
「…………」
ぐうの音も出ない。
採取作業そのものは、驚くほど順調に進んだ。
というか、作業の正確さでもスピードでも、完全にミアのほうが一枚上手だった。
「ルカ、土を掘るのが浅い。根毛まで綺麗に残して」
「分かってるって」
「引っ張る角度が急! 茎が千切れちゃうでしょ」
「善処します……」
「あーあ、葉っぱが折れてる。それじゃ乾燥させるときに薬効が抜けちゃうよ」
「……なあ、ミア」
「何?」
「お前、俺なんかよりずっと冒険者に向いてないか?」
「何を今さら」
ミアは呆れたように笑いながらも、手際よくナイフの背で土を払い、採取した薬草を麻紐で束ねていく。
ミアは昔から薬草や毒草の知識が深かった。リベル村にいた頃、俺がしょっちゅう生傷を作って帰ってくるせいで、手当の技術まで身につけてしまったのだ。
あの大森林迷宮で、重傷を負って倒れていた他の冒険者たちに応急処置を施し、命を繋ぎ止めたのもミアだった。
あっという間に、指定された十束の綺麗な薬草が集まった。
「よし、これで終わり!」
「思ったよりずっと早く済んだね」
「ミアの手際が良かったからな。助かったよ」
「…………」
「どうした?」
「……別に、なんでもない」
立ち上がったミアの表情は、どこか遠くを見るようで、いつもの張り合いのある顔つきとは少し違っていた。
◆
夕暮れ時、再びギルドの窓口へと戻った。
カウンターの上に、丁寧に束ねられた十束の薬草を並べる。
「拝見しますね……ええ、根の処理も完璧ですし、鮮度も申し分ありません。依頼達成です。お疲れ様でした」
受付の女性が微笑み、布袋に入った報酬の銅貨を手渡してくれる。
そして、俺の冒険者証を小さな魔導具の端末に通した。カチリと澄んだ音が鳴り、達成した依頼の実績が金属の板に新しく刻まれる。
ただ、それだけのことだった。
「よし、終わったな。これで今夜は温かいスープと柔らかいパンが食えるぞ」
「……うん。そうだね」
「明日はもう少し東の――」
歩きながら次の予定を話しかけて、ふと隣を見る。
ミアの視線が、俺の右手――受け取ったばかりの冒険者証にじっと注がれていることに気づいた。
「……見るか?」
「え?」
「これ」
手のひらに載せた鈍色の金属板を差し出してみる。
ミアは一瞬だけ手を伸ばしかけて、すぐに引っ込めた。
「……別に、いいよ」
「そうか?」
「うん」
二、三歩、無言のまま街道へ向かって歩く。
けれど、宿へ続く通りに出たところで、ミアがぽつりと呟いた。
「……いいな」
「何が?」
「それ」
ミアが指差したのは、やっぱり俺の手の中にある冒険者証だった。
「欲しいのか?」
「…………」
いつもなら「別にルカの持ってるものなんて欲しくないし」と憎まれ口を叩くはずのミアが、唇をぎゅっと噛み締めて黙り込んだ。
そして、夕焼けの空を見上げるようにして、絞り出すような小さな声を零した。
「……欲しいよ」
小さな、けれど真っ直ぐな本音だった。
「今日だってさ」
「うん」
「薬草、一緒に探して、一緒に採ったでしょ」
「ああ。ミアのほうがずっと多く見つけて、綺麗に抜いてくれた」
「なのに……記録に残るのは、ルカの名前だけじゃん」
「…………」
「受付の人が悪いわけじゃないのは分かってるよ。ギルドの決まりだし、仕方のないことだって分かってる」
ミアは自分の両手を胸の前でじっと見つめた。
爪の間に、薬草を掘り出したときの黒い土が少しだけ残っている。
「でも……私もちゃんと、一緒に旅して、冒険してるのになって思ったら……ちょっとだけ、悔しくなっちゃった」
言われて、俺は胸を強く突かれたような気がして、何も言い返せなかった。
大森林迷宮のときだってそうだ。
ミアがいてくれたから、俺は迷宮の奥で生き延びることができた。
三人だったからここまで来られたんだと、他でもない俺自身が言ったはずだった。
それなのに。
世間の仕組みの前では、ミアはただの『同行者』でしかなくて、一人の冒険者としてその足跡を認めてもらえない。
「……あと、どれくらいだっけ」
ミアが不意に顔を上げて尋ねてきた。
「何が?」
「私が、十五歳になるまで」
「ああ……」
頭の中でリベル村の季節と月日を数える。
「あと、だいたい三か月くらいかな」
「そっか……あと三か月かぁ」
十五歳。
この世界で生きる者にとって、それはただの誕生日以上の重みを持つ境界線だ。
大人として認められ、各地にある『始まりの迷宮』の最奥へ赴き、神から生涯に一つだけの【祝福】を授かる年齢。
正規の冒険者としてギルドに登録できるのも、十五歳になって祝福を得てからだ。
俺が十五歳になったあの日、祭壇の前で授かったのは――。
【???】
名前すら表示されない、未だに正体不明の謎の力。
「ミアは、何をもらうんだろうな」
「祝福?」
「うん」
「さあ……見当もつかないよ」
「薬草に詳しいし、応急手当も上手いから【薬師】とか【治癒士】とかか?」
「そういう祝福、本当にあるの?」
「知らない。なんとなくありそうだなと思って」
「相変わらず適当だね」
「じゃあ、弓が得意だから【弓術】とか」
「普通すぎる」
「いっそのこと【料理】とかどうだ?」
「なんでよ」
「俺とクウが毎日すげえ助かる」
「私はルカとクウのご飯を作るために祝福をもらうんじゃないんだけど」
「じゃあ、何がいいんだよ」
「…………」
ミアは少しだけ顎に手を当てて考え込んだ。
それから、ふっと息を抜いて小さく肩をすくめた。
「分かんない」
「何でもいいのか?」
「何でもいいわけじゃないけど……今はまだ、自分が何をしたいのかもよく分かってないし」
そう言って、ミアは少しだけ照れくさそうに笑った。
「でも……自分だけの何かが欲しいな。誰かのおまけじゃなくて、私が私であるための何か」
俺は手元の冒険者証を見下ろし、それからミアの顔を見た。
「じゃあ、あと三か月だな」
「うん」
「三か月経ったら、近くにある『始まりの迷宮』を探して絶対に行こう」
「当然でしょ」
「俺もちゃんと護衛でついていくから」
「それも当然」
「クウも行くよな?」
「クゥ!」
「ふふ、クウも当然ね」
三人で顔を見合わせて笑い合う。
町の宿へ向かって、再び夕暮れの街道を並んで歩き始めた。
その途中、ミアの視線がもう一度だけ、俺の腰の革袋へと向けられた。
俺は何も言わず、ただ前を向いて歩調を合わせた。
十五歳まで、あと三か月。
その日、ミアがどんな祝福を授かり、どんな冒険者になるのか。
このときの俺たちは、まだ何も知らなかった。
けれど、夕陽に染まるミアの横顔が、その日を心から待ち望んでいることだけは、痛いほどよく分かった。




